第34話


 周之ちかゆきという名には、うっすら聞き覚えがある。


 この手の情報は支石しいしが詳しいので、おそらく彼女から聞いたのだと思うが。


「ところで、おまえは俺たちに協力する気はないか?」


 輝貴てるたかは、思いがけないことを言いだした。


「おまえは、『見える』上に、退治もできるようじゃないか」


「て、輝貴てるたか……っ」


 周之ちかゆきが、声を上擦らせる。


 さすがに、顔を蒼白にしているのは、驚きすぎではないかと思うのだが。


「ええっと」


 香宮たかのみやは首を傾げた。


「それって、禁色の恋の……隠れみのになれ、とかじゃなくて、怪異を退治するのに力を貸せってこと?」


 本題からずれるなあと、香宮たかのみやは渋い表情になる。


 輝貴てるたかたちと、都の夜を駆け回るのは、それなりに楽しそうだし、今の不穏な空気に辟易している香宮たかのみやにとっても、悪い話ではないのだが。


「は?」


 輝貴てるたかは眉間に皺を寄せた。


「なんだ、禁色の恋というのは」


「いや、だから、香宮たかのみやさまのために情報を集めようとして、あなたのあとをつけていたら、逢い引きの場を見てしまって」


「……逢い引き」


「この橋のたもとで、そちらの右近少将うこんのしょうしょうと身を寄せあっていたじゃない」


 輝貴てるたかは、うなるように咳いた。


 周之ちかゆきは無言だが、真っ赤になっている。


「あ、別に偏見ないから」


 ひらひらと手を振り、香宮たかのみやはにこやかに笑った。


 輝貴てるたかは大きく頭を振ると、深々とため息をついた。


「どうしてそうなる」


「え?」


「俺たちは、怪異を退治せよという密命を果たしていただけだ。

 だが、正直に言うときりがない。

 だから、怪異退治にその腕を貸せ。

 おまえが一人いると、捗りそうだからな」


「密命?」


 思いがけない言葉に、香宮たかのみやはぽかんと輝貴てるたかを見つめた。


「最近、都ではあまりにも奇怪な事件が多い。

 この橋でも、何人も行方不明になっている」


 輝貴てるたかは、厳しい眼差しで橋を見つめた。


「……橋姫の仕業ね……じゃない、仕業、だ」


 香宮たかのみやは、小さく咳払いをした。


 話口調は気を抜くと、素に戻ってしまう。


「不安を感じた主上おかみは、俺に密命を下された。

 左近少将さこんのしょうしょうとして、都に出没する怪異を鎮めよと。

 ……今、この破魔の弓を射ることができるのが、俺だけだからな。

 あの主上おかみ左大臣ひだりのおとどに黙って密命を下したくらいだから、相当な怯えようだ」


 輝貴てるたかは弓を見ているが、どことなく怒ったような表情だ。


 いや、苛立っているのだろうか。


 皇族出身者として、常に藤長者とうのちょうじゃの顔色を窺うしかない主上おかみの立場を不甲斐なくも、気の毒に思っているのだろう。


「霊験あらたかな弓らしいが、俺にはよくわからない。

 なにせ俺は、この世の外を見ることができないから。

 それで、この弓を使うときには周之ちかゆきに頼んでいたんだが……」


右近少将うこんのしょうしょうは、見える人なのか」


「ああ」


「そのわりには、さっき橋姫が見えていなかったみたいだけど」


「きょ、今日は少し調子が悪かっただけだよ!」


 人形のような面差しが、ぐにゃりとゆがむ。


 まるで、周之ちかゆきは泣きだしそうな表情になった。


「だから、私がいれば大丈夫なんだ。

 部外者は!」


 周之ちかゆきの言葉を、輝貴てるたかはさっと遮ってしまう。


「俺一人じゃ手におえないことも、おまえの調子が悪いときもあるじゃないか。

 もう一人いれば楽なのにとは、ずっと考えていたことだ」


 輝貴てるたかは、きっぱりと周之ちかゆきの言葉を否定する。


 見た目どおり武骨な性格らしい。


 香宮たかのみやは困惑する。


 こ、これは複雑な愛憎劇……?


 左近少将さこんのしょうしょうよりは、右近少将うこんのしょうしょうのほうが相手を想っているかんじね。


 これはこれで切ないわね。


 なんとなく納得したような、していないような……。


 香宮たかのみやは一人合点していた。


「……でも……」


「おまえにも、負担になっているじゃないか」


 輝貴てるたかは軽く周之ちかゆきの肩に手を置くと、もう一度香宮たかのみやを向き直った。


周之ちかゆきは、見える者だ。

 だが、調子が悪いときだと、なかなか気配がつかめないことがある」


「それ、ちょっとわかるかも」


 香宮たかのみや周之ちかゆきをなだめるように、にっこり笑ってやる。


「都の様子が、なんだかへんだからしかたないよ。

 おれも、なんか調子がおかしいときあるし。

 目がかすんだみたいに、相手がよく見えないんだ」


 特に、内裏の中とかね。


 心の中で、ひっそりと眩く。


 内裏の荒れ具合が、人に影響しないとは思えない輝貴てるたかは鈍いので大丈夫だろうが、この繊細そうな周之ちかゆきはそうもいかないだろう。


 他人事ながら、なんだか心配だ。


「都は、なんだかおかしいよ。

 この世の外と通じる人なら、絶対に影響を受けてると思う。

 右近少将うこんのしょうしょうも、そうじゃないの?」


「……」


 周之ちかゆきは、無言で横を向いてしまった。


 けれども、なんとなく肩のあたりから力が抜けている気がする。


 香宮たかのみやの言葉で、ほっとしたような。


 気持ちは、わからないでもないな。


 敵意を向けられてはいても、香宮たかのみやは彼を悪くは思えない。


 禁色の恋敵という意味合いもあるかもしれないが、周之ちかゆきも不安だったのではないだろうか。


 自分が今まで見ていた、この世の外のものたちが、上手く見えなくなっていることが。


 もともと見えない輝貴てるたかには、微妙な周之ちかゆきの心の機微がわからないのだろう。


 自分の持っていた感覚のひとつを失っていきつつあるのかもしれないという、不安が。

 

 周之ちかゆきが黙ったことを、承諾ととったのだろうか。


 輝貴てるたかは、あらためて香宮たかのみやを見つめた。


「そういうわけで、おまえに協力してほしい。

 必要なら、香宮たかのみやさまには俺から了解をいただく」


 輝貴てるたかから香宮たかのみやに連絡をとってくれるというのは、とてもありがたい申し出だ。


 ついでに、便乗させてもらうとする。


 香宮たかのみやは、にやりと笑った。


「たぶん、宮は了承すると思う。

 でも、おれに手伝えっていうなら、ちょっと条件があるんだ。

 いいかな?」


「条件?」


「そう、条件」


 香宮たかのみやは、大きく頷いた。


「たいしたことじゃないんだけどね……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る