第5話 国王、蹴り折る
ミノタウルスというらしい二足歩行の魔物。
濁った紅の瞳でこちらを睨む怪物に、かかってこいと手招きしてみる。
鋭い二本の角と身体中を覆う漆黒の体毛が特徴の生き物は、私の仕草を正しく挑発と取ったらしく、鼻息も荒く地面を蹴立てると、一直線に向かってきた。
城にいてはなかなかお目にかかれない人間離れした動きだ。
確かに迷宮という非日常の空間で、さらに緊張に包まれた状態でこの生き物に遭遇したならば撃退は容易ではないかもしれない。
だが、私はオライオン国王。
覚悟も準備も不十分なまま突然座らされた玉座の上よりも非日常かつ緊張感に包まれた場所など、この世にあるわけがない。
魔物?
言うことを聞かない貴族や、問題の解決策の第一案から腕力に訴えがちな宰相の相手に比べれば、付き合い方は容易いものだ。
脚力にモノを言わせて距離を詰め、最大の武器であろう鋭い角を振り下ろすミノタウルス。
遅い。
今日の昼、近衛の首を刈りにいった宰相の蹴りの方がまだ速いぞ魔物よ。
「オライオン王国、第八代国王クレス・オライオンが命じる。頭が高い。控えろ」
振り下ろされた二本の角を両手でしっかりと掴み、それでもまだ高いところにあった頭を力づくで下げさせたうえで脛に蹴りを入れて膝をつかせる。
蹴り折った手応えはあったが、悲鳴を上げながらそれでも激しく抵抗してみせるのは流石に人ならざる者か。
その意気やよし。
魔物ではなく、戦士として送ってやろう。
「ありがとう、牛頭の戦士よ。お前の顔は覚えておくぞ。では、もう逝け」
顎に全力の膝を叩き込むと、ミノタウルスはゆっくりと崩れ落ち、その巨体はそのまま迷宮に取り込まれるように消えていった。
残ったのは、二本の角のみ。
なるほど、これが素材というものか。
探索者はこれを売って糧を得ると聞くが、初めて討伐した魔物の素材。
折角だから手放さず、記念に取っておくとしよう。
「お見事でございました。流石は陛下。探索者の最初の壁と呼ばれるミノタウルスをこれほど見事に完封されるなんて」
愛妻からの称賛についつい頬が緩みそうになるのを必死に堪えながら、どうということもない風を装う。
「なかなかの手応えだったが、どれだけ甘く見積もってもうちの宰相より強いということはないだろう」
これは、偽らざる本音だ。
そう考えると、あの老人がなぜ我が国の宰相など務めているのか本当にわからなくなる。
そんなことを考えている間にも、アモルの称賛は続く。
「不敵な笑みを浮かべながら手招きされるお姿も、数多の探索者に傷を負わせたであろう角を鷲掴みにされたお姿も。普段見られない陛下のお姿に心のときめきを止められず。それよりも何よりも! 王者としての名乗りを上げられたあの瞬間にございます! あまりの神々しさに、魔物よりも早く膝を屈さざるを得ず!」
妻よ。
息継ぎを忘れてはいないか?
忘れていない?
なるほど、細かく息を吸いながら言葉を紡ぐ術を得ているのか。
わかった。
「つまり、惚れ直してくれたということかな?」
「今以上に陛下に惚れ直す余地などないと自負しておりましたのに……。恥ずかしながら鼻血が出そうになるのを必死に抑えておりました」
「うん。前向きな評価だと捉えておこう。……さて。もう少し遊んでいたい気もするが、これ以上は無理か」
ただでさえ城を出たのが夜も深い時間だった。
移動に時間をかけたつもりはないが、あまり遅くなって城の者達に異変に気づかれても面白くない。
そろそろ帰還せねばならないだろう。
「はい。私も陛下の勇姿を心ゆくまで堪能させていただきたいのはやまやまなのですが、夜更かしが過ぎますと明日の執務に関わります。残念ですが、今日はここまでといたしましょう」
そう言いながら両腕を差し出してくるアモル。
何かわからず首を傾げると、少し頬を膨らませてこちらを睨め付けてくる。
可愛らしい以外の感想は出てこないが……、ああなるほど。
妻の要望を察し、来た時と同じようにアモルを抱きかかえてやると、あっという間に頬の膨らみが消え、代わりに満足げな微笑みが浮かぶ。
どうやら正解のようだ。
そのまま、私の腕の中で地図を操るアモルの指示に従い、迷宮の入り口に急ぐ。
「しかし、久しぶりに思い切り身体を動かすことができたのはよかった。今日の夕方には宰相と一戦交えたが、やはり手加減せざるを得ないからな。魔物相手であればそんな遠慮も無用。胸がスッとする思いだ。国王業の憂さ晴らしの相手をさせられる魔物には、悪い気もするがな」
走りながらそんなことを口にすると、アモルがゆっくりと首を振った。
「魔物の討伐は国主導のもと行われている事業ではありませんか。陛下自らがそれを行うことに、なんの問題があるというのでしょうか」
なるほど、一理ある。
ならばいっそのこと、国王の仕事に魔物の討伐を加えるのはどうだろうか。
軽い気持ちで言うと、愛妻が腕の中でジタバタと暴れながら声を張り上げた。
「それはいけません! 迷宮行きがお仕事になっては、私が陛下と二人きりになれないではありませんか!」
子供の頃に飼っていた猫のように全身で不満を表すアモルの可愛らしさといったらない。
意思とは裏腹に緩んでいく頬を再び叱咤しながら、夫として最低限の威厳を保てる水準の表情で言う。
「わかったわかった。そう怒るな。可愛いアモルとの時間をわざわざ減らすようなことはしない。それに、こうやって自由に振る舞えるのもお忍びだからこそだからな」
「では、またこうやって二人で迷宮に参りましょうね?」
「ああ。アモルさえよければ近いうちにまた来よう。本当かどうかわからないが、その時にはあのメーキュウという魔物が家に招待してくれるらしいからな。何か、気の利いた手土産でも用意しよう」
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