「節約」わたしは七光り
志乃原七海
第1話、わたしは七光り女!
明洞カフェの小さな奇跡:七光りの私と、秘密の彼
ソウルの賑やかな心臓部、明洞(ミョンドン)。きらきらとした喧騒からちょっぴり外れた路地裏に、ひっそり佇む隠れ家みたいなカフェ。ふんわりとした午後の光が窓からこぼれ落ちる席で、私はアンティークの雑誌をぱらぱらとめくっていたの。目に飛び込んできたのは、「一日30円生活で両親に家をプレゼント!」という、思わず二度見しちゃうような見出し。特集された女性の、想像を絶する倹約と努力の物語に、私の胸はきゅん、と締め付けられたわ。同時に、自分のふわふわした境遇とのあまりのギャップに、小さなため息がこぼれちゃった。
私の名前は篠原睦美。ママはね、日本中が知ってる有名なファッションデザイナー、篠原七海。
数ヶ月前、役者さんになる夢を追いかけて、一人で韓国へぴゅーんと飛び出した私に、ママから届くメッセージはいつも優しいの。「生活は大丈夫?いつでも送金するからね」。その優しい言葉が、なんだか私の覚悟を試しているみたいに、胸にずしんと響くのよね。
だから、最近ようやく「無駄遣いはやめよう!」って、ちょっぴり意識し始めたの。なのに、カフェの同僚には「睦美が節約なんて、らしくないねぇ」「デザイナーの娘さんがケチくさいよ」って、くすくす笑われちゃう始末。ママの「七光り」っていうお名前が、私のささやかな努力まで、なんだか滑稽に見せちゃうみたい。
「…やっぱり、私には無理なのかなぁ」
ちょっと冷めかけたコーヒーを、ちゅ、と一口。私もいつか、自分の力で何かを成し遂げたいって、ずっと思ってる。でも、雑誌の女性みたいに、すごくストイックには生きられないし、役者さんの夢も諦めたくない。わかっているのに、どうしたらいいのか、もやもやしちゃうの。
その時、カラン、とドアベルが可愛らしい音を立てて、一人の男の子が入ってきたの。スラリと背が高くて、なんだか物静かな影をまとっているみたい。彼は窓から少し離れた隅の席に、そっと腰を下ろして、読み古された小説を開いたわ。そのちょっぴり寂しげな横顔から、なぜだか目が離せなかったの。
「저기… 혹시 뭐 필요한 거 있으세요?(あの…何かお困りですか?)」
おそるおそるハングルで声をかけると、彼は少し驚いたみたいに顔を上げたわ。伏せられた長いまつ毛の下の瞳が、私をふわっと捉える。
「…아뇨, 괜찮아요(いえ、大丈夫です)」
静かで、ちょっぴり深みのあるバリトン。そして、彼は続けてくれたの。流暢な日本語で。
「ありがとう。…俳優、やっています」
予想外の日本語と、その告白に、今度は私がきゅるん、と目を大きく見開いちゃったわ。そこから、ぽつり、ぽつりと、私たちの会話が始まったの。彼の名前はジフンさん。
「どうしてこのカフェに?」って尋ねると、彼は少し懐かしそうに目を細めたわ。「ここは僕がデビュー前、何度も台本を読み込んだ場所なんです。初心に返りたい時、今でもたまに来るんですよ」
彼の言葉は、私の心をちょっぴり軽くしてくれたの。彼も、夢を追いかける人特有の、切実な思いを抱えているように見えたから。「俳優さんって、大変ですよね」と私が言うと、彼はふっと、小さなため息をこぼしたわ。
「ええ。大きな役が決まっても、世間の期待やプレッシャーに応えられるか、毎日がオーディションの気分です。本当の自分を見てくれている人は、誰もいないんじゃないかって…怖くなる時がある」
その告白は、彼のまとっていた影の正体を、ちょっぴりだけ教えてくれた気がしたわ。そして彼は、思いがけないことを口にしたの。
「実は、あなたを知っています。日本で、雑誌で見ました」
「えっ?」
「あなたのお母さん…篠原七海さんの大ファンなんです。彼女のデザイン哲学が好きで雑誌を見ていたら、あなたがいた。他のモデルさんとは違う、どこか物憂げな瞳が…ずっと気になっていたんです」
まさか、彼がママのファンで、私のことまで知っていたなんて。なんだか心の奥を覗かれたみたいに、妙なくすぐったさを感じたわ。その温かい眼差しに背中を押されて、私はついつい、自分のコンプレックスを口にしちゃったの。
「私、節約してるんですけど…同僚にはケチって笑われて。やっぱり、デザイナーの娘がこんなことしてるの、滑稽ですよね…」
俯く私に、彼は静かに、でも力強く言ってくれたの。
「それは違う。それは『ケチ』じゃない。夢のための『投資』ですよ。僕もデビュー前はそうだった。…いや、正直に言うと、今でも『ケチ』って言われることがあります。心外だけど」
そう言って、彼は悪戯っぽく、にこっと笑ったの。スターさんかもしれない彼も、私と同じように言われることがあるんだ。その事実に、なんだか張り詰めていた何かが、ぷつん、と切れちゃった。
「プッ…あははっ!」
思わず吹き出すと、彼もつられて、くすっと、ちょっぴり笑ったの。その瞬間、私たちの間にあった見えない壁が、すーっと溶けていくのを感じたわ。彼は私の「七光り」じゃなくて、私自身を見て、私の努力を「投資」だって、優しく肯定してくれたのね。
後日、私は偶然、ネットニュースで彼の名前を見つけることになるの。
「若手実力派俳優、カン・ジフン、新作ドラマ主演決定!」
写真に写っていたのは、紛れもなく、あのカフェで出会ったジフンさんだったわ。彼は、韓国で今、一番注目されている若手スターさんの一人だったの!彼の言葉は、身分を隠す嘘なんかじゃなかった。スターさんだからこその、本物の孤独と苦悩だったのね。彼の謙虚さと、ひたむきな姿が、新たな衝撃となって私を襲ったわ。
明洞のカフェでの、あの午後のひととき。それは、私の日常に舞い込んだ、ささやかな奇跡だったのね。
カフェを出た私は、スマートフォンを取り出す。今まで何度も開いては閉じていた、俳優オーディションのエントリーフォーム。もう、迷いはなかったわ。特技の欄に「節約」って書きかけて、ふっと笑っちゃった。自分の名前、「篠原睦美」と力強く打ち込み、私は送信ボタンを、キュンと胸を弾ませながら、強く、押したの。
雑誌の女性のような生き方はできない。でも、それでいい。私は私のやり方で、一歩ずつ夢に近づいていくんだから。
いつか、俳優として、彼と同じ舞台に立つ。
そんな未来を思い描きながら見上げたソウルの空は、驚くほど青く澄み渡っていたわ。
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