檻の外の太陽

はじめアキラ

檻の外の太陽

 青い目の大天使様。その眼がじっと子供達を見回して、やがて一人を指さす。


「決めました。次にお迎えが来るのは貴女です、ダフネ」

「ほ、ほんとに!?」

「良かったじゃない、ダフネ!!」


 途端、指さされた少女は驚き、周囲の友人達が歓喜の声を上げる。それを見て私はほう、と一つ息を吐いた。がっかりしたのではない、安堵したのだ。私が選ばれなかったということに。


「いっつも思うのだけど」


 隣でぐい、と顔を傾けてきたのは友人のセシリアである。彼女は黒髪黒目の私とは違う明るい茶色の眼で、まじまじと私の眼を見つめてきた。


「なんで、ミサコはいつも残念そうじゃないの?みんな、天使様がお迎えしてくれる日を楽しみにしてるのに。ミサコは転生したくないの?」


 そう。この白い大きな家にいる子供達はみんな、地上で死んだ人間達。全員が幼稚園くらいの見た目になっているが、精神年齢はバラバラだ。女子高校生で死んだ私もいれば、セシリアのように天寿を全うして死んだ元・老婆もいる。そして名前からわかるように、元の国籍もバラバラなので様々な国の名前が入り混じっている。

 何故みんな、子供の姿になるのか?それは、次の人生を迎えるためには、少しでも魂を無垢な状態に戻す必要があるから、ということらしい。みんな、生まれ変われる時をこの大きな白い家で待っているというわけだ。準備が整うと大天使様が空から降りてきて、子供達を一人ずつ転生のための儀式場へ連れて行ってくれるのである。

 つまり、天使様にお呼ばれしない限り(いつかは必ず呼ばれるはずだが)、ずっとこの白い家で待機し続けなければいけないのだ。暇つぶしの手段はあれど、時間の概念などほぼ皆無に等しいこの場所。退屈して、早く転生したいと願う者は少なくない。

 そう、私を除いて。


「私は此処にいたい」


 きっと、セシリアに私の心は理解できないだろう。


「私は此処にいなくちゃいけない、理由があるの」




 ***





 元々、転生することに関して私は非常に気が進まなかった。理由は単純明快、人間として生きる人生にうんざりしていたからである。

 背伸びに背伸びを重ねて入った、全寮制のお嬢様学校。全ては親の期待を一身に背負った結果だった。高い進学率、女性としての教養が身につく、私立の割に安い月謝――それらに魅了された両親が、半ば強引にその学校への受験を勧めたのである。ちょっといいところの一人娘の私に断る選択肢などあろうはずもなく、偏差値を無理やり上げてどうにか合格したはいい。そこまでで既にくたくたになっていた私を待っていたのは、まるで監獄のような学園生活だったのである。

 とにかく一年の頃から勉強、勉強、また勉強。うんざりするほど勉強ばかりさせられて、友達と遊ぶ暇など殆どない。部活らしい部活もなく、携帯電話のような通信機器も殆どの時間没収される。あっちこっちに防犯カメラが設置され、プライバシーはほぼ皆無。そして、テストのたびに成績順でクラス分けがされ、最下層のクラスに落ちると退学の危機を迎えることになるのだ。

 最上位のクラスに入れば、多くの生徒に尊敬され、いわばスクールカーストの最上位として持て囃されることになる。最上位クラスと最下位クラスの近辺では、いつもおぞましい争いが繰り広げられていたのだった。単純に、死ぬほど勉強してライバルを蹴落としてやる、なんて前向きなものだけではない。――自分が落ちないために、誰かを理不尽なやり方で蹴落とそうとする人間が少なくなかったのである。

 最下層クラスにしろ最上位クラスにしろ、“落とされる、追い出される”の危機感があるのはいつもクラスの一番下にいる人間だ。そういう人間は自分が這い上がることよりも、誰かを落として最下位から逃れることを画策することが少なくなかった。――私自身が標的にされたわけではないが、何度も見てしまっている。防犯カメラがない学校の裏手で、クラスメートを脅迫している少女達の姿を。


――そうならないように、そうならないように。いつも真ん中のクラスあたりにしがみつかなきゃって必死になった。でも。


 元々頭の出来がいいわけでもなく、もっと言えば勉強はむしろ嫌いな私である。地頭のいい生徒達が血眼になる中、生き残っていけるはずもない。結局私はずるずると順位を落としていき、一年生の終わりにはもう最下層クラスへ落ちることが決定していたのだった。

