第25話 誰よりも自由に(前編)
予選二回目のRun。
那緒の滑りは明らに様子が違って、最初のエアで着地ミスからの失速、その次の技も高さが足りず不発に終わり得点は延びなかった。
「……さっきと比べると、最初からスピードが足りてなかったね。たまたま、ならいいんだけど」
「どうしたんだろう、那緒」
「実力のある選手でも、こういうミスは案外珍しいことじゃないから。それでも、一回目の得点で決勝には進めるんだ。きっと次は挽回してくれるはずだよ」
「……はい」
確かに、どんなに優秀な選手でも、転倒することはよくある。それくらい難易度の高いところで競っているんだ。
鈴原さんの言う通り、今は那緒のことを信じるしかない。
その後出場選手全員が予選の滑りを終え、決勝に進む上位12人が決定した。
予選一位通過は19歳のジェームス・ライト選手。二回目のRunで記録を伸ばし、那緒の記録を抜いて逆転一位となった。
決勝は明後日の午前。那緒を信じたい……けれどなぜか、すごく嫌な予感がする。
――――
「みっともない滑りだったねぇ。こんな調子なら、決勝、棄権した方がいいんじゃない?」
「……ジェームス」
予選後のインタビューを終え待機エリアに戻ると、ジェームスは壁にもたれ掛かりこっちを睨みつけていた。
鋭い眼光と嘲笑うような表情。
威圧するような態度に腹が立つ。けれど今変に刺激したら、またライアンの事で何を言い出すかわからない。
ボードを持つ手に、指先が痛むほど力が入る。
「俺は……棄権なんてしない」
言い返した瞬間、ジェームスは近くにあった椅子を蹴り飛ばした。
「ふざけるな! お前がいなきゃ、ライアンは今頃とんでもない選手になってたんだぞ! それなのに……」
そんな事、俺が一番知ってるんだよ。
だけどこいつの言葉が刃物みたいに胸に突き刺さって、握った手が小刻みに震える。
「そんなの……お前に言われなくてもわかってる」
不意に大きな舌打ちが聞こえ、ズカズカと近寄るジェームスに胸ぐらを掴まれる。
「……今すぐスノボを辞めろ。お前に続ける資格なんてない」
ジェームスは怒りがにじんだ声で静かに囁くと、俺を突き放してその場を去った。
その反動で、大きな音を立てて倒れたボード。それと同じように両膝の力は抜け、ドンとその場にへたり込んだ。
「はは……どうしたらいんだろ」
事故の事、乗り越えたつもりでいたのに。俺は、前に進みたかっただけなのに。
誰もいない空間に響く、自分の震えた笑い声が悲しかった。
――――
「返事、来てない……」
昨日の予選の後、ホテルで那緒にチャットを送った。
けれど、次の日になっても返信はなかった。既読になっているから、読んではいるだろうけど。
競技の事は、俺も詳しくはない。だから余計に、那緒にどんな言葉を掛けていいかわからない。
頑張れよ、緊張せずにいつも通りに……那緒の気持ちを考えると、そんな安易な励ましの言葉すら言えなかった。
「おーい、天宮くん大丈夫?」
「は、はい!」
明日の決勝を前に、今日は注目選手の取材が入っていた。
その移動中、ぼーっと車に揺られていた俺を、鈴原さんは心配そうに覗き込んでいた。
「ボーッとして、考え事?」
「あ……那緒の事で、ちょっと。チャットの返事も来なくて……」
「んー、そっか。それは、心配だね」
「はい……」
「で、でもさ、決勝に向けて集中してるだけかもしれないよ? 自分なりの方法でリラックスして体調を整えたり、トレーニングしたり、決勝前の大事な1日だからね」
「そうですね……でも、そんな大事な日に、よく取材受けてくれましたよね、このジェームスって選手」
「うん。そんなに長いものじゃないけどね。まぁ、こっちとしては有難いよ」
――――ジェームス・ライト 取材会場
前回の冬季オリンピックの銀メダリストと言うことで、多くの記者が会場に集まっていた。
ジェームスは自信に満ちた表情で、リラックスした様子で座っている。
