俺はベッド
@EnakaMino
俺はベッド
俺はベッド
目が覚めたら、丸い二重の蛍光灯が目に飛び込んできた。蛍光灯からは紐が伸びていて、垂れ下がる紐につられるように下へと目をやると、白い布団と柵が見える。
体は動かない。
壁に掛けられた丸い時計が針を刻む音が聞こえる。
そうして、どれだけの音を聞いていただろう。お腹いっぱいの音を聞いてようやく俺は現実を受け入れることにした。
どうやら俺は死んで、ベッド(木製)に転生したらしい。
生前の俺は、寝ることがなにより大好きだった。
幼いころから使っていたお気に入りの布団。とにかく俺は、その布団とともに生きてきた、と言っても過言ではない。
ふわっふわの手触りで綿雲に包まれているかのような感触。
疲れているときは、なめらかなゼリーのように柔らかく感じたし、唯一付き合っていた女の子にフラれたときは、一緒に落ち込んでくれているかのように重く感じられたりした。
そうなのだ、フラれたのだ。
付き合ってすぐ、俺の家に来ることになって、そういうエッチなことをするのだと期待に胸を膨らませていたのに、いざシャワーを浴びて部屋に戻ると、彼女の姿が消えていたのだ。
荷物はあるからそのうち帰ってくるかなと思って待っていても、一向に帰ってこず、逃げられたのだとわかり、わんわん泣いた。一度も使わずに終わったコンドームは捨てられずに棚の奥に隠した。
その日の布団は重くのしかかり、ああ、もう二度と彼女はできないんだろうなと悟ったのだ。
「別にいいさ、俺の彼女は布団だから」
よくそんな軽口を会社で言っていたっけ。
まあそんな感じだったから、仕事から帰ってすぐ布団にくるまるし、休みの日は1日中布団から出なかった。数少ない友だちも、社会人になって自然消滅した。
布団の中で携帯を触ったり、布団を被りながらゲームをしたりするだけで満ち足りた気持ちだった。布団に入っていなかったのは、トイレとお風呂のときくらいだろう。
ある日、夜中に目が覚めた。頭が割れるように痛み、携帯電話に手を伸ばしたところまでは記憶にある。
そして気がつけば、俺はベッドになっていた。
人間としての自分は死んだ、という事実に少し寂しくはなるけれど、特段気にかかるような人間関係もなく、親も既に他界していたためすぐに諦めがついた。よほど人間関係が希薄だったのだろう、と他人事のように思う。
まあ、この事実を受け入れる以外にすることはないし、布団にくるまっていたら布団になった、というのは少し笑える話でもあった。
俺の体は、全体的に薄茶で、柵で囲まれており、下に荷物を置くスペースがある。お腹の部分には白い布団と、薄手の毛布が置かれている。
いわゆる、ベビーベッドってやつだ。
よりによってベビーベッドか……となぜか落胆する。いや、別になりたいベッドが他にあるわけでもないけれど。
ここは、四畳半の和室のようだ。壁は薄汚れていて、古びた感じ。
俺には目がついているわけでもないのに、どうやって周りを知覚しているか、不思議になる。意識をすれば周りを見られるし、自分の体を見下ろすこともできている。
ゲームの画面を上下に少しだけ動かせる感じだ。これがゲームだとすれば、ひどく退屈なゲームになりそうだ、と思った。
扉が開く音がした。
誰かが近づいてくる。
若い女性だ。明るい茶髪をひとまとめにし、黒いワンピースを着ている。腕には赤ちゃんを抱えている。
「ほら、ミユ。ここがあなたのお部屋だよ」
柔らかくあたたかい感触が、腹の上に広がった。生まれて間もない赤ちゃんだ。
その瞬間、とてつもない幸福感に満たされた。お気に入りの布団にくるまっていた感覚を思い出す。
「ミユ、嬉しそう。このベビーベッド買ってよかったー」
母親の言葉に、赤ちゃんの名前がミユ、ということがわかった。
ミユちゃん。
とてもかわいい響きだ。
赤く、透き通った肌。赤ちゃんを抱っこなんてしたことないけど、あらかじめDNAに刻み込まれていたかのように、自然に抱っこできた。というか、俺って腕ないんだった。抱っこじゃないな。置かれているだけだ。
ミユちゃんは、とてもおとなしいタイプの赤ちゃんだった。というか、おとなしいタイプの赤ちゃんに、俺がしてしまったのかもしれない。
ある日、俺は視界の端に、数字が映っていることに気がついた。
数字は2と刻まれていて、その下にメモリのようなものがある。そしてそのメモリは、ミユちゃんが笑ったり泣き止んだりするたびに伸びていき、ある程度までいくと数字がひとつ増えてメモリがゼロになった。
ピロリ―ン
『レベルが上がりました』
頭の中で、安っぽい音と機械的な声が聞こえた。メモリは経験値のようなもので、それが貯まるとレベルがひとつ上がるらしい。まるでゲームそのものだ。
