第51話


 反動は大きかった。


 布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ香宮たかのみやの手からかき消える。


 現世に、かたちをとどめておくことができなかったようだ。


 引き換えに、すべての闇を散らして。


 一斉に、燭台の火が灯る。


 あたりが、ぱっと明るくなる。


 気がつけば、もう夜明けが近いらしい。


 空も少しずつ白みはじめている。


 視界が、少しずつ明るくなる。


 あ 、しまった。


 香宮たかのみやはあわてて、麗景殿れいけいでんに上がりこむ。


 そしてそのまま、乱れた几帳きちょうの後ろに隠れた。


 いくらなんでも、顔を見られるのはまずい。


 特に、内大臣うちのおとどには。


「姉宮さま!」


 怪異が消えたおかげで、動けるようになったのだろう。


 几帳きちょうを押しやるように、明宮あけのみやが抱きついてくる。


「姉宮さま、ありがとうございます!」


「あ、明宮あけのみや

 ちょっと離れて」


 胸のあたりを、香宮たかのみやは意識する。


 夜が明けていてよかった、ちゃんと、女の体に戻っている。


 これなら、触られても不審がられないはずだ。


「すごいわ、姉宮さま。

 いったい何をしたの?

 あの輝く剣はなんですか」


「あれは……。

 一子相伝の一発芸というか……」


 香宮たかのみやは口を濁す。


 咄嗟のことで、考えてもみなかった。


 だが、前の斎院だった明宮あけのみやには、布都御魂剣ふつのみたまのつるぎが見えてしまっていたらしい。


「ほら、わたしは前斎宮ということで」


「わたくしにもできるでしょうか」


「賀茂の祭神と相談するといいと思うわ」


 顔を寄せ合うように話をしていると、遠くから足音が聞こえてきた。


 どことなく、荒々しい。


 先触れの声で、左大臣ひだりのおとどがやってきたのだと知る。


 明宮あけのみやと顔を見合わせた香宮たかのみやは、居住まいを正した。


 明宮あけのみやが一扇を鳴らし、女房を呼ぶ。


 やがて、口上を述べる取り次ぎ役の女房がやってきた。


 たしか、紀命婦きのみょうぶといったはずだ。


 彼女を名代として、左大臣ひだりのおとどが問いかけてきた。


「こちらから、目映い光が見えましたが、いったい何事ですか。

 宮さまはご無事か」


 尋ねる声に、紀命婦きのみょうぶが応える。


麗景殿れいけいでんは、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやさまご一家が滞在されています。

 先ほどの怪異で荒れた状態でございますし、どうぞ今はご遠慮ください」


 やんわりと拒む言葉も、左大臣ひだりのおとどは意に介さない。


「なに、私は主上おかみの名代として、お見舞いに参ったのですよ。

 内裏で怪異があり、どこも混乱していますゆえ」


 ふてぶてしいほど落ち着いた左大臣ひだりのおとどの言葉に、聞き覚えのない澄んだ声が重なる。


 年の頃は、香宮たかのみやと同じくらいか。


 横柄さすら感じる口ぶりだった。


「こちらで光の柱が見えたあと、怪異が収束したという報告を受けましたが。

 どなたか、名うての術者でもいらっしゃるのか」


 左大臣ひだりのおとどの連れは、やけに上から目線を感じさせる口調だつた。


「いいえ。

 偶然でございましょう」


 淡々と応える紀命婦きのみょうぶに、明宮あけのみやは何か耳打ちをする。


 紀命婦きのみょうぶは眉をひそめたが、やがて怖々と言った調子で口を開いた。


左大臣ひだりのおとどが信仰していらっしやる神子さまのような方は、こちらにはいらっしゃいませんゆえ……」


「はは、それもそうですな。

 いつでも、お頼りください。

 神子さまのお力を、独り占めするつもりはありません」


 明宮あけのみやの嫌味を、左大臣ひだりのおとどはさらりとかわした。


 香宮たかのみやは眉をひそめる。


 神子、ね……。


 左大臣ひだりのおとどの熱心な信仰相手は、神仏ではなくその『神子』とやらそのものなのだろう。


「本当に、ここには神仏の力の具現となるようなものはないのか」


 先ほどと同じ、澄んだ声は詰問口調になった。


 この声の持ち主が、神子だろうか。


 明宮あけのみやが、ちらりと香宮たかのみやを見る。


 伺いを立てられていることに気がついて、香宮たかのみやは小さく首を横に振った。


 香宮たかのみやの母方が遠い昔から奉ってきた神のことなど、左大臣ひだりのおとどに教えるつもりはない。


 心得たように、紀命婦きのみょうぶは言う。


「ございません。

 女ばかりの場所で、皆身を寄せ合い震えておりましたら、闇が消えていったのです」


「……ふん」


 不満たっぷりに相づちを打ったのは、神子のほうだ。


 感じの悪い少年だ。


 そう、香宮たかのみやは思う。


 仮にも宮家の人間に対して、態度が横柄すぎる。


 やがて用は済んだとばかり、足音が遠のいていく。


 ほっと、香宮たかのみやは息をついた。



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