卓也の馬鹿

@wanwanwan123

第1話

卓也は静かにため息をついた。部屋の中には、かすかな空気の流れだけが響いていた。窓の外では薄曇りの空が広がり、昼間なのにどこか薄暗く感じる。こんな日が続けばいいのに、と思ってしまう自分がいる。


「ねえ、卓也。どうして最近、私に冷たいの?」 彼女、理恵の声が部屋に響く。だが、それは少しも新しい質問ではない。毎日のように聞かれるこの問いに、卓也はどれだけ答えてきたことだろう。しかし、どんなに言葉を尽くしても、理恵の耳には届かないような気がする。


「冷たくなんてないよ。ただ、少し疲れているだけだ」 卓也はそう言うが、その言葉すらも本心から出ているとは言えなかった。彼の心は、もはや理恵の存在を重く感じるようになっていた。


理恵は卓也の顔をじっと見つめた。言葉にできないことが、表情に現れる瞬間がある。それを、彼女はすでに敏感に察知していた。


「ほんとに? あなた、最近ずっと無口だし、私の話にもあまり興味を示さないし…」 理恵の声には、少しの不安と疑問が混じっていた。それでも、卓也はその声に圧倒されるようなことはなかった。むしろ、その声を聞くたびに、彼の中にひとつ、冷めた感情が増していくのを感じた。


「理恵、もう限界だ」 卓也はついに口を開いた。自分でも驚くほど静かな声で、それでも確実に聞こえるように言葉を並べた。「こんな言い方をするのもつらいけど、俺たち、もう終わりにしよう」


その言葉が部屋に響くと、理恵は目を大きく見開き、唇を震わせながら卓也を見つめた。驚き、困惑、そして少しの怒りが入り混じった表情だった。


「何言ってるの、卓也? どうして急にそんなことを?」 理恵の声は、さっきまでの不安げな調子から、どこか攻撃的な響きに変わっていた。


「理由はいっぱいある。君がうるさいとか、些細なことで口論が絶えないとか、そういうことじゃなくて…」 卓也は自分の言葉に思わず詰まった。長い間、口に出せなかった気持ちが一気に押し寄せてきた。


「俺が、君の全てを受け入れることに疲れてしまったんだ」 卓也の声は少しだけ震えていた。自分でも信じられないほど、冷静にその言葉を発していた。


理恵はしばらく黙っていた。言葉を探すように、ただ卓也の顔を見つめる。その顔には、もう何も言えないような空虚さが浮かんでいた。


「私は、あなたのことが好きよ。でも、あなたがどうしてもそう思うなら、仕方ないわね」 それは、理恵が卓也に向ける最も冷たい言葉だった。


卓也はその言葉を聞いて、ようやく胸の中の重荷が少し軽くなった気がした。しかし、同時に心のどこかに空虚な感覚も広がっていった。長い間、彼は理恵との関係が続くことを望んでいた。しかし今、それが終わることが、予想外に穏やかなことのように感じられた。


部屋は静寂に包まれ、二人の間に何も言葉が交わされることはなかった。



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