第16話 自分らしく
ベンチに座り、しばらくぼんやりと遊具を眺めた後、那緒は静かな声で話し出した。
「あの、さ……今度、雑誌の取材で、ライアンとの対談が、あるんだ……」
「……知ってる。それ、うちの撮影、だから」
自分が持ちかけた依頼だと言い出せず、つい歯切れ悪く答えてしまう。
「ふ、そっか。まだ、返事は出してないんだけど……正直めちゃくちゃビビってる」
那緒は笑って誤魔化しているようだったけれど、その手は小刻みに震えているようだった。
「な、那緒が辛いならっ、断って、いいと思う……」
少し考えるように黙った後、那緒はまた静かな声で話す。
「俺さ、今までずっと、事故のことから逃げてたんだ……ライアンの代わりに、自分が滑れなくなれば良かったって、いつも、考えてた」
相手が辛い目に遭うくらいなら、自分が代わりになればいい。そう思うのはきっと、那緒がその人の事を大切に想っているからだ。
それはとても優しいことだと思う。だけど、那緒がそんな風に自身を卑下すると、なぜか自分まで辛い気持ちになるんだ。
それにやっぱり、那緒にとってライアンが大きな存在なんだと、気づかされてしまうから。
黙ったまま俯いていると、那緒は俺の顔を覗き込んで笑う。
「ふふ、なんで煌太がそんな顔するんだよ」
「……そうだよね。はは、どうしてだろ」
俺は結局何も言えないまま、誤魔化すように笑うしか出来なかった。
すると那緒は、まっすぐ前を見つめて話を続けた。
「前にさ、ここで煌太が『大丈夫』って言ってくれただろ?」
「……うん」
「あの時は、そんな訳ないだろって思ってた……でも、不安と罪悪感にのまれそうな時、何でか煌太の言葉が聞こえてくるんだ。そうするとさ、不思議と前に進みたいって思えて……自分で見ないようにしてた気持ちに気づいた」
「那緒……」
「ライアンと顔を合わせると、どうしても事故の瞬間を思い出すんだ。どんな顔して会えばいいか、今だってわからない。だけど俺、変わりたいんだ……だから、取材は受けようと思ってる」
那緒は少しスッキリしたような顔で、夜空を見上げていた。
嬉しかった。自分の言葉で、那緒が前に進もうとしてくれた事が。
でも、素直な思いを伝えてくれた那緒に、きちんと事情を説明しないと。
「ごめん、那緒……ライアンの取材を頼んだの、俺なんだ」
「え……なんで、煌太が?」
事情を打ち明けると、那緒は戸惑ったような表情で答えた。
「甲子園の撮影中、偶然ライアンが日本に来てるって聞いたんだ。それを先輩に話したら、取材を依頼してみようって言ってくれて……ライアンが事故のこと、どう思っているのか、知りたかったんだ! 那緒に話を聞いたときから、ライアンの思いを知りたいって思っててっ……ごめん、勝手なこと、して」
「……そっか」
正直に話すと、俯いて聞いていた那緒はポツリと呟いた。
「でもまさか、対談を持ち掛けられるなんて思わなくって……本当に、ごめん」
恐る恐る那緒の顔を見ると、怒ったようにこっちを睨んでいた。
怒って当然、だよな……
言葉が出ずに黙っていると、急に那緒がフワッと笑う。
その瞬間、おでこに強烈なデコピンが飛んできた。
「いってぇー……」
「バカ煌太。なに勝手に突っ走ってんだよ」
ジトっとした目で睨まれ、反射的に「ごめん」と情けなく呟いた。
「じゃあ、勝手な事した罰として……取材の時、そばで見届けて」
少し意地悪そうに言う那緒は、柔らかく微笑んでいた。
「お前がいれば、自分らしく、いれる気がする。動揺したとしても、見守っていて欲しい……」
「那緒……うん、そばにいるよ。大丈夫、那緒なら絶対、変われるから」
まっすぐ、自分の思いを伝えた。
大袈裟じゃなくて、那緒なら絶対に乗り越えられるって、信じているから。
「ふふ、ありがと……ふぁ~……ダメだ、気抜けたら、眠くなってきた……」
「え?」
「悪い、ちょっと膝、借りる……」
大きなあくびの後、那緒は目を擦りながら、俺の膝の上に頭を乗せて倒れ込んだ。
(え、えぇぇぇ!?)
