王様夫婦の迷宮無双〜お忍びデートでストレス解消〜
企業戦士
第1話 国王、ストレスを溜める
「もう、もう嫌だあ!! 私は王を辞める!! やめてやるぞ!!」
そんな情けない弱音を吐きつつ私室に駆け込み、侍女達の目も気にせずベッドに倒れ込んだ私の名は、クレス・オライオン。
このオライオン王国で、第八代国王を務めている。
急逝した父に代わって準備も完全とは言えないなか若干十九で即位したはいいが、国王業は多忙を極め、若造である私は日々漏れそうになる悲鳴と呪詛をぎりぎりのところで押し殺しながら執務に臨んでいた。
が、しかし。
ついに今日それらが決壊した結果、王冠を捨てることも辞さない覚悟が決まり現在に至る。
「お帰りなさいませ、陛下。お疲れのようですね。少しお待ちください。疲れと同時に嫌な記憶もあっという間に忘却の彼方へ誘うと定評のあるお茶を淹れて参りましょう。ええ。もちろん濃いめで」
王という立場にありながら、情けない言葉を吐きつつベッドに突っ伏す子供のような私に眉を顰めることもなく優しい言葉をかけてくれたのは、愛妻であり、王妃を務めるアモル。
夜の海を思わせる暗い青の髪と瞳が美しい、自慢の妻だ。
私がまがりなりにも国王としての重責に耐え、最低限の人間らしさを保てているのは、この歳下の妻の支えのおかげだと言っても過言ではない。
その妻が、侍女に茶を淹れるよう指示した後、ベッドに仰向けに倒れたままの私の隣に座って頭を撫でながら言う。
「陛下。オライオンの未来と呼ばれる貴方様が王をお辞めになるなどあってはならないこと。何があったか、このアモルにお聞かせください」
愛する妻に国王業の愚痴など言うまい。
そう心に決めていたというのに、この日の私は相当弱っていたのだろう。
聞かれるままに今日起きたことを話してしまう。
「南の公爵が公金を着服していたことは知っているな?」
「はい。陛下が心を痛めていらっしゃる原因ですもの。まさか、公爵側が開き直って何か言ってきたのでしょうか」
「ああ。遠回しに、自分の治める土地で何をしようと勝手だろうと言ってきた。盗人猛々しいとはこのことだ。私が即位直後の若い王だからと舐めおって!」
自分の治める土地だからと言って、孤児院の運営にかかる補助に手をつけていいわけがないだろうが愚か者めが!!
ああ、思い出したらまた腹が立ってきた。
「宰相はなんと?」
宰相?
ふふっ。
「あのジジイはあのジジイで、公爵の首などすげかえればいい、自分が行って一族郎党首を刎ねてくると走り出そうとする始末だ。止めるために、近衛に怪我人まで出た」
現役の近衛兵を五人同時に相手取って、無傷?
六十を超えてあの動きは化け物だろう。
最終的には私が捕獲したうえで頭から床に叩きつけてやることで事なきを得たが、怪我をした近衛には見舞金を出す必要がある。
「宰相は、文官の長ですのに下手な武官よりも腕が太いと評判ですものね……」
腕も太ければ首も太い。
ローブを着ていても筋肉の量が一目でわかると言えば、その異常さを理解してもらえるだろうか。
「誰だ! あの頭の中まで筋肉が詰まった男を王の右腕に抜擢した愚か者は!」
「亡くなられた先王様でございます」
そうだった。
即位してまだ間もないが、一つわかったことがある。
どうやら、父は愚王の類だったらしい。
宰相の人選はさておき、公爵位にある家の悪事を見逃し続けていたとは。
父としては悪い人ではなかった。
人は良く、母や私を含めた子供をとても愛してくれた優しい父。
しかし、王としては……いや、やめておこう。
まだ先王を評価できるほどの何かを成し遂げられてはいないのだから。
「どうなさるおつもりですか?」
アモルの問いかけに、とりあえずの落とし所として決まったことを告げる。
「罰金は当然として、着服を行なった当主は引退。都で宰相の手の者監視の下生活させる。もちろん新当主についても城からの監視をつけ、自由は与えない」
我ながら全く面白みはないが、父王が亡くなった直後であることを鑑みれば、いきなり貴族の最高位にある人間の首を落として国内にいらぬ動揺を与えるのは上手くない。
ただ、気持ちとしては宰相寄りだ。
なので、立場を気にせず公爵狩りをぶち上げたジジイに腹が立ったことは否定しない。
「ああ、貴族達を全員城に呼び出し、順番に頬を引っ叩いて言うことを聞かせることができたら、どれだけ楽だろうか」
もちろん件の公爵は往復で張ってやる。
「ふふっ。穏やかなる賢王と呼ばれる陛下に頬を張られたりしたら、皆さぞ驚くことでしょうね」
頬を引っ叩くと言ったのを冗談と取ったのか、アモルが上品に口元を隠しながらクスクスと笑う。
やっていいなら本当にやってしまいたいと思っていたのだが、侍女が淹れてくれた味も色もやたらと濃いお茶と愛妻の笑顔によりささくれだった気分が癒され、段々と心に余裕が戻ってきた。
「ふう。すまないな、アモル。愚痴など聞かせたくないのだが、君にはついつい甘えてしまう。情けない夫を許しておくれ」
さらなる癒しを得ようと、その豊満な胸部に顔を埋めると、愛しい妻も優しく抱き返してくれる。
「いいのです。愛する陛下のためなら、愚痴の一つや二つや三つや四つ。このアモルがいつでも受け止めて差し上げます」
そこまで愚痴を言う時はいよいよ何かあった時だろうが、その気持ちには心から感謝を捧げたい。
「君は私の宝だ。愛しているよアモル。そうだ。何かしたいことや欲しいものはあるか? それこそ、今回の件はもうすぐ落ち着きそうだからな。少しは君と過ごす時間が取れると思う」
そう言うと、アモルがぱっ! と顔を輝かせながら私を抱き締める腕に力を込める。
「嬉しい! では、一つだけお願いがあるのです。陛下、二人で迷宮に行ってみませんこと?」
……なに?
迷宮だと?
「それは、あの迷宮のことを言っているのか?」
あまりに予想外のおねだりに、至近距離にある愛妻の顔を見つめながら尋ねると、微笑みを湛えたまま躊躇うことなく頷いてみせる。
「はい。都の北にある、あの迷宮です」
聞き間違いや、勘違いではなかったようだ。
宝石やドレス、他国への旅行などをねだられたならば、それらを叶えられるよう全力で権力を行使しようと思っていたのだが、まさか迷宮に誘われるとは。
簡単に首を縦に振るわけにはいかないおねだりに、一旦抱擁を解く。
「待て。待て待て、アモル。順を追って説明してくれるかな? したいこと、欲しいものを尋ねたのに迷宮行きを希望されては、戸惑わざるをえない」
「ふふっ。おかしなことを申し上げている自覚はありますが、そこで頭ごなしに否定しないところが、私の陛下の素敵なところです」
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