ブルームーン

桜井らら

ブルームーン

「ねぇ、空見てみてよ。すっごい綺麗な月が出てる」

百合がそう言いながら見上げている先には、いつもよりくっきりとした月が、その輪郭を主張しながら漆黒の空に浮かんでいた。

月の明るさが夜空の暗さを、夜空の暗さが月の明るさを、より一層際立たせていた。

クレーターがはっきり見える。神秘的で吸い込まれそうだった。

「おぉ。見える見える。めっちゃ綺麗やな」

電話の向こうの綾斗の声にも、驚きと嬉しさが滲んでいる。

2人はしばらく無言で月を見つめていた。


今日の月はブルームーンという珍しい月らしい。

次にブルームーンが見れるときは、綾斗のそばで一緒に見れたらいいな。

そう心の中で思った途端、百合はちょっとだけ泣きそうになった。


***


綾斗と初めて会ったのは、4ヶほど前の、桜が咲いている頃だった。

「会った」といってもそれは現実世界の話ではなく、ゲームの世界での話だ。

人気のオンラインゲームの中で2人は出会った。


敵を倒して強くなり、さらに強い敵を倒す、というよくある冒険系のゲームで、百合がレベル上げの途中で敵にやられて困っていたとき、たまたま通りかかった綾斗が助けてくれた。

それがきっかけでフレンドになり、毎日一緒に遊ぶようになった。

今日は百合が声をかけ、次の日は綾斗が声をかけ、というふうにお互いに声を掛け合った。


ゲームが発売されたばかりだったこともあって、百合は毎日睡眠時間を削ってゲームをした。

大学の授業中も眠くて仕方なかった。

常に寝不足なのは綾斗も同じらしかった。

綾斗は27歳で、パソコンを使った仕事をしているらしい。

仕事の内容も聞いたけど、元々機械に弱い百合にはあまり理解できなかった。

だけど、理解できない分さらにかっこよく感じた。

大学生の百合には、働いてる綾斗が大人に見えた。


綾斗は、平日仕事が終わったらゲームにログインする。

休日は、日中にログインすることはなく、夜はログインすることもあったが、してこないこともよくあった。

綾斗は友だちと会っているとか、ジムに行っているとか言っていて、百合もそれを信じていた。


はじめはゲームの中のチャット機能を使って文字で会話をしていたが、1ヶ月もすると通話をするようになった。

文字を打ち込むよりも、そのまましゃべった方が何かと便利だし、お互いの感情がそのまま伝わるのでお互いをより深く理解できた。


「百合、好きやで」

恥ずかしがりながら、ぼそっと独り言のように伝えてくる綾斗が、百合は大好きだった。

そのうち会ったりするのかな、なんて考えていたけど、現実的には難しかった。


百合は東京、綾斗は大阪に住んでいた。

遠距離恋愛はわたしには無理。今までずっと友だちにもそう宣言してきた。

近くにいるからこそ気持ちは強くなり、離れていれば自然と気持ちも離れてしまう。

そう思ってきた。

だけど。綾斗に会いたい。

毎日綾斗と話し、毎日一緒にゲームをするうちに、その気持ちが膨らんでいった。


「ねぇ綾斗。わたしたち今度会ってみない?」

突然の提案に綾斗は戸惑っているようだった。

「いきなりやな。でも遠いやん」

綾斗はそう切り返した。

「大丈夫だよ。わたしが大阪に行くし」

「せやな。俺も会ってみたいとは思うけど…でもな、会ったらもう止められへん」

止まらなくなってしまえばいい。百合はそう思った。


綾斗には彼女がいる。

付き合いは高校からだそうで、もうかなり長い。

彼女は綾斗と結婚したがっているというのも聞いた。

平日は彼女も仕事が忙しいらしく、会うのは休日だけ。

「いつかは結婚するんやろうなとは思ってるけど、な。俺、ずるいよな。彼女とは別れられへんけど、でも百合のことは好きやねん」


休日の夜、綾斗がログインしてこない日はたまらない気持ちになった。

たとえゲームの中とはいえ、会えない寂しさもあったし、今頃彼女と会っているんだろうなと思うと、嫉妬心に飲み込まれた。

綾斗に会いたい。会ってみたい。


送ってくれた写真には、真顔でカメラを見つめる綾斗がいる。

その写真を眺めながら、百合はいろいろ想像する。

どんなふうに笑うんだろうか。どんなふうに食べるんだろうか。どんな匂いがするんだろうか。

綾斗の肌の温度を直接感じてみたい。

その後も何度か会いたいと言ってみたものの、綾斗が了承してくれることはなかった。


***


今、2人は同じ月を見ている。

たとえ会ったことがなくても。これから先、会うことがなくても。

それでも今、2人は同じ月を見ている。

同じ時刻に同じように空を見上げて同じ月を見ている。

百合はそれがとんでもなく奇跡のことのように思えた。

「百合、好きやで」

その言葉に嘘はないんだろうと思う。

「わたしも綾斗が好き」

今、2人が見つめている月は、同じ月なのだ。

百合は今までで1番満たされた気持ちになった。

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