経験値はミユちゃんの居心地を良くすれば良くするほど増える。俺はミユちゃんにとって素晴らしいベッドになればなるほど、レベルが上がるという仕組みのようだ。
レベルが上がるとどうなるのか。
色々と試してみた結果、どうやらほんの少し、ベッドの形態を変えることができるようになるとわかった。
レベル2だと、敷布団の綿をほんの少し増やせた。
レベル3だと、枕の幅を少し広げることができた。
レベル4だと、掛布団を少し柔らかくすることができた。
そして今はレベル5。ベッドの高さをある程度、自力で変えることができるようになった。
ミユちゃんはもうすぐ1歳を迎える。まだ歩いていないけれど、ときどき立ち上がるような仕草をするようになった。ベビーベッドって何歳まで使えるのだろう。
「この子、ほんとにこのベビーベッドが好きなのよ。中古で買ったやつ」
ミユちゃんの母親が携帯電話で話している。えっ俺、中古だったの? 俺の意識がないとき、このベッドはなんだったわけ?
「そうそう、ミユはベッドに入れてさえいれば大人しいから。全然、大丈夫」
ほとんど家にいないと思ったら、母親は彼氏の家へ行っているようだ。信じられない。正直ぶん殴ってやりたいくらいだが、あいにく俺はただのベッドなのでミユちゃんを乗せていることしかできない。
「私、ちょっと出かけてくるから。おとなしく寝ているのよ、ミユ」
母親は化粧をして行ってしまった。こうなると2時間は戻ってこない。俺は相手の男が早漏になって早く別れたらいいのに、と心の中で呪いをかける。
大丈夫だよ、ミユちゃん。俺がついている。俺がずっとミユちゃんと一緒にいてやるからな!
綿をほんの少し多めにいれる。ベッドに少し傾斜ができて、ミユちゃんはキャッキャと笑った。
ピロリ―ン
『レベルが上がりました』
上がったレベルで、もし足が生えたら母親を追いかけてやるのに、と思っていたら、足裏に車輪がついた。けれど、自力では動かせなかった。意味ないな。
瞬く間に時は過ぎ、ミユちゃんは2歳になった。
そして俺は、子ども用ベッドへと進化した。レベルが上がると進化するとか、ゲームのモンスターなのかな、俺。
レベル10になったとき、ベッドの形態を1回変化させることができる、と文字が浮かんだ。そして俺はその権利を使い、子ども用ベッドになったのだ。低めの柵がついている、小ぶりなベッドだ。
突然ベビーベッドが子ども用ベッドになったらさすがにおかしいと気づくはずなのだけれど、母親は「ママが買ってくれたのかな。ラッキー」と言ってさらっと流してくれた。
この母親がおおざっぱな性格でよかった、と初めて思った。
ミユちゃんは今、保育園に通っている。
母親は昼間、小さい会社で働き、夜はときどき彼氏を連れてくるようになった。
母親よりは年下で、明るい茶髪で、いかにも遊んでいそうなチャラチャラした男。ミユちゃんが保育園にいる間、ときどき彼氏を家に入れて、目の前で獣となって交尾するようになった。
興奮…なんてものはしなかった。ベッドになって性欲が消えたのか、困った人たちだとしか思わなかった。
母親がミユちゃんの父親と別れて寂しがっていることも知っていたし、母親が依存体質であることもわかっていた。ミユちゃんがいないところでやっていることがせめてもの救いだ。
「べっちゃん」
ミユちゃんは俺をそう呼ぶ。
もちろん俺は返事なんてできないし、抱きしめてやることもできない。
ただそう呼ばれたときは、少しだけ布団の厚みを変えてあげる。すると、ほんのわずかなその違いをミユちゃんは感じとり、きゃっきゃと笑ってくれるのだ。
「ミユね、ベっちゃん、だいすき!」
俺もだよ、ミユちゃん。
ミユちゃんは世界一かわいい。俺のミユちゃん。綺麗に、大きくなっていく姿を、ずっとそばで見られたら、なんて思うくらいに俺はミユちゃんにメロメロだ。
気がつけば、ミユちゃんは小学校に通うようになった。
それに合わせて、俺はどんどん自分をカスタマイズした。
ミユちゃんの体に合わせて一番フィットする大きさにし、寝相があまりよくないミユちゃんに合わせた柵をつけ、マットレスは寝返りがしやすく居心地のいい固さを追求した。
小学校では、いろいろとストレスが溜まることもあるだろう。疲れているミユちゃんを、ベッドにいる間だけは最大限にリラックスさせてあげたい一心だった。
それに応えてくれるかのように、ミユちゃんは学校から帰ると俺のところへ真っ先に飛び込んでくれる。
「ああー……ただいま、ベっちゃん。今日もべっちゃんは最高だよー」
おかえり、ミユちゃん。その言葉を待っていました!
