K-Elf 小さき友なる大きな犬

ムスティ・ワン・オブジオリジンサモエド

第1話 起承転結の、起にもならぬもの

 フランチェスカはその身に宿す魔力があまりに大きすぎる。

 ヒトとしても、エルフとしても。


「特別の訓練により制御を学ばなければ、いずれ己や周りを傷つけてしまいましょう。」

「あらまぁ…」

 

 発熱自体はまあ、軽い風邪でしょう。小さい子ならよくあることです。一晩も眠ればよくなりましょう。

 続けての医師のことばにほっとしつつ、メリディエ辺境伯夫人アナスタシアは己の隣で眠りこけるわが子の髪を撫でる。毛が細く滑らかな幼子の髪。愛おしい我が子の髪。こんな可愛い子が人を傷つけかねないなんて。そりゃ、少し活発すぎるきらいがあって、ちょっぴりいたずらっ子だけど。


「奥様の御血筋にございましょう。それに特別の訓練と申しましても、これは言葉の綾。特別なにかをしなければならぬわけではございませぬ。」

「というと?」

「犬です、奥様。」


 白衣の裾をたくし上げ、対のソファに緩やかに腰掛けながら医師が言う。なんでもないように、皿に並ぶお茶菓子を選ぶことのほうが重要であるように。

 いぬ。あぁ、あの犬ね。犬?


「犬って、あの食肉目の?」

「猫も含まれますよその分類群。まぁ、あの犬でございます。」


 この医師との付き合いはアナスタシアの輿入れよりもずっと昔からのもの。我が身を我が身よりもよく知っているに違いない。そして気安い会話ができ、またすこぶるに優秀な彼女を、アナスタシアは気に入ってた。かわいい我が子がめずらしく発熱など訴えたので診せたのも、彼女ならばと思ったからだ。

 そんな彼女が犬だという。犬ねえ。

 ―――まさか。


「ねえ、メイ。あんまりあなたの種族を悪くいうつもりはないのよ。知らないだけなの。だから気を悪くしたらごめんなさいね…洞窟エルフはこういうとき犬を…その、生贄に捧げたりするのかしら?」

「違いますよ!飼うんですよ!」


 なんですかうちの種族がいくら引きこもりでヨソとの交流が少ないからって蛮族だと思ってるんですか!

 一転立ち上がりまくしたてるメイの口に、ひゃーごめんなさいね悪気はないのよゆるしてねあっこのクッキーおいしいわよと皿より攫って2、3枚ばかりも押し込む。

 この小柄で頭の回るエルフの医師は甘いものに目がない。そして口に物が入っている間は静かなタイプだ。てきめん、早速静かになったメイを前にアナスタシアは考える。

 エルフは世界の色々なところに色々に分種して住んでいる。例えばアナスタシアはもっぱらに森林に住まう森林エルフである。他に草原、渓流、湖沼、砂漠、洞窟―――他にも色々。当然海にもいる。面白いところでは遠く遠く、魔族統べたる魔王のおわす城の前に、勝手に住み着いて久しい魔王城エルフもいるらしい。よく滅ぼされないものだ。

 じゃなかった。犬を飼えという。魔力量が大きすぎる―――秘めたるそれが大きいことはいいことではないのか?―――なる事象への対策が、犬を飼うこと。どういうことだろう。

 咀嚼を終え、いつの間にやら現れたメイドより茶を供されたメイがぐいと呷り、一息ついたところで問う。

 熱くないの?アナスタシアは自他ともに認める猫舌である。違う。


「それで、わんちゃんを飼うのがどうしていいのかしら?」

「それはですね、かわいいからです。」


 かわいいから。なんともふんわりした、この聡明にして闊達な洞窟エルフにしては珍しく、なんとも意を得ぬ説明だ。

 かわいいから。それで対策になるのであれば、世の中の病気などあまねく治りそうなものだが。

 なんだか疑わしくなってきて―――まあメイの言うことだから間違いではないんでしょうけれども―――図らずも眉をひそめたアナスタシアへ、メイが説明を続ける。


「失礼しました。言葉足らずですね。犬はひとに寄り添ってくれる生き物、傍にいてくれる生き物でしょう。子どもにとっては兄姉であり弟妹、守ってくれるし守るべき存在。そんな存在を傷つけまいと、ともに育つうちに力の使い方を学ぶ―――らしいんですよ。私も実物を見たことがございませんから、本やら伝聞やらによるものですが。」


 あと、わんちゃんは危ないとから、いざとなったら逃げられるので安心ですし。

 紅茶のおかわりをもらいながらメイが言う。


「ふうん…。」


 顎に手をやり考える。なるほど。なかなか一理あることばである。子が産まれたら犬を飼え、とはどこかで聞いた話でもある。産まれたら、というには我が子は少しばかり大きいけれど。

 思案する。仔犬に目を輝かせる我が子。我が家のそこかしこで、庭で、犬と戯れる我が子。犬とともにお昼寝する我が子。犬と共謀していたずらをする我が子。かわいい。素敵じゃない。―――最後は叱らなきゃダメね。

 悪くない。いやとてもいい。よし飼おう。幸い我が家はそこそこに広い。大きい子がいいだろう。大きいわんちゃんの仔犬の頃のかわいさといったら、さつぢん級だ。大きくなってもかわいい。おいしすぎる。旦那様にもウンと言わせなきゃ。