「ちょ、ちょっと那緒……」
声を掛けたときにはすでにスヤスヤと寝息が聞こえてくる。
全く、どんな状況だよ……いきなりの膝枕と、赤ちゃん並みの寝付きの良さで、動揺が止まらない。
でも、大会に向けたトレーニングとライアンの事で、きっと体も心もすり減っていたんだろう。
男の固い膝の上なのに、気持ち良さそうに眠る那緒の髪を撫でる。それはまるで猫の毛みたいにフワフワで、とても触り心地が良かった。
「これ、誰かに見られたらどうすんだよ」
誰もいない夜の公園、男同士で膝枕なんて状況。考えただけで、思わずふふっと笑いが込み上げる。
ちょっと意地悪く那緒の頬をつつくと、少しだけ眉をひそめる。その様が面白くて、つい何度もツンツンと頬をつついた。
「ふふ、まぁいっか」
――――対談取材当日
そろそろ対談が始まる時間。
チャットでも話したけれど、やっぱり顔が見たくなって、那緒の控え室を訪れた。
「那緒……大丈夫か?」
「……煌太、お疲れ」
部屋に入ると、那緒は椅子に座って考え込んでるように見えたけれど、俺に気づくと明るい表情で笑った。
それでも前みたいな、無理をしているような感じはしない。
「うん、今は落ち着いてる。ふ、煌太がいてくれるおかげかもな」
「そ、そっか! 安心した……」
那緒の素直な言葉に動揺して、気の聞いた言葉が出てこない。
「じゃあ、もうすぐ始まるから……頑張ってね、那緒」
「うん、ありがとう」
正直気持ちは落ち着かないけれど、那緒が頑張っているんだから、なにがあっても見届けないと。
――――対談 那緒side
取材の時間になり部屋に通されると、まだライアンの姿はなかった。
椅子に座り深く深呼吸をする。少し気持ちが落ち着いて、目を瞑ってライアンの事を考えた。
ライアンと最後に会ったのは、日本に帰る前。黙って行こうとしたのに、どこで知ったのか、カナダの空港まで見送りに来たんだ。
突然の事に驚いてしまって、俺は目も合わせられずに、よそよそしい態度でライアンと別れてしまった。
(あれ以来か……事故の加害者である俺が、見送りに来てくれたライアンにあんな態度とるなんて……ほんと、ろくでもないよな)
どうしてライアンは、俺に拘るんだ。あんな事故に遭ったのに、どうして俺の事、恨まずにいられるんだろう。
いや、ライアンは俺の事、本当は、どう思っているんだろう。
『ライアン選手入ります』
スタッフの声に、無意識に体がこわばった。
「那緒ーー!」
ライアンは俺を見つけると、すごい勢いで抱きついた。
突然の事に頭が動かず呆然と立ち尽くしていると、ライアンは喜びが収まらない様子で俺に話す。
「会いたかったよ、那緒……ずっと、会いたかった」
「お、大袈裟だよ……休養で帰ってただけなのに」
「だって、那緒がいないと寂しくて、はやくカナダに帰ってこないかって、毎日思ってた……だから、今日はすごく嬉しい!」
「……ありがとう、ライアン」
ひとしきり喜びを伝えたライアンは、ようやく落ち着いたように腰を下ろした。
ライアンは座ってからも俺の方を見てニコニコと笑っている。そのにこやかな笑顔を見ていると、なぜか不安な気持ちになった。
『本当に仲がよろしいんですね。本日は、お二人の自然な会話を伺いたいと思っております。もしよろしければ、今後の活躍への意気込みなんかもお聞きしたいので、どうぞよろしくお願いします』
「OK。ワカリマシター」
「……よろしくお願いします」
ライアンは通訳の話を待たず返事をする。
話すのは少し片言だけど、俺たちは家族ぐるみで仲が良かったから、ライアンは日常会話くらいなら日本語を理解できる。
『まず、ライアン選手と白瀬選手の間柄についてお聞きしてもよろしいでしょうか』
「那緒は、子供の頃に近所に越してきたんだ。とっても可愛かったから、僕から声を掛けて、友達になったんだけど……それからは何をするのも一緒で、今でもずっと仲良しなんだ。ね、那緒?」
「……うん、そうだね」
嬉しそうなライアンを見ていると、心が痛んだ。
今の俺の気持ちは、きっとライアンと同じじゃない。自分のしたことが怖くて向き合えない、ただの情けない幼馴染みだ。
『素敵な関係性ですね! コーチに転身されたライアン選手ですが、白瀬選手のご活躍をどう見られていますか?』
「那緒はね、すごく綺麗な滑りをするんだ。コーチをしてる僕から見て、最高のスノーボーダーさ。だから、現役時代の僕の技も、那緒なら絶対自分のものにできると思ってる。僕のスタイルを受け継いで、ゆくゆくは最高のハーフパイプの選手になるはずだよ!」
受け継ぐ……ライアンはよくその言葉を使う。
滑れなくなったライアンの代わりにって、頭では理解したつもりだけど、その言葉を聞く度に、思いきり叫びだしたくなるような衝動に駆られた。
ライアンはダブルコークやトリプルコーク等、高難度のトリックを得意とする選手だ。それでいて技の完成度も恐ろしく高い。
それは尊敬すべき事だし、すばらしい選手だったと思う。
だけど俺は、煌太が凄いと大口を開けて驚いた、あのバックサイドエアーが好きだ。
高く、高く飛んで、もっとあいつを驚かせたい。だから……もっと自由に、スノボに向き合いたい。
「お、俺は……」
本当に、いいのか……ライアンからスノボを奪った俺が、こんなことを言って。
言葉が詰まって顔を上げると、カメラの向こうに煌太の姿が見えた。
まっすぐに見つめる目にドキッとする。
けれど同時に、向き合う勇気が湧いてくるような、そんな気がした。
「ライアン……俺、ライアンの代わりにはなれないよ」
まっすぐ目を見て伝えると、ライアンは信じられないといった表情で固まる。
「……え、どうして? 那緒は、僕のことなんてもう、どうでもいいの?」
「違うっ、そうじゃなくて……お、俺は、自分らしく、自由なスタイルで滑りたいんだ。だから……」
「そっか……そう、なんだ」
言葉を遮るように、ライアンは小さく呟いた。
その後、暗くなった空気は変わらずに、取材はすぐに打ち切られた。
本当にこれで良かったのかわからない。
けれど撮影が終わってから煌太の顔を見た途端、急に緊張がとけたみいに感情が溢れてきた。
「お疲れさま……那緒の気持ち、ちゃんと伝わったよ」
優しく微笑む表情に、胸が締め付けられるようで、俺はまた煌太の胸の中で泣いた。
「ありがとう、煌太……本当に、ありがとう」
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