ひとり批評学

路地表

文字(匿名)の力

 記念すべき1本目は、こちらのテーマでいきたいと思う。


 私は本が好きだ。映画や漫画、アニメも好きだが、やっぱり本が好きだ。

 今までその理由は、端的にいうと「人間の想像力をフルに活かせるから」だと思っていた。

 けれども、最近違う気がしてきた。

 恐らく私は、文字が持つその畏怖いふの念を持っているのだと思う。


 例えばコロナ禍の時、「コロナワクチンは悪」という考えが、Xに代表されるような主に活字を舞台とするプラットフォームで広がった。

(もちろんあくまで私の主観だ。しかし、その界隈でも無い私の元にまで届くのだから、一考の価値ありと言えるだろう)

 特に興味深かったのは「反コロナワクチン派閥になってしまった家族の苦悩」の話だ。要約すると、下記の様なものが多かった。


 夫や息子・娘である家族の声は聞かず、誰か分からないネットの住人の情報は鵜呑みにする家族に困っている。厄介なのは、その信条を使命として周りに広め始めること。そのせいで、ご近所付き合いもままならなくなってしまった。


 大体はこんな悩みである。そして、意外と少なく無いことにも驚いた。この場では、コロナワクチンの是非について議論するつもりは無い。

 私が興味深かったのは「知っている人間の生の言葉よりも、匿名の活字を優先する」ということに対してである。

 著名でも無い、著名だとしても何をしているのか知らない、そんな人たちの活字を鵜呑みにするという現象が非常に興味深かった。


 ただ、それを果たして私たちは簡単に馬鹿にできるのだろうか。

 ニュースや新聞、本や教科書。それらの匿名性を議論することも思考することもなく、我々は鵜呑みにしていないだろうか。

 科学とは、巨人の上に立つことである。

 しかし、その巨人はどのように作られて、どんな素材で構成されているのだろうか。何を考え、どこを見ているのだろうか。

 それを知らずに、分かろうともせずに、高い場所から世界を見下ろし、低い場所から世界を眺める人々を、果たして愚者と呼べるだろうか。

 高い場所から見ることが正しいのならば、成金のタワマン住まいが最も尊ぶべき存在なのだろうか。


 私は活字、もっと言えば匿名性が恐ろしくも素晴らしく感じる。

 これは文字が非常に強固だからこそ実現するのだと考える。つまり、画一化されすぎているのである。(特にデジタルで作られる文字)

 例えば、よく知る仲でも、その人のメールを見ると、多少なりとも相手の存在がぼやけないだろうか。もちろん書き方や文法、アイコンで何となく人柄は分かるが、差出人の名前が無かったとしたら、果たして確信を持ってこの人だと言えるだろうか。声色の方が、幾分も簡単に判別出来るはずである。

 つまり、文字は我々をその背後に隠そうとするのだ。


 そして、一つ忠告。

 あなたがもし、私のこの文章に納得してしまったのなら、つまり、そういうことなのですよ。

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