第13話 来日
ジワジワと騒がしい鳴き声が、まるで大合唱のように至るところから聞こえてくる。そう、季節は夏真っ盛りだ。
最近は毎年のように聞くようになった、この時期の観測史上の最高気温、連続猛暑日の記録更新。記録的なことだけど、これは全然嬉しくない。
不要不急の外出は控えるようにとテレビでは呼び掛けてはいるが、そんなのは関係ない。
俺は今、甲子園にいる。
暑い、暑すぎて、じっとしていても身体中の毛穴から汗が吹き出してくる。
それは体の水分も底を尽きそうなほどで、さすがに限界を迎えそうな時、審判の声と共にようやく試合は終了した。
「はぁー、やーっと終わったよ。球児たちの夢の舞台ってとこだけど、死ぬほど暑いね! このくそ暑い中走り回って、選手たちには頭が下がるねホント」
横川さんは冷却ファンの付いた服と、首にも小型のファンを巻いて、完璧な暑さ対策をして撮影に挑んでいた。しかしそれでも、不謹慎な愚痴が出る程に暑いのだ。
「天宮くーん、死んでなーい? ちゃんと水分摂りなよー」
「……まだ、ギリギリ死んでません。横川さんのその首に巻いてるの、涼しそうですよね……ちょっと、見せてくださいよ」
「これね! 甲子園の撮影に向けて買ったんだよ。一昨年の撮影の時は何も対策してなくて最悪だったからねー」
横川さんは首から外したファンを見せてくれて、購入のエピソードを自慢げに語る。
「へぇー、いいじゃないですか。もうちょっと、よく見たいな……触っても、いいですか?」
ゾンビみたいに手を伸ばすと、横川さんはサッと、手を引っ込めた。
「あぁ……」
「ふ、天宮くん、キミの考えなんてお見通しだよ。でも可愛そうだけど、こればっかりは譲れないね!」
「うっ……うぅ……酷いや。ちょっとくらい巻かせてくれたっていいじゃないですかぁ……」
「あらら、泣いたら余計に水分出ちゃうよー。ふぅ、やっぱり涼しいね、コレ」
再びファンを首に巻いて、したり顔で涼みだす横川さん。普段はいい先輩なのに、こんなに殺意が沸いてきたのは初めてだった。
「ほらほら二人とも、今日はもう終わりだから、遊んでないで片付けるよ」
「鈴原さん……だって、横川さんがぁ」
先生に言いつけをする子供みたいにリーダーの鈴原さんに助けを求めたけれど、呆れたようにため息を付かれてしまう。
「はぁ、天宮くん、なんか暑さで幼くなってるみたいだけど、横川くんは元から性格が悪いんだから、そんなんだと逆に喜ばせちゃうよ。片付け終わったら、冷たいものでも食べ行こ? 暑い中頑張ったから、僕の奢りで」
「す、鈴原さーん! ありがとうございますぅ!」
普段から優しいけれど、今日は特に光輝いて見える。そう、まるで冷たい湖の神様みたいだ!
祈るような格好で喜んでいると、隣で横川さんがニヤニヤと笑っているのが見えて、また少しだけイラッとした。
「わ、すげぇでかい! こんなに食べれるかな」
「ここ、前にも来たことあるんだけど、多く見えるけどフワフワだからペロリだよ」
撮影が終わってから、鈴原さんのおすすめのかき氷屋にやってきた。なぜか横川さんも入れた三人で。
「そうなんですね! で、なんで横川さんまでいるんですか?」
じろりと横目で睨むと、横川さんは楽しそうにヘラヘラと笑っている。
「ま、まぁいいじゃない。ほら、溶けないうちにはやく食べちゃお」
「そーだそーだー。うーん、冷たくて美味しい!」
くそっ、でも奢ってもらって文句なんて言えないからな。
せっかく先輩たちとの食事の機会なんだ、気持ちを切り替えよう。
それにしても、迫力のあるかき氷だな。トロピカルエスプーマというよくわからないメニューにしたけれど、山盛りになった黄色いかき氷に、これまた黄色っぽいモッタリとしたクリームみたいなのが豪快にかけられている。
どこから手を付けようかと眺めていたら、どこかのスイーツマニアの顔が思い浮かぶ。
そういえば、見るからに那緒が喜びそうな見た目だ。さっそく自慢してやろうと、スマホで写真を撮って那緒に送りつける。
「あれ、天宮くんどうしたの? スマホ眺めてニヤニヤしちゃって……顔もなんだか赤いよぉ?」
「な、なんでもありませんよ!」
本当に、なんでこんなに目ざといんだよ。俺はスマホをさっと隠して夢中でかき氷を頬張った。
「むぐっ…………つ、冷たっ!」
今回は、取材対象である
来る前は初めての出張とあって楽しみだったけれど、毎日の暑さに完全にやられていた。
唯一の楽しみは、安価なホテルの涼しい部屋で眠ること……あ、それにもうひとつ、一番の楽しみは、夜に那緒と電話で話すことだ。
あれから、那緒とはちょくちょく会うようになった。毎日しょうもない事を連絡しあったり、仕事終わりに公園でアイスを食って喋ったり。それはきっと、友達としてで、少なくとも、那緒にそれ以上の気持ちは無いと思っている。
でも今はそれで満たされているし、とても幸せなんだ。今日もベッドに寝転がって、満たされた気持ちで那緒の声を聞いていた。
「ふふん、羨ましいだろ、かき氷」
「いーなー。俺、今年はまだ食べてない……」
「そうなの? じゃあ、帰ったら食べに行こうぜ」
「うん、行きたい! 今から店調べとこっかな」
「ふ、楽しみ。いい店探しといてね……ふぁ~ぁ……」
「眠いのか?」
「う……ごめん。今日も1日外で疲れちゃって」
「もう寝たほうがいいよ。明日も撮影あるんだろ?」