 よしよしと思い、唇が乾いたのでカップに手を伸ばせば、メイがこちらを伺っていることに気づく。いかがでしょう。そんな目線。


「いいでしょう。さすがねメイ。あなたの言う通り、ツテをつたって仔犬を探します。」

「本当ですか!やったー!」


 子犬仔犬~かわいい仔犬~とソファから飛び降りたメイが歌いながら跳ねる。

 その小柄な姿を眺めつ、アナスタシアは誰に手紙を出せばいいかしらと検討する。そして、こいつ自分が仔犬と戯れたいだけじゃ?とは思わなかったことにした。



 当代メリディエ辺境伯ルクセイン公はアナスタシアの夫であり、今上の王の末弟である。

 今上の王が即位なさるにあたり、王弟妹たちは継承権をこぞって放棄した。王たる長兄は人徳見識豊かなる賢者であり、もとより兄弟仲が大変によかったことも相まって、王領を切り分けて各々の領地となした。それをもとに、それなりの爵位を添えて各々独立した家を興し、敬愛なる長兄を支え互いに助け合い国を高めることとなった由である。

 しかしながら王領には、他の貴族が欲しがらず、管理者不在の宙ぶらりん状態を懸念した歴代の王が、仕方なく引き取った領地も含まれる。というかだいたいそうだ。曰くつきだったり。

 例えば現在のメリディエ辺境伯家の領地がそうだ。曰くこそないが僻地で、しかし荒れてはいない。けれどここよりもより良い土地など他にいくらでもある。

 野心家には大人しく、堅実家には激しすぎる土地。故に誰も欲さない。

 そしてそういう余り物を頂戴するのはいつだって、上の姉兄に頭の上がらぬ末の子である。すなわちルクセイン公そのひとである。

 ―――当の本人は「おとなりがエルフの森ってだけで僻地、辺境伯扱いってのはどうなんだろうねえ」とよく笑っている。なお森に住むエルフとは長らく友好関係にあり、交流も盛んである。



 さてそんな呑気で若輩の辺境伯へエルフの姫として異種族より輿入れたアナスタシアにとり、このようなときに頼れる相手は多からぬ。

 まず第一に今上陛下の細君たる王妃殿下へ、無沙汰を詫びつつ仔犬はおらなんだと問い上げる手紙をひとつ。無沙汰も無沙汰、数年来お目にかかっていないことを重々にお詫びする。遠くて遠くて、小さなわが子を連れて行くには遠すぎるゆえに。ゆるしてほしい。

 王妃殿下は愛犬家として名高い方である。

 殿下が王領にもつ犬舎郡の広さといえば、下手な下級貴族の領地より広からん。清潔な犬舎、良質で十分な飼料、広々とした運動場、こぞって可愛がる人々。

 そこで育つ犬たちはまた、殿下御自らあるいは殿下より直々にしつけを叩き込まれた先達たちにより、紳士淑女たれと鍛え上げられる。

 ならばおよそ大陸を見回したとて、これに勝る環境で育つ犬などあるまい。ゆえに皆賢く従順、おおらかで愛らしくそして甘え上手な人懐っこいわんちゃんたちである。

 そんな素敵なわんちゃんを迎えられれば、きっと娘にとってもいいことであろう。殿下とはよい関係を築けている…とアナスタシアは考えている。それに曲がりなりにも縁戚であるから、にべには扱われぬだろう。


 それから第二に懐かしき(といいつつ前の夏も遊びに行った)郷里さとへである。

 森林エルフは森のエルフである。森のうちや外を住処とし、木々を切ったり切らなかったりしてのんびり暮らす種族である。

 森に分け入ってあれこれをしようとすれば、当然先客たちより歓迎を受ける。小動物ならば、まだよい。けれどもあまり近寄ってほしくない生き物もいる。熊やオオカミなどがその筆頭だ。

 そこで父祖は考えた。熊はともかく、オオカミには時折やたら親しげで懐っこい個体がいる。彼らあるいは彼女らと、どうにか友誼を結びてともがらにできぬかと。そうして助力を得るに至れば、色々の歓迎できかねる生き物との、無用な接触を避けられるのではないかと。

 結べちゃった。割とあっさりと。

 伝承いわく、あるときひょっこり現れた白いオオカミの集団が、ある森林エルフの集落のそばに住み着いた。特に害するでもなく、むしろ人々の仕事を手伝ったり仔犬と子どもが一緒に遊んだり、寒さ厳しい冬は湯たんぽになったりと大変友好的であったゆえか、気づいた頃には―――エルフ的表現における「気づいた頃には」とはおおよそ数世紀だ―――その集落のエルフと、白いオオカミの集団は、一つの村を為していた、とある。

 その村とは、いわんやアナスタシアの郷里さとである。

 ああ懐かしい。夏に帰った頃には皆大きくなっていて、かわいいかわいい仔犬は見られなかったのよね。今頃ならもう産まれているかしら。

 アナスタシアは口角にんまりと上げながら筆を進める。

 白くてふわふわで、あんよの大きな立ち耳の子がいいわね。垂れ耳の子でもいいわ。あんよが大きい子は大きくなるのよね。いいえあの子達ならだれでもいい子だもの、どんな子でもいいのだけれど、どんな子がいるかしら。

 するすると筆は進みに進む。気づけば便箋は一抱えにもなり、インクは尽き果て、手紙を預けるべき伝書鳥が奥様その量は無理っすよ勘弁してくださいよとホウホウ鳴いて逃げ出す始末。

 端的に書き過ぎであった。

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