今日はマラソン大会があるから、いつもよりベッドの下のほうにわずかな傾斜をつ け、足が少し上がるようにしたのだ。足を上げて寝たら、むくみとか疲れとかがとれやすくなるからな。
「なんでべっちゃんって、こんなに気持ちいいんだろう」
ピロリ―ン、とレベルがまた上がった。
レベルが上がれば、またできることが増える。
そのうち足でも生やして動けるようになるのでは?と期待しているが、今のところ常識的なベッドの範囲からはみ出した能力は使えそうにない。
最近、貯まったポイントを使えないでいる。
一番大きくポイントを使えるのが、ベッドそのものの形態変化だが、それをすればミユちゃんが不審がると思うので、やれないままだ。
ミユちゃんがまだ保育園のころ、試しにハンモックとかホテルの高級ベッドになってみたこともあるけれど、ある日突然ベッドがハンモックになったらさすがにおかしいと気づくよな、と考えなおし、ミユちゃんが帰ってくるまでに戻った。あまり使えない能力だ。
「ねぇ、べっちゃん……私、好きな人ができた」
ため息交じりに落とされた言葉に、俺は思わず固まる。ベッドなのだから固いだろうというツッコミは受けつけない。
いつか来ると思ってはいた。
いや、でも早くない? まだ10歳だよ? いや、普通の10歳の女の子は恋をする時期か? 自分の10歳の頃を思い出せない。
「でも人気あってさ、あっちゃんもゆうちゃんも、たっくんのこと好きなんだって。私が好きとかは言えないよ」
誰だよたっくん。
少し、いや、かなり寂しいけれど、いつかは来ることだとわかっていた。ミユちゃんは普通の女の子だ。いつか好きな人ができて、彼氏ができて、そのうちエッチなことだってするようになる。
想像はしたくないって思うくらいには、俺はミユちゃんが大好きだ。
でもあくまで、俺はベッド。ミユちゃんをどうにかしようなんて考えたことはない。可愛い愛娘みたいな感覚だ。だからこそ俺は、ミユちゃんが一番幸せになる道を応援してあげたい。
バージンロードだって、父親の代わりに歩きたいくらいだ。ベッドだけど。
でもエッチなことは、俺の上ではやらないで欲しい。そんな日が来たときには、俺はどうなってしまうのだろう。ハンモックになって逃げてやろうか。
初恋は実らないというけれど、まさしくミユちゃんの初恋は実らなかった。
告白もせず、遠くから眺めるだけで卒業した。俺は少し安堵した。いや、変な意味ではない。小学校でお付き合いするのはさすがに早すぎるっていう心配だ。
とかなんとか考えていたら、高校生になって、ほんの少しだけ化粧をするようになったミユちゃんが枕を抱きしめながら言った。
「べっちゃん、私、彼氏できちゃった!」
がくっ。もし首があったら、俺は項垂れていたところだ。
小学生のときに覚悟をしておいてよかった。一応は受け入れられる。
仕方ない。仕方ないとわかっていながら、やはり寂しい。でも仕方ない。ミユちゃんは本当に可愛い。こんな可愛い女子高生を放っておく男子がいるはずがない。仕方ない。でも寂しい。
「年上でめっちゃかっこいいの! この間、落とした携帯を拾ってくれてね、危ないからって家まで送ってくれたんだよ。大学生なんだって。この間、すごい美味しいごはんもおごってくれたの」
そいつ、大丈夫なのか?
