第2話 完璧な美女と


 まだ静けさの残る朝なのに、美月の心中はこれ以上ないほど大荒れだった。

 カラカラとローラが回る音がして寝室とリビングを区切っていたカーテンが開かれる。

 中から出てきた美女の格好に美月は漏れそうになる吐息を飲み込んだ。

 自分の服なのにまるきり違う服のように見える。美人が着るとここまで違うんだなと、どんな芸能人より納得できた。


「服、ありがとうね」


 にっこり笑う顔を美月は顔をそらしながら頷いた。

 大きめの黒いパーカーと白いTシャツ。パンツはタイトなはずだが問題なく着こなしている。

 身長はあきらかにあちらが大きいのに不公平だ。

 美月が着ているとダボっとした感じがするのだが、彼女が着ればそんな雰囲気は感じなくなる。


「オーバーサイズ好きでよかった……あんたの体、目に毒でしょ」

「そう? 美月の好きなようにデザインされてるから、仕方ないね」

「あたしが好きなようって……」


 女の体に好みを抱いたことがない。と思ったが口には出さないことにした。

 美月好みにデザインされたと言われても評価できないし、彼女のボディラインを見て文句をつける人間がいるとも思えなかった。

 それに、何となくこの美女が悲しむ顔を見たくない気がしたのだ。

 美月は一つため息をついて、やっと全身を眺められるようになった美女を見つめる。


「えっと、とりあえず、何て呼べばいいの?」

「名前はないから、美月がつけて?」


 美女にベッドに座り美月は顔を覗き込まれる。

 近い。美。笑顔が甘い。

 なんでか知らないけれど、視線の熱に気づいてしまう。これは本当に好きな人を見る時の目だ。

 熱が上がりそうになる頬を見られたくなくて、顔をそらした。

 名前。名前か。この美女にあう名前と考えて、するりと単語が口から出た。


「さくや」

「え?」


 確か、桜の花の女神さまの名前。

 だけど、さくやだったら、別の字が美月は好きだった。

 何でもない風を装って字を説明する。


「朔月の朔に、夜の夜で朔夜。それでいい?」

「さくや、私は朔夜……うん、美月の名前とお揃いみたいで嬉しい!」


 ぎゅっと抱き着いてくる。バラの香りが鼻をかすめる。同じ服を着ているはずなのに何でこんなに良い匂いなのか。

 首筋に朔夜の鼻が当たってくすぐったかった。


「わかったから、そんなに喜ばないで」


 大人びて見えるのに、リアクションが幼い時がある。

 ギャップがありすぎる。

 ——美人で、ギャップがあって、親しみやすくて、あたしのことが好き。

 なにこれ、本当に理想の恋人みたいだ。女だけど。

 美月ははぁと大きくため息を吐き、寝起きから変わらないぼさぼさの頭を掻く。

 ピンピロリンと気の抜ける音がスマホから鳴った。朔夜の手から抜け出し、通知を確認する。


「なになに……名前の登録が完了しました?」


 送付元は昨日願いを書いて送ったところだった。

 タイミングが良すぎて怖い。

 と、背後から朔夜の声が上がった。


「美月、これ、出て来たからどこにでもいけるね」


 振り返れば朔夜の手元には、さっきまでなかった免許証と通帳がある。

 どういう仕組みなのか教えて欲しい。

 しっかり朔夜の名前と写真まで載っていた。

 確かに理想の恋人なら、車の運転もできて、お金もあって……なんて考えてはいた。だけど、それは女の子なら誰でも夢見る範囲の話でしょ!