 自分はなんのために頑張っているんだろう。

 こんなに頑張っているのに何が足らないのだろう。

 徹夜で勉強してふらふらの頭で、どうにか気持ちを切り替えようと校舎裏を歩いていた私は――足を踏み外し、崖下へ転落してしまったのである。この学校は、山奥の高い崖の上に存在していた。断崖絶壁を滑り落ちた私は全身複雑骨折をし、激痛に苦しみながらその生涯を終えたのである。


――ほんと、人生なんかろくなもんじゃない。普通の女の子ができるような楽しいことなんかちっともできなかった。……またあんなかんじの人生なら、もう二度とごめんだわ。


 しかしそれは、私がこの白い家に留まりたい最大の理由ではない。その一番の訳は今、白い家の三階のベランダで、手すりにもたれかかって空を見ている少年だ。


「ソラネくん!」


 私が呼びかけると、綺麗な黒髪をちょっと長く伸ばした少年が振り返った。六歳児くらいとは思えないほど整った顔立ちの子ども。大人びた気配と同じくらい、クールな喋り方と豊富な知識を持つ少年。

 私は彼に、恋をしていた。




 ***




「お前、変わってる」


 彼はやや呆れたように言った。


「俺なんかに話しかけて楽しいなんて」

「だってソラネくん、いろんなこと知ってて面白いんだもん。この間の木星のお話なんて面白かったよ。科学に強いのね。私も学校で天体はやったけど、もう記憶の大半が飛んじゃってさー」

「受験で無理やりつめこんだ知識なんてそんなもんだ。後の役に立つことは少ない」

「それそれ」


 受験でも学校でも、徹夜までして勉強したのに。こうしてちょっとのんびりした場所で“待機”していたら、その知識の多くは彼方の方へすっ飛んでしまっていた。無理やり詰め込んだ知識なんて役に立たないというのは本当にその通りだ。というか、義務教育で本気で役に立つのは、現文と数学と英語くらいなものではなかろうか。というか、英語だって日本で一生生きていくならさほど必要がないような気もするし、数学だって小学校の“算数”ができれば生きていくのに十分なような気がしている。


――多分名前からしても見た目からしても、ソラネくんは日本人だよね。


 私は彼の横顔をちらちらと見つめながら思う。セシリアのようにいかにも白人な見た目の子、ダフネのようにいかにも黒人な見た目な子、そしてジェヨンやチュンファのように見た目はアジア系でも名前で日本人ではないと分かる子がこの場所には少なくない。それでも普通に言語が通じるのは、この白い家のシステムで全員の言葉が共通語に変換されているからだそうだ。なんとも便利な話である。

 ソラネはちらっと聴いたかんじ、日本の学校の仕組みを理解しているようだし、恐らく彼も元日本の学生だったのではないかと踏んでいる。ひょっとしたら、同年代だったのかもしれない。知識は豊富だが、仕事の愚痴や内容に関して触れたことがないあたり、社会人になったことはないだろうと推察されるからだ。


――どんな人生を歩んできたのかな。元はいくつだったのかな。……知りたいな、ソラネくんのこと。


 幼い見た目だろうと、関係ない。自分も今は幼児の姿なのだし、相手が本当の幼児でないのが明白ならば十分に恋愛対象なのだ。

 単純と言いたければ言え、このハウスに来るときに渡った虹の橋で、ドジを踏んで足を滑らせそうになったのを助けてくれたのがソラネであったのである。手を掴まれて、大丈夫か、と声をかけられた。それだけで、長い事男の子と喋る機会もない生活をしていた私は、すっかり彼の虜になってしまったのである。

 まあようするに。少女マンガにあるような一目惚れ、というやつをしてしまったのだ。

 大天使様に選ばれてお迎えされてしまったら、もうソラネとは会えなくなってしまう。私が選ばれたくないと思っている一番の理由はそれなのだった。


「……訊きたいことがある」

「!?な、なにかな」


 いつも、ソラネと話す時は私が一方的に喋るか、彼の知識を頼んで披露してもらう形になっていた。ゆえに、彼からこうして話題を向けられるのは非常に珍しい。思わず肩を跳ねさせて答えれば、ソラネは。