記者の質問にも簡潔に答えて、まだ19歳と言うのに堂々としたものだった。
『予選では注目の白瀬選手を抜いて一位通過となりましたが、現在の心境はいかがですか?』
「白瀬? 誰それ、そんな選手いたっけ?」
質問を鼻で笑い、バカにしたような態度に、体の熱が一気に上がる。
怒りで震えそうな手を必死に落ち着かせ、ジェームスの憎たらしい程の笑顔をカメラのレンズ越しに睨み付けた。
「俺の目標とする選手は、ライアン・アダムスただ一人。今はもう、彼の滑りを見ることは叶わないけど……それ以外の選手なんて、俺にはどうだっていい。特に、白瀬なんて腰抜けはね」
「ま、誠に申し訳ありませんが、本日の取材はこれで終了とさせて頂きます!」
あまりの礼を欠いた発言に、隣に座っていたコーチが取材の中断を申し入れた。
ざわめく記者達をよそに、ジェームスはしれっとした顔で去っていった。
それよりも、ジェームスから出た言葉に、ある引っ掛かりを覚えた。
ライアン・アダムス……ここでもその名前が出てくるなんて。
それに、那緒に対しても異常な敵意を感じる。
予選後に感じた不安感が、まるで風船みたいに大きく膨らんでいくような気がした。
「あいつ、性格悪いね」
撮影後、撤収作業をしならが横川さんが呟いた。
いつもなら、どの口が言ってるんだと言い返すところだけど、今日だけは激しく同意するしかない。
「けど、あの選手もライアンの事を尊敬してる……やっぱり、ライアンはそれほど存在感のある選手だったんですね」
「ふむ……もしかして、ライアンが白瀬くんと仲が良いから気に入らないのかもね」
「そう、ですかね」
単純な嫉妬心?
事故の事を知っているからか、ジェームスの敵意は、なんとなくそれだけが原因とは思えなかった。
――――
その日の夜、撮影や明日の打ち合わせが終わって横川さん達にご飯に誘われたけれど、那緒の事が気がかりなのもあって、一人ホテルに戻った。
それでも、今だ返事の無い那緒に、どう声をかければいいのか。
(ぐぅぅ……)
考え事をしていても、俺の腹の音は遠慮なしに鳴り響く。
「はぁ、何か食べいくか」
重い腰を上げて外に出ると、近隣には飲食店が何件かあった。
観光気分でいくつか見て回ってみたものの、どこを見ても目玉が飛び出るほど値段が高い。
諦めてカフェにでも入ろうかと考えていると、ある店の前に女性の人だかりが目に入った。
「ごめんね、写真はマネージャーに怒られるから。それ以外なら良いよー」
「ここ! 服にサインして下さい!」
「わたしは右腕にして! あとでタトゥーにするから!」
もしかして、ハリウッド俳優かなんかかな?
あまりの熱気に圧倒されて見いっていると、気付けば女性達は居なくなっていた。
「ん? キミは、どこにサインする?」
「ふぇ? あ、すみません、違います!」
不意に声を掛けられ、慌ててその有名人を見上げると、目の前にあったのは見覚えのある顔だった。
「えぇ!? ら、ライアン!?」
「ハァ~イ」
大声を上げる俺に、ライアンは笑顔でヒラヒラと手を振る。
しかし、その後すぐに訝しげな顔で覗き込んだ。
ライアンは肩まで伸びたブロンドヘアを緩くまとめていた。透き通るような青い瞳と、そばかす混じりの白い肌が妙に色気を感じさせる。
取材の時はじっくり見ることもなかったけれど、近くで見るとその異常な人気の高さにも納得だった。
「キミ……なーんか見たことあるね」
「あ、あの……日本での取材の時にいた、カメラマンです」
引きつった笑いで答えると、ライアンはますます眉をひそめて顔を近づける。
「あぁ! お前、那緒と一緒にいた日本人!」
「あ、はは……どうもー」
俺の事を思い出したライアンは、あからさまに嫌そうな顔で距離をとった。
「もしかして、ハーフパイプの大会の撮影?」
「あ、はい。ライアンは、那緒の応援、ですか?」
「……なんか、馴れ馴れしいね」
「え、あぁ、すみません」
ライアンは膨れっ面で睨んでいた。
これは、もしかしなくても嫌われてる?
