侯爵様の憂鬱~アルカーナ王国物語 番外編~

🐉東雲 晴加🏔️

侯爵様の憂鬱





「……」



 空は青く澄み渡り、寒いこの地にも春来たり、という今日この頃。


 侯爵家の庭には去年レンと一緒に植えたチューリップや自生のアネモネ、勿忘草が軽やかに風に揺れていて、ひらひらと舞う黄色い小さな蝶々を、時折尻尾や鼻先で構いながらコロコロと庭を転がっている黒狼の姿は平和そのものだ。


 執事であるレンも、いつもの事と何も気にもとめず、テラスのベンチに座って日光浴をしているあるじに自然にお茶を持ってきた。


「ガヴィ様、お茶が入りました」


 こちらにおいておきますね、とカップの乗った盆をガヴィの隣に置く。


「おー……」


 ガヴィは返事を返したが、一拍子置いたあと、やはり耐えきれぬと声を上げた。


「なぁ……アレはいいのか?」

「はい?」


 屋敷に下がりかけていたレンが思わず振り返る。

 声を発した主人を見れば、その視線の先にいるのは一匹の黒狼。

 レンはイルとガヴィに視線を往復した。


「……いや、画的には微笑ましいんだけどよ。アレ、中身は成人も過ぎた人間なんだぜ……?」


 常識とか、そんな事は言いたくないけどよ。端から見たら庭で遊んでるただの飼い犬なんだよな。


 イルが黒狼の姿で庭で転がっているのは日常茶飯事過ぎて、すっかりなんの違和感もなくなってしまっていたレンは「はぁ……」と思わず気の抜けた返事をする。

 この主人に口から常識、なんてセリフが出たことの方に驚いてしまったが、主人はこれでいて仕事に対してはわりと常識人だ。言われてみたら確かにそうではある。


 なんと返答して良いものやらと考えあぐねていると、ガヴィは「イル、ちょっと来い」と黒狼の少女を呼んだ。

 イルは耳をピンと立てるとクルッと起き上がり、ガヴィの元にすぐさま駆けて来た。体に小いさな花や庭草をつけ、金の瞳がくるくると天真爛漫にガヴィを見つめる。


 小さなため息とともに、ガヴィは頭を掻いて屋敷にイルを促した。






「――いいか、狼姿になるなっつってんじゃねえぞ。ねぇんだけどよ、もうちょっとこう、恥じらいっつうかなんつうか……」


「……どういうこと?」



 人の姿に戻ったイルが、きょとんと首を傾げる。ガヴィは目頭を抑えた。


「……いくら狼姿とはいえ、餓鬼じゃねぇんだからもうちょっと気を使えってこと」


 お前中身人間だろ。と言われてイルが困惑する。


「人間らしくしろってこと? 狼が椅子に座ってご飯とか食べたらおかしいでしょ?」

「そういう事を言ってんじゃねえよ」


 ズレてる。


 ガヴィは即座に突っ込んだ。


「よく考えてみろ。あの姿の時はある意味裸なんだから、お前、裸で転がって腹見せてるようなもんだぞ」

「ばっ……!! な、何言ってんのよバカガヴィ!!」


 真っ赤になったイルが思わずクッションでガヴィを叩いて「イテッ」と叫ぶ。


「ふざけてるわけじゃねぇよ! でもそういう事だろ!? 叩くな!」


 片腕でイルの攻撃を防ぎながら言い方を失敗したかと反芻する。

 ……いや、他に言いようがなくないか。


「狼が洋服きたらおかしいでしょ! お家でゴロゴロしてる分には誰にも迷惑かかってないじゃん!」


 顔を赤くしたまま反論するイルにガヴィは最終奥義を繰り出した。


「家でリラックスするのは悪いことじゃねえよ。黒狼になるなって言ってるわけでもねぇ! ……黄昏だってもう庭で転げ回ったりはしねぇだろうが!」


 イルの動きがピタリと止まった。


 やれやれ、と内心安堵の息をつく。


「……ここがお前が気の抜ける場所なのは良いことだけどよ。身も心も獣ってわけじゃねぇんだし、節度は大事だろ。……それとも何か? お手! お座り! って犬よろしく命令されんのがお好みかよ?」


 ガヴィの言葉にイルは唇を尖らせると「……ヤダ」と答えた。


 二人の会話を背中で聞きながら、レンは必死に笑いをこらえる。堪えきれずに小さく「ふ……」と漏れ出ると、耳ざとく聞いていたガヴィが「……レン」と嗜めるものだから無理やり笑いを飲み込んだ。




 なんとか平常心を保って二人の方に振り返ると、イルは「そうなんだけどさ、でもついやっちゃうっていうかさ」と未だにふくれっ面だ。


 レンはイルの側に寄ると、膝を抱えて落ち込むイルににっこり囁いた。



「ガヴィ様はイル様のお顔が見たいのですよ」



 イルはますます赤くなって、ガヴィは「おい!」とレンに噛みついたのであった。





 2025.2.2 了


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