ビーチ
荒川 長石
I
これからは大阪や! 大阪に行って、ビーチでヒョウ柄のおばさん探すでえ!
そんなアキのエセ大阪弁の啖呵にのせられて正月明けの二日の夜、私らのプチ家出は始まった。それはアキが提案したことだったけど、私はアキをさらにあおるようにして実際の実行にまでこぎつけたのだ。夜行のチェリーバスに揺られること八時間、着いたのは大阪・難波の広い道路沿いの停留所だった。大阪の地理にはうとかったがどうやらそこは都会のど真ん中らしく、道の上には高速道路の高架があり横には高層ビルも立っているのだが辺りはまだ閑散としている。ようやく夜が明けようとしていた。
「朝の六時じゃコメダも開いてないじゃん!」と文句を言いながら化粧道具の詰まったカバンを肩にかけて裏通りを歩く。秋葉原のようなアニメショップやメイド喫茶などが並んでいるがもちろん店はまだ閉まっている。道路にはあちこちに飲み物をこぼしたあとが黒ずんでいて汚らしい。何色ともつかない地味な色合いのジャンパーを着たおじさんがゴミ袋を乗せた手製の小さなリヤカーを引きながら白い軍手に炭バサミのようなものを持ち、駐車場の柵の隙間に落ちている空き缶を拾い集めている。
化粧をしないと力が出ないアキは寡黙で無愛想だ。だがその足取りは軽く、動物的なカンに導かれるようにして早朝の見知らぬ道をたどっていく。アーケードつきの商店街を抜けると、二人は少し広い広場のような場所に出た。
「ここがビーチ……?」
アキが目星をつけてやってきたその広場は二つの漫才劇場に挟まれていた。一方の劇場は唐門をかたどったファサードのある建物、もう一つの方はビルになっていて、一階はドンキの店になっている。ビーチとしては微妙だった。辺りは清々しい朝の光に満ち始めていて、ポリ袋を片手に持った地味な格好のおじさんがうろついている。
かつて、渋谷はビーチだった。私らがこの目で見たわけではないが。私らが街に出るころにはビーチはもうとうの昔に終わっていた。アキがそう言うのだから間違いない。だから私らにとっての渋谷はもう最初から終わっていたのだ。もちろんヤマンバなどももうどこにもいなかったが、それでも私らはビーチの残り香を求めて裏通りの店跡やプリクラショップをうろついた。街の片隅にひっそりとたたずむ史跡をまわる歴史好きの子供のように。渋谷は「大人の街」へ向けた整形手術を何度も繰り返していた。携帯電話が普及すると出会いの場はビーチからSNSへと移り、渋谷のビーチには最終的にトドメが刺されたのだ。だから私らはアキの嗅覚をたよりに、ビーチというはかない夢を抱いて大阪くんだりまでやってきたのだ。
私らは外泊を許すような家ではなかったけれど、どちらも家に居場所がなかった。アキの家は父親が厳しかったし、私の家は母親がうるさかった。私には歳の離れた弟がいた。親は来年中学受験の弟にかかりっきりだった。私は放任されていたが、そのくせハンバーガー店でのバイトがバレると母は怒り狂った。母は世間体だけはいつも過剰なほど気にするのだ。
親にべったりのクラスメートを見ると私はイライラする。だから私はアキに近づいたのかもしれない。アキは父親と仲が悪かった。アキの父親はアキの母親に暴力を振るい、アキが母親をかばうようになると、やがて父親の矛先はアキへと向けられた。ある日、アキは眼帯をして学校にやってきた。休み時間に私にだけ眼帯をとって頬骨から目にかけての赤い腫れを見せてくれた。「父にやられた」とアキはあの独特のこともなげな口調で呟いた。
「サオリは考えすぎなんだよ」とアキは言う。「サオリの家族はみんな頭がよすぎんだよ。サオリも手がかからないから放って置かれてるんじゃん。オレとこなんかバカだから、みんな勝手なことばかり言ってる」
手がかからないのは、母がイライラした顔をするのを見るのが怖いからだ。でも、私がすぐにイライラするのもきっと母の真似だ。私には人が分からない。人が怖い。私もきっと人を怖がらせているのだろう。私には自分が分からない。私はいつもアキのあとについていくだけ。アキは行動の人。私はいつものろい。アキは初めて会う人の前でも物怖じしない。私は人見知りだ。
難波駅高架下のコメダでトースト付きのカフェオレを飲み、しばらくテーブルに突っ伏してうつらうつらした。それからトイレで一時間ほどかけて化粧をした。ドンキで買った、ハサミで長さを調節した手製のつけまつ毛。目の周りをポスカで黒く塗り、上下のまぶたと唇と鼻ばしらを白く塗る。
「アキ、すごい顔になってるよ」
「いいんだよこれで」
「でもそれじゃ歌舞伎みたいだよ」
「そうやってんだよ。テメーもガングロ極めるためにここに来たんだろ。ツヨめツヨめにいかんとヒョウ柄に勝てんだろ」
「アキ、マジックはみ出てるよ」
「テメーもういいからコマケーこと気にすんなや」
私もいつもよりツヨめツヨめにいってみた。立派なヤマンバに生まれ変わった私たちはその出来に満足し、活動を開始した。
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