でも、ライアンとは話がしたいと思っていたから、偶然にしても、これは願ってもないチャンスだ。
断られるかもしれないけれど、勇気を出して聞いてみることにした。
「あ、あの! 少しだけ、話がしたいんですけど、いいですか?」
「キミと? まぁ、別に構わないけど」
ライアンは少し悩んだようだったけど、意外とすぐにOKしてくれた。
「ほんとですか!? こ、珈琲くらいなら、ご馳走します!」
「はぁ……いいよ、そんなことしなくたって。下っ端カメラマンに奢ってもらうなんて悪いから」
さらりと流れるような嫌味がなんとなく那緒っぽい。もしかして、那緒のあの性格はライアン譲りなのかも。
変な想像が捗って、思わず吹き出しそうになった。
「……なに笑ってんの? ほら、入るよ」
「は、はい!」
笑っていたのはしっかりバレていたようだ。
俺は不機嫌なライアの後を追って、慌てて店内に入った。
――――
ジャズのような曲が流れる、落ち着いた雰囲気の店内。
慣れない英語のメニューに手こずっていたら、ライアンが適当に注文してくれた。
「それで? 話って何?」
運ばれてきた珈琲を一口飲んで、ライアンはムスッとした顔で話す。
「あ、あの……ライアンは、那緒の予選の滑り、見てましたか?」
余計な世間話なんてしてもしょうがない。
恐る恐る、単刀直入に聞きたかった事を尋ねた。
ライアンは特に動じることもなく、静かな声で淡々と答える。
「見たよ。一回目はまぁまぁだったけど、二回目はミスばかりで全然良くなかった」
あの滑りで、まぁまぁか。
ライアンって、スノボに関しては那緒にも厳しいんだ。
「二回目のミスって、たまたまなんでしょうか? なんか、急に調子が悪くなったように感じて」
「……那緒は、昔からメンタルに左右されやすい。一位記録のプレッシャーで、二回目が思うようにいかなかったのかも」
「本当に、それだけなのかな」
ライアンの言うことも理解できる。だけど、単にプレッシャーだけが原因とは思えなかった。
「キミが僕にどんな意見を求めているか知らないけど、今大会において僕はただの部外者だ。これからどうするかは、那緒自身が解決しなきゃいけない事さ」
確かに、そうかもしれないけれど……そんな突き放したような言い方をしなくたって。
「そんな……無関係みたいな言い方、無いんじゃないですか?」
「え?」
「那緒は、事故をきっかけにあなたが引退してしまった事を、ずっと悔やんでる。それでも、ようやくスノボに向き合えるくらい、前向きになれたのに」
感情的に言い返してしまい、思わずハッと我に返った。
「そうか、キミ、事故の事を知ってるんだ」
「……俺が、無理を言って、那緒に聞いたんです。でも、絶対に他に漏らしてません! もちろん、これからも」
「いいさ……いずれわかる事だったのかもしれない」
ライアンはぼんやりと外を眺めながら呟いた。
「
「え……どうして、名前」
「思い出したんだ。帰国前、那緒と話した時、キミの事をずいぶん慕っているようだったから」
「……あの、那緒と話をしてくれませんか?」
「僕が?」
「あいつは、誰よりもあなたに認められたいと思ってる。じゃないと那緒は、また後悔してしまう」
せっかく自分と向き合って、スノボを再開できたのに。
もし、また辛い思いをしてるなら、その思いをわかってあげられるのは、ライアンの他に誰もいない。
「ねぇ、ひとつ聞かせてもらっていい?」
「は、はい」
「煌太は、那緒の事どう思ってるの?」
友達? ううん、ライアンに、そんな嘘は通用しない。
心を落ち着かせるように一呼吸した後、まっすぐにライアンの目を見て言った。
「これからもずっと、そばで支えたい。俺の、一番大切な人です」
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