「ん、でも……那緒と、もっと、話したい……」
「……煌太?」
「…………んぅ」
「寝ちゃったのか……なぁ、はやく帰ってこい。会いたいよ、煌太」
耳元で微かに那緒の声がした。淋しそうな声で、会いたいって聞こえた気がしたけれど、きっと夢だな。きっと、都合のいい俺の夢。
次の日の撮影は早朝からで、選手たちの練習風景の取材だった。
バシンと心地い音を響かせて、ボールがミットに吸い込まれるように入っていく。野球はあんまり詳しくないけれど、この投手が凄いのは見ているだけでなんとなくわかった。
「練習から本気だね。ピッチャーの鳥居くん、3年生なんだけど、もうスカウトもいくつかきてる有能選手なんだよ。卒業後はプロも夢じゃないって感じだねぇ」
「そうなんですか。詳しいですね」
「これくらい、下調べしとかなきゃね。あ、そうだ。はいコレ、天宮くんに」
横川さんは鞄から輪っかみたいなモノを出して渡してくれた。
「これって」
「水で濡らすだけで、しばらくは冷たいよ。昨日コンビニでたまたま売ってたから、天宮くんにって思って」
「よ、横川さん! ありがとうございます!」
予想してなかった優しさに感激して、思わず汗まみれの手で横川さんの手を握ってしまった。
「いやぁ、べちょべちょじゃん! ちょ、離してよ天宮くん!」
心底嫌そうに手を引っ込める横川さんの姿が見れて、胸がスッとして晴れやかな気分になれた。
「でも、なんで急に優しくなっちゃったんですか?」
「む、その言いぐさは何だか腹立つけど……天宮くん、なんだか最近は調子良さそうだし、頑張ってる後輩を労うのも、先輩の役目ってやつよ」
「先輩」
その言葉に素直に感動していたけれど、自慢気に話す横川さんの後ろで、鈴原さんが意味深に笑っているのが見えた。
「……もしかして、鈴原さんに何か言われたんじゃ」
「ち、ちがうよ!? あくまでも、僕が自主的にやったんだよ」
明らかに動揺している姿を見ると、真相はバレバレだった。だけどまぁ、有り難いことだな、うん。
「ふふ……早速、トイレで濡らしてきます!」
トイレに入ると、ちょうど他社のカメラマンが二人で談笑していた。少し気まずいなか、手洗い場でネッククーラーを水で濡らしていると、会話が嫌でも耳に入る。
「そういや先週から、スノボのライアン・アダムスが来日してるらしいぜ。今はコーチだけど、オフで日本の友達に会うんだとよ」
「マジですか!? 元人気選手だし、どうにかウチで取材申し込めないかなー」
正直耳を疑ったけれど、その名前を忘れるなんて絶対にない。本当に、ライアンが日本に来てるのか? 那緒は何も言っていなかったけれど。
でも、日本にいる友達なんて、那緒しかいないだろう。
俺は頭が混乱して、蛇口の水を出したまま、しばらくその場から動けなかった。
「もう、遅いよ天宮くん。早くこの後の試合の場所取りしなきゃ……ってどうしたの? 暗い顔して」
「あ、いえ……そ、それよりコレ、めっちゃ冷たくて気持ちいいですね! そうだ、場所取り早く行きましょ」
とっさに話題をそらせて、慌ててカメラや機材を運んだ。きっと横川さんにはおかしいって思われただろうけれど、頭の中はライアンの事が気になって、正直撮影どころの気分ではなかった。
何とか間に合って、ちょうどいい撮影の場所を確保できて一息つくと、隣で横川さんがすかさず声をかけてくる。
「でさ、何があったの?」
「なな、何もありません、けど」
怪しむように聞かれて、焦って目線が泳いでしまう。
「天宮くんはわかりやすいから、何かあるとすぐ顔に出るんだよねぇ。どうせさっきのトイレで何か気になることでも聞いたんでしょ」
「な、なんでわかるんですか!?」
「あ、当たり? ラッキー! さ、話して話してー」
くそ、罠だったのか。まんまと嵌まった俺を見て、楽しそうな横川さんはニヤニヤしながら急かしてくる。
もう仕方ないと思って、渋々トイレでの事を打ち明けた。
「ライアン・アダムスが来日……へぇ、珍しいね。確か、現役退いてコーチをやってるんでしょ? 日本にもコーチの仕事で?」
「オフで、日本にいる友達に会うため、らしいです。たぶん、白瀬選手だと……」
「白瀬選手か。ま、現役時代は親交があって、彼今帰国し可能性はあるかも。でも、それって何も問題ないんじゃない? 昔馴染みの仲の良い選手に会いにって感じで」
「それは、そうなんですけど」
横川さんは、ライアンの引退の原因が那緒にあることを知らない。その事実は非公開にされているし、絶対に口には出来ない。
何も言えずに固まっていたら、横川さんが「ふぅ」と軽くため息を吐いた。
「そんなに気になるんならさ、ダメもとで取材を申し込んでみたらどうかな?」
「そ、そんな事、出来るんですか?」
「わかんないけど、ライアンが許可してくれれば可能でしょ。今度、一緒に鈴原さんに相談してみよう」
「横川さん……ありがとうございます!」
これで、ライアンに何か話が聞ければ、那緒の苦しみも、少しは軽く出来るかもしれない。
また横川さんの手を握って気持ち悪がられたけど、本当に感謝しかなかった。
まだ許可がとれるかはわからないけど、なんとか、那緒の力になりたい。ライアンと何か接点がほしい、今はそれしか考えがなかった。
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