 免許証も通帳もぽんぽん出て来るもんじゃないし、偽造は犯罪になる。

 朔夜は分かってないのか、なんなのか、ただニコニコしているだけ。


「まじか」


 通帳を開く。目に飛び込んできた数字に頬が引きつった。

 通帳には1がひとつと0が8個、記帳されていた。思わず、桁を指を折りながら数える。

 一億だった。一億持っている恋人。想像ができな過ぎて怖い。

 しばらく通帳を見つめた後、美月はすべてを放棄した。

 朔夜に二つとも押し付け、立ち上がる。


「とりあえず、買い物行こ」

「え?」

「朔夜の下着と服、買わなきゃ。それくらいなら、使っても大丈夫でしょ」


 もし請求されても、自分で払える額しか使いたくない。

 何より本当にその通帳が使えるのか、わからない。

 もう考えるより、町に出て確認した方が早いだろう。

 壮大なドッキリだとしたら、そろそろネタ晴らしにして欲しい。

 美月の言葉に朔夜は綺麗なシンメトリーの笑みを浮かべた。


「これは全部美月のだから、好きに使っていいのに」

「そういことは言わない、タラシみたいだから」

「美月にだけだもの」

「はぁー」


 額に手を当てる。

 こんな性格を理想の恋人だと思っていたのか、あたしは。

 思わぬことで自分の理想を知り、頭が痛くなってきてしまう。

 これ以上、ダメージを受ける前に美月は部屋を出た。


 お金も下ろせた。買い物もできた。

 だが、美月は朔夜の美貌を甘く見ていたらしい。


「おねーさん、良かったら寄ってかない?」

「芸能界に興味はありませんか? 私、こういうものでして——」

「君が望めばなんだってしてあげるよ」

「お姉さまになってください!」

「すみません、今は彼女との時間を優先したいので」


 こう、老若男女問わず、なんだったら嗜好の端から端まですべて詰め合わせたような人数に話しかけられる。

 彼らの目的は完全に朔夜。

 美月は蚊帳の外なわけだが、その朔夜が美月以外に興味がなく、すげなくすべての誘いを美麗な笑顔で断り、美月の背中にそっと手を回しエスコートしてくれるのだ。

 なんだ、この完璧な紳士風美女は。

 ここまでしろとは美月も思っていない。


「いいの?」

「美月以外興味ないもの」

「あー……そう」


 そろそろ感覚がマヒしそうで怖い。

 朔夜とずっと一緒にいたら、絶対に普通の恋人ができなくなる気がした。

 ちらりと隣を見る。誰もが見ほれる美貌の美女が、美月にだけ甘い熱のこもった視線を降り注ぐ。

 だめだ、これ。毒だ。中毒になる毒。

 美月は視線を振り切るように顔を横に向けた。と、見知った顔を見つける。


「あっれ、美月じゃん」

「志保」


 大学で同じクラスをとっている志保だった。

 よくつるんではいるが、べったりというわけでもない。

 シンプルなスカートとブラウスを着た姿は清楚な女子大学生の見本のようだった。

 挨拶もそこそこに、志保は美月の隣にいる朔夜をちらりと見つめ口角を上げる。


「超絶美人さんを連れてどうしたの? デート?」

「っ」

「こんにちは。美月とデートしてるんだ」


 核心そのものをついてくる志保に、美月は噴き出しそうになった。

 朔夜はわかっているのか、いないのか、綺麗な笑顔でそう答える。

 横から見た朔夜の笑顔は綺麗だ。だけど、不思議とその視線に、さっきまで美月が感じていた熱は感じない。

 もう、こういう所まで完璧なのは辞めて欲しい。

 勝手にダメージを受けていたら、志保からからかい半分に言われる。


「恋人欲しいとは言ってたけど、まさか女だったとは知らなかったわぁ」

「ちっが、これは……!」

「いいじゃん、いいじゃん。こんな美人なら女でもいいわ」

「だから、朔夜はそういうのじゃなくて。あたしに彼女を作る趣味はない!」


 そう叫んでから、はっとして口元に手を当てた。

 今の言葉は朔夜を傷つける。間違ったことを叫んだわけじゃないのに、自分の言葉が胸の奥でぐるぐると黒い渦を発生させる。

 元凶の志保は美月の話を聞かずに行ってしまった。

 恐る恐る、隣の朔夜の顔を見上げる。

 眉が下がっている。まるで飼い主に叱られた犬の様で、それでも美しいとしか言えない顔は、損なのか、得なのか、美月にはわからなかった。

 美月は何を言っていいのかわからず、空を見上げるとビルたちが迫る様に感じられた。


「……帰ろっか?」

「じゃ、こっちだね」


 やっと出た一言に朔夜は何てことは無い顔で先導してくれた。片手には今日買った荷物がある。

 腰に回されたエスコートしてくれる手が少し冷たく感じた。

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