高校生に手を出そうとする、大学生。大学生って大学生同士で付き合うもんじゃないのか? いや、俺は彼女ができたことないからよくわからないんだけれどさ。
頼むから体の関係はやめてくれ。高校を卒業してからにしてくれ。ミユちゃんはまだ未成年なんだ!
そう叫びたかったが声が出ない。
なにかメッセージを伝える方法はないか、電光掲示板とかベッドに出現できないかと考えるが、そんなベッドは存在しないようだ。存在しないベッドには変身できない。その間にも、ミユちゃんはその男がいかに素晴らしい人かを語っている。
頼む、まじめな好青年であってくれ。そしてできれば、「気の迷いでした」と言って別れてくれ。
「おじゃまします」
2か月後、彼氏が家に来た。
いかにも真面目で優しそうな、好青年だ。フレームが青い眼鏡をかけている。外見は遊んでいるようには見えないけれど、と用心深く男を見張ることにした。
「数Ⅱか、懐かしいな。俺、ちゃんと教えられるかな」
「レイくんなら大丈夫。だって天下の理大だもん。あ、お茶しかないけどいいかな?」
「ありがとう。飲み物とお菓子なら持ってきたよ。オレンジジュースとコーラ、ポテチ、バナナチップス…」
「あはは、お菓子多いね。ありがとう」
仲睦まじくジュースを飲みながら、テーブルで勉強が始まる。
どこからどう見ても、まじめな勉強会だ。家庭教師と生徒にしかみえない。
俺の考えすぎだったなら本当によかった。でも、これからここでキスとかくらいはしちゃうんじゃない? どうしよう、泣く。泣いちゃう。ベッドだから涙は出ないけれど。
「なんか、ちょっと眠たくなってきちゃった」
勉強を始めて10分も経っていないのに、ミユちゃんは大きくあくびをして、机に突っ伏した。
おかしい。
ミユちゃんは普段、絶対に昼寝なんてしない。俺という最高の寝具でぐっすり8時間寝ているから、寝不足にならないし、寝るなら俺の場所と決まっている。
どこかで警告音が鳴り響く。
「ミユ、寝た?」
男が揺さぶる。ミユちゃんは動かない。薬を盛られたのだろう。明らかに尋常ではない様子だ。
男はミユちゃんの肩を触り、服の上から胸を揉みだした。男は、想像以上にヤバいケダモノだった。チャラいだけの男のほうが何百倍もマシだ。
――やめろ、やめてくれ!
ミユちゃんはそんなふうに扱っていい人間じゃない。薬を飲ませて、知らない間に犯されて、なんでそんな男にミユちゃんは。
男の手はどんどんミユちゃんの体をまさぐる。太ももを撫で、服を脱がそうとする。
このまま、俺はミユちゃんが犯されるのを黙って見ていることしかできないのか。
どうして俺はベッドなんだ。どうして俺の足は動かないんだ。
「あっ、服は脱がせないほうがいいな」
そう呟きながら男は鞄から携帯電話と棒状のものを取り出し、俺のほうへと歩いてくる。棒は三脚になり、携帯電話を固定する。
動画をとるつもりなのだ。血の通っていないはずなのに、さぁっと全身の血の気が引いていく感じがする。
脅しか、売却かわからない。俺の脳裏に、最悪の想像が浮かぶ。脅されて犯されて、借金、裸で、ボロボロになって泣いているミユちゃん。
――ふざけるな。
ミユちゃんは、俺のミユちゃんは、こんな男の消費に使われるために生まれてきたんじゃない。
生まれたときの柔らかい体、初めての寝返り、舌足らずで「べっちゃん」と呼ぶ声、枕を抱きしめながら安心して眠る愛しい顔。ずっと近くで見守ると決めた、可愛い笑顔。幸せになるためだけに生まれて、俺の元へ来てくれた特別な少女。
「上からのほうが胸も顔もよく見えるな」
ぎしっ。
男が俺の上に乗る。
頭の中が真っ黒になる。ここはミユちゃんが寝る場所だ。おまえらのようなクソがいていい場所じゃない。
このままだとミユちゃんは幸せになれない。
約束したのだ。俺がミユちゃんを守るって。待ってろ、ミユちゃん。俺が助けてやるからな!
