VI
四人は沈黙した。箱は観覧車の一番高いところへやってきた。そこは地上から遠く離れて暗く、窓の外にはぐるりと闇に包まれた平野と、はるか向こうには生駒山の暗いシルエットが見えた。日はもうとっぷりと暮れていたが西の地平線にだけまだわずかにオレンジ色の光が残っていた。それから箱は徐々に高度を下げて、街が再び見えてきた。カーブを曲がって大阪駅に入ってくる電車が見えた。低いビルの上にぴちょんくんが青く輝いていた。人で一杯の交差点とドンキ、その向こうには高架の道路を流れる車、その向こうには中小の雑多なビルの連なり。見知らぬ世界、新しい世界。未知の人々と出会える場所はみなビーチだ。アキのビーチ、私のビーチ。人にはみなそれぞれのビーチがある。
箱が地上に着いたときには私の心はすっかり整理されていた。
「ミツキ、イトハ、声かけてくれてありがとう。東京来るときは連絡して。ビーチを案内するから」
「ビーチはもうないんとちゃうの」
「大丈夫。私ら、ついにビーチを見つけたから。そこへ行けばいつでも仲間たちに会える永遠のビーチ。ビーチはここにある。私らの心の中に」
「またわけ分からんこと言うてはるわ」
ミツキたちとはそこで別れた。バスの出る時間までにはまだ間があった。地下街でみつけたカフェで食べたいちごサンデーとチョコバナナサンデーを夕食にした。東京行きのチェリーバスは十時発だった。アキに窓際の席を譲ろうと思っていたのにアキはさっさと気を利かせて真ん中の席に座ってしまった。私は窓際の席に座った。
バスが動き出した。方向音痴の私はすぐにどこを走っているのかわからなくなった。携帯で地図を見ているとバッテリーが切れて、いきなり画面が暗くなった。私は携帯をしまい、薄く開けたカーテンの隙間から窓の外を眺めた。しばらくするとバスは一色線の高架の上を走り出した。道路の横には郊外へと向かう電車の線路が平行に走っていて、後ろから来た電車がバスに追いつい、追い抜いていく。その中には薄緑色の蛍光灯に背後から照らされて干し肉のような色をした人々が並んでいる。自分のねぐらへと帰る人たち。私も遠距離バスの中に詰め込まれ運ばれていく。どこか遠くにある悲しいねぐらへ。
やがてバスは京都をすぎ、深い山の中へ入っていった。カーテンの隙間から差し込む橙色のランプのリズムも間隔が長くなってゆき、私は心地よい振動に包まれ、いつしか歌の歌詞でも口ずさむように呟いていた。
ビーチ。それは新しい世界の幕開け。未知の人々と会い、未知の人生を刻む場所。退屈な日々から抜け出して夜の中へ繰り出し、未知の国の街や村や砂浜を旅したりする人は、みなビーチを求めているのだ。
ビーチ。それは私らが広がっていくための中継地。世界へと拡散し、浸透し、世界を丸ごと手に入れるための前哨地。
ビーチ。それは誰の中にもある、未知に向かって開かれた可能性。恐れを知らぬ私らの希望と誘惑の舞台。
「あっ」
橙色のランプが途切れた……と、そのとき巨大な闇の塊でしかなかった山々の間に、燐光を放つ蛾が地底から浮き出るようにして、銀色のビーチが現れた。銀色の砂の浜辺とヤシの木、水着やパレオ姿で夢遊病のように行き交う人々、月の光に輝く銀色の波頭……それはバスのスピードに合わせて刻々と角度を変え、懸命に目で追いすがろうとする私をやすやすと振り切るようにして、また何事もなかったかのようにどす黒い闇の中へと溶けていった。
終
ビーチ 荒川 長石 @tmv
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