「ミサコは、天使様のお迎えに来てほしくないと聞いた。何故?」


 どきりとした。まさか、ソラネが知っているとは思えなかったからだ。


――ひょっとして、セシリアが喋った?……ありそう。あのおばあちゃんってば、お喋りだし。


 ちなみにセシリアが本当におばあちゃんかどうかは、見た目では判断つかないので確かではない。ただ、本人がおばあちゃんで死んだと自称しているのでそうだろうと思っているということである。まあ、井戸端会議が好きだし口も軽いので、多分間違ってはいないのだろうが。


「……楽しい人生じゃなかったから。もう一度、ああいう苦しみを味わうのが嫌ってだけ。そりゃ、前世の記憶なんか転生したらなくなっちゃうのは知ってるけどさ。……転生したら、前よりさらに酷い人生じゃないなんて保障、実際どこにもないわけじゃん?親ガチャに失敗したら、すっごい毒親とか虐待親のところに生まれちゃうかもしれないのよ。私はそんなの嫌だなって」


 嘘はついていないが、それが全てでもない。何よりソラネのことが好きだから、なんて言えるはずもなかった。それは恥ずかしいからというのもあるが、自分の感情がタブーであるという自覚があるからだ。

 ハウスに来たところで、大天使様には言われていた。ここはあくまで、転生までの待機所にすぎないと。友人を作ってもいいけれど、最初から別れがくることを覚悟しなさい、まかり間違っても恋人なんて作らないように――と。残念ながらその説明を受けるより前に、私の恋は始まってしまっていたわけなのだが。


「前の人生が楽しくなかったなら、逆に未練はないのか。次の人生で、もっと楽しい人生を送ってやらなければ損だとは思わない?」

「思わないよ、私は。……それより、失敗する方が怖いじゃない。ソラネくんは、早く転生したい派なの?」

「……ああ、したい」


 彼は少しの沈黙の後、頷いた。


「俺は、前の人生で許されないことをした。……転生したあとで、あの時の家族にもう一度会えるとは思っていないが……それでも次の家族や友人には、きちんと報恩したい。そういう人生が送りたい。前世の後悔は、来世で晴らしたいと思っている」


 許されないこととは何だろう。私は首を傾げた。そもそも大前提として、この転生ハウスは分類としては天国の一角に位置しているのである。つまり、煉獄行きにも地獄行きにもなっていない、大きな犯罪行為を犯していない人の魂ばかりが集められているのだ。

 もし彼が何かの犯罪者なら、此処にいるはずがないのである。ならば、一体。


「……何があったのか、聴いてもいいかな?」


 拒絶されるかもしれないと思ったものの、どうしても気になってしまった。私の問いに、彼はちらりとこちらを見ると、“面白くもなんともない話だ”と前置きして語った。


「俺は中学生で死んだ。学校でいじめられて、不登校になって、結局自殺した。それだけだ」

「……いじめられたせいなら、いじめた人達が悪いじゃない。ソラネくんに罪なんかないでしょ」

「そんなことはない。……俺は助けてくれたたくさんの人達の心を無駄にしたんだから」


 いつの間にか、空はすっかり暗くなっていた。この世界の時間の進みは早い。日が昇ったと思えばすぐ夕方になり、すぐ夜が訪れる。いつの間にか、空には真ん丸の月と星がちかちかと瞬いている。――ここが天国ならば、天気は神様が決めているのだろうか。


「昔から、勉強以外にとりえが何もなかった。だから、必死で勉強して、いつも学年のトップをキープしていた。……そんな俺がムカついたんだろう。ある時いじめが始まった。モノを隠されたり、悪口を言われたり、服を脱がされて写真を取らされたり、天上から吊り下げられてサンドバックにされたりもした。いじめとか暴力とか、そう呼ばれて思いつくことは一通りされたと思う。俺はなんとか、学年が変われば解放されると思った。でも」


 いじめっこと違うクラスになっても駄目だったんだ、とソラネは俯いた。


「俺は人間が怖くなってた。新しいクラスで、友達を作る方法も、人と普通に喋る方法もわからなくなってた。学校に行こうとするだけで気絶するんじゃ、普通に通学なんかできるはずもない。俺は家にこもりきりになった。そして、被害妄想に落ちた。自分は世界中から嫌われている、死んでほしいと願われているとしか思えなくなった。……そして、手首を切って死んだ」