「あれ? 私、寝ちゃってた…?」
ミユちゃんが起きたのは、眠ってから2時間半ほど経ったころだった。日は傾きかけ、朱に近い橙の光が、窓から差し込んでいた。ホコリがキラキラと光に反射して、ミユちゃんが動くとさらっと散っていく。
「レイくん? レイくーん」
部屋を見渡し、トイレや風呂場を覗き込み、それでも一緒にいたはずの彼氏がいなくなっていることに、ミユちゃんは首を傾げる。
「どこ行ったんだろう。鞄はあるのに……」
ミユちゃんは何度も電話をかける。「おかけになった電話番号は」という女性の声が遠くから聞こえる。しばらく、うろうろと動いた後、ミユちゃんは俺に腰かけた。
「ねぇべっちゃん。レイくんどこ行ったんだと思う? そのうち戻ってくるかな?」
俺は心の中で、「帰ってこないよ」と話しかける。
「あれ? べっちゃん。ちょっと感触変わった?」
そうなんだよ。俺はウォーターベッドになったんだ。
その中で、ミユちゃんの元彼はぷかぷかと浮かんでいる。携帯電話と一緒に。
「なんか濡れているね」
和室に少し飛び散った水滴を、ミユちゃんは不思議そうにハンカチで拭きあげる。
「あっ、これレイくんの眼鏡じゃん」
ミユちゃんは俺の傍に落ちている青い眼鏡をミユちゃんは拾い、優しく机の上に置いた。
「ちょっと待ってみて、帰ってこなかったら探してみようかな」
ミユちゃんは枕を抱きしめる。綿をふんわり敷き詰めた、抱きしめて眠る用の細長い枕だ。
ねぇ、ミユちゃん。もしレイくんがいなくなっても、他の彼氏がたとえできなかったとしても、俺がいるから大丈夫だよ。どれだけ寂しくても、一人でも、お母さんが帰ってこなくても、絶対に俺がそばにいるから。
ふと、昔のことを思い出した。
俺が人間だったころ、初めての夜を一緒に過ごそうと思っていた彼女が連絡もなく消えた夜。そのうち帰ってくるだろうと待っていても帰ってこず、マンション付近を必死に探し、フラれたんだと思ってコンビニでビールをケースで買い、泣きながら飲んだ夜。被った布団はいつもより重くて、布団も一緒に泣いてくれているのかと感じた、あの夜。結局、彼女は見つからなかった。忽然と姿を消し、消息不明になった彼女はもしかして……。
いや、そんなはずはない。俺が大好きだった布団も、俺と同じように意識があったなんて、そんなこと。
「ねぇべっちゃん。私、生まれかわったら布団になりたいな。だってこんなに気持ちいいんだもん」
ぽつりと落とされた言葉に、頭の中で情景が浮かんだ。
ミユちゃんは美しく成長していく。高校を卒業し、働き出し、疲労を抱えて俺の元へ飛び込む。俺はミユちゃんに居心地のいい場所であり続ける。ミユちゃんは俺を手放さない。俺以外のベッドで眠ることはない。ミユちゃんはずっと俺と一緒に寝て、起きて、寝て、を繰り返す。そしていつか最期を迎えたとき、俺は棺桶になるのだ。
その想像に、俺は心の底から満たされる気持ちになった。
これからもポイントを貯め続けなければならない。ウォーターベッドに変身したぶん、大量にポイントを消費してしまったのだ。
これからも何度も危険が訪れるかもしれない。ポイントは常に貯めて、いざというときに使えるようにしておかなければ。
もしかして俺の布団も、こんな気持ちだったのだろうか。
「遅いなぁ、レイくん」
ミユちゃんが俺の上で、ごろんと仰向けになる。その姿は、俺の中にぷかぷかと浮かぶレイくんと重なる。
どうして俺はベッドに生まれ変わったのか。どんな奇跡が起きてここにたどり着いたのかはわからない。
でも俺は今までの人生で、今が一番幸せだと感じている。
だって、大好きな人のそばにいられて、大好きな人を守る力もあって、ゆりかごから墓場まで一緒にいられるのだから。
俺の中にある死体をどうやって処分すればいいかは、これからゆっくり考えることにしよう。
なんてったって俺はベッドだし、まだまだ時間はたっぷりあるのだから。
終わり
俺はベッド @EnakaMino
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