 壮絶な話を、彼は淡々と語る。私はただ唖然として、その横顔を見つめる他ない。


「死んだあとで、自分の家族がどうなったかを、少しだけ大天使様に見せてもらったんだ。俺はその時まで、本気で誰も悲しんでないと思ってたんだ。でも違った。……両親も兄貴も号泣してたし、前のクラスで俺の友達だったやつらが凄く泣いてた。そいつらは、俺をいじめから救えなかったことをすごく後悔して、裏で学校側に訴えてた……俺の両親といっしょに。なんとか、学校を変えようと、俺を助けようとしてくれていた。家にも何度も来てくれてたやつもいた。……俺はそういうことを何も知らずに、みんなに望まれてないと思い込んで、自ら命を捨てたんだ。とんだ恩知らずだ」

「……それは、ソラネくんが、悪いわけじゃ。だって知らなかったんでしょ?」

「そうだ、知らなかった。でも知ろうとしなかったことでもある。……知らなかったことは罪じゃないだろう。でも、知らなかったことで許されることなんか、この世の中には何一つとてないんだ。俺はそう思う」


 だから、と彼は話をまとめた。


「俺は、お前にこうして気にかけてもらう価値のある人間じゃないし……早く転生したいと思っている。今度の人生では、少しでも誰かの役に立って、誰かの心を大切にできる人間になるために」


 私は、言葉を失った。

 自分が辛いから。自分が此処にいたいから。そんな自分本位のことばかり考えて転生を拒んでいた私と違い、彼は誰かに報恩することばかりを考えている。己の矮小さを思い知り、急に恥ずかしくなったのだ。

 同時に。何故彼が見ず知らずの他人である私をあの時助けてくれたのか、私が彼を好きになったのかわかったような気がしたのである。

 きっと、どこかで気が付いていたのだ。誰かのために役に立ちたい、そう願い続ける――彼の尊い魂に。


「……私」


 黙ったまま、語らないまま終わらせるはずだった気持ち。それが、気づけばぽろりと零れ出していた。


「私。……ソラネくんが、好き。ほんとは、ただ次の人生が嫌なだけじゃなくて……ソラネくんと一緒にいたくて、転生したくなかったの。……そう言ったら、信じてくれる?」


 私の言葉に、彼は。


「そうか。……人を見る目がないんだな、ミサコは」


 初めて、笑った。どこか呆れた様子で、それでも言葉と裏腹にどこか嬉しそうに見えたのは私の願望だろうか。

 彼は、価値のない人間なんかじゃない。

 誰かに愛される存在なんだと伝わってくれれば――今の私には、それで十分だったのだ。


「……ねえソラネくん。本当に転生したい?私のことがどうとかじゃなくてさ。此処にいれば……もう二度と、怖いものは見ないで済むよ。いじめられることもないよ。苦しい思いして死ぬこともない。……それでも?」

「ああ、俺の気持ちは変わらない」

「そっか」

「引きこもっていた時。家の中は確かに安全だった。俺を脅かすものは何もなかった。でも……太陽が照らしてくれるのは檻の外だって、そんな当たり前のことにも気づけなかったんだ。自分を、世界を変えたいなら、踏み出す勇気は必要なはずだ。たとえそれが端から見て、どれほど小さな一歩でも」


 だから、と彼は私に顔を向けて言う。


「だから、お前も踏み出してみろ。……確かに記憶はなくなるが……転生したあとで、会える確率も、ゼロってわけじゃない」

「ふふ、そうだね」

「ああ。人間の数なんか、あの星の数と比べたら全然少ないものだからな」


 藍色の空がゆっくりと白んでいく。夜が明けていく瞬間を、私達は二人並んで見つめていた。

 明けない夜はない、なんて言葉。生きていた頃は信じてなどいなかった。それでも今は少しだけ、ほんのちょっとだけ信じてみたい気にもなるのだ。

 朝は必ず来る。そんな、当たり前の事実を。


「あ、ミサコ、いた!」


 ばたばたと走ってくる足音に振り返れば、廊下から飛び込んでくるセシリアの姿が。


「ミサコもソラネも急いで!大天使様がいらっしゃったわ。あと二人、お迎えに来る子を選ぶんだそうよ!」

「だとさ。……行くか、ミサコ」

「……うん!」


 私は彼とともに、手を繋いで歩き出した。

 この優しい檻を出て、もう一度太陽の下を歩くために。

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