第30話「罠①」

「さて、まずは褒めておこうか」


 この国を統べる者。

 そう言うに差し支えのない男が今目の前のモニターに映っている。


 ……選択を間違えたら死ぬ。


 そういった感情が芽生える。

 少なくともこの街では、彼に逆らうことは許されない。

 それがグレイスの膝元に住むという意味。


「褒める……?」

「あぁ。君達はこちらの予想通りの動きをしてくれた」


 なるほど。

 いとも簡単にこの本部に侵入出来た訳だ。

 全ては彼らの掌だと言いたいのだろう。


「そうだな……。よし、君はこの中でも経歴が優秀だ。……支配者にとって何が大事か分かるかい?」

「統率力、マネジメント力、……帝王学?」


「フハハハハ!流石だよ!私もここに至るまではよく考えたものだ。良いリーダー、悪いリーダー。善人、悪人。良い素質、悪い素質。金、信念」


 とびきりの高笑いが部屋に響いた。

 ビルよりもうるさい。

 こんな男がこの国を、この街を、人間を、支配しているのだろうか?


 通信先も総帥の話に耳を傾けているのだろう。

 彼らは黙っていた。


 静寂が脳を支配した。


「だが支配者に一番必要なのは愚民の管理だよ!」


 ……金持ちが言いそうなことだ。

 くだらない。


「人間というのは愚かだ、前時代から何も学ばない。世界大戦、代理戦争、テロリズム、未然に防げたモノはごまんとあった」

「……」


「だが、それらを防げなくしたのは民衆の声だ。独裁も、テロも、戦争も、全てはそれが正しいと思い込んだ民衆の力によるものだ」

「だから鞭が必要だと言いたいのですか?」


 私が質問をすると、彼は天まで届くような高笑いをする。

 ……本当にヨハンナ嬢の父君なのか?

 ビルの親縁ではないだろうか。


「違うよ、違うんだ。マイケル君。私はね、その力を評価しているんだ」

「評価?」


「うむ。何故ならば、世の中のあらゆる人類の進歩もまた民衆の力によるものだからだ。悲しいが、1人の天才の力だけではどうにもならない事が、世の中に多々ある。そうした時に味方につけるのは民意だ!それこそが全てなんだ!」


 話が見えてきた。

 民衆の力は良くも悪くも大きい。

 それをコントロールするのが支配者たる自分の務めだと、そう宣うのだろう。


「……民意をコントロールする。そうしたシステムを我々は開発していたのだ。世の中の全てが予期出来るように」

「……フッ」


 思わず笑みがこぼれる。

 出来るわけが無い。くだらん企みだ。

 全ての物をコントロールしようなど……。


「流石だな、マイケル君!予想通り出来なかったよ!そんな代物は!私より君の方が、頭が良いかもね」

「……」


「世の中には“ゆらぎ”や“もつれ”、“観測”といった事象が存在するんだ。我々に全てはコントロール出来ない。……私が預言者ならば諦めるところだ。神がサイコロを振った、とね」


 ……彼が言いたいことは予想がついた。

 先程文字で見たばかりだ。

 これから起こる事。


 この目的を達成させるためのプロジェクト。


 この先が……。


  「……だから、なる事にしたんだ。“創造主”にね」


「……それが、Operation〔MAGNUM OPUS〕ですね?」


「ハハッ!“人類を思いのままに操る方法”だよ」


 異様な空気が漂い始めた。

 冷える血脈。

 鼓動が急く。


 もし、こんな事が世界中で起こっているとすれば、誰も信用できなくなる。

 隣の友人や恋人、家族すら。


「聞こえてるだろう?ユウト君、ビル君。君らは詳しいはずだ。アーサー君の父親に何が起こったのか!」


 通信先がざわめく。

「ッ……ヤロウ!やっぱりアレは!」

「……グレイスの差し金か」


「アーサー君は優秀だからね。彼には気付かれてしまったようだが……、ま、あれに似たことが世の中で起こってるということだ。端的に言うとね」


「周りをイエスマンに変えて、テメェだけの楽園を作ろうってか!」

「ビル!大声を出したって、あっちには何も聞こえやしない!」


 通信の先で騒ぐ彼らに、私は一言伝えねばならない。


「違う。イエスマンの創造では無い。」

「じゃあ、何だってんだ!?」


 私は一呼吸置いて、ビルに伝える。


「……その人形を使った、人類のコントロールだ」


「まさに!」

 モニターの奥で、総帥は拍手をした。


「予測出来ないのなら、創り出せばいい。まさに“MAGNUM大いなる OPUS”だ!」


 彼は高まっているようだった。

 熱い口調のまま、話を続ける。


「ゲームを買ってくれない母親にゲームを買わせるよう説得をしたり、交渉をしたりするのでは無い!ゲームを買ってくれる母親にすり替えるだけだ!……安心したまえ。我々の技術では既に魂のコピーが可能だ!その母親は紛れもなく“本物”だよ!」


 ある日、急に家族が、恋人が、親友が、ヒューマノイドになる。

 それが今、現実で起こっている。


 奴らの利己と暴虐によって。


 MAGNUM OPUSを見た時に感じた邪悪。

 それが今、絶望と憎悪に変わるのを感じる。


 この男を裁けないのなら。


 法は。


 なんのためにある。



「……現在の技術では、電子ネットワーク内で当人と同じ人生を体験させたDNA的同一人物の人造人間ホムンクルスを造ることが精一杯です。そこには信念も、意思もない。その魂の情報だけをコピーして造られたが、本当に本物だと言い切るのですね?」


「それを同一人物や全く同じ人間とは考えない。だが、”本物”ではある。模倣、コピー、まがい物?いや、むしろそれこそが最も純粋たる”生命”なのだよ!……信念や意思など、後からどうとでもなる」


 吐き気。

 同じ人間とは思えない所業。


 彼はグレイス財閥総帥。

 この街の、この国の支配者。

 だが、それだけに飽き足らず、創造主にすらならんとしている。


 私にははっきりと、諸悪の根源が見えた。


 今、心のメッキの剥がれる音が確かに聞こえる。

 誰に指図された訳ではない。

 法の下で考えたのではない。


 私が、私の意志で、この男を「悪」と定義する。


「貴様を……許すわけにはいかない!」


「おぉ!ついにマイケル君もそうきたか!いいね、待っていよう!私は逃げも隠れもせず、黄金郷のグレイスタワー最上階で君達を待っている!着いたら私の下に案内をしよう。郷内で争いごとは困るからね!」


 くそっ。本当に何が目的なのだ。

 何故わざわざ姿を現した。

 急に出しゃばってきて、壮大な計画を語り、自分の懐に招待して終わりだと?


 そんな馬鹿な話は無い。

 一体……。


「ま、それも、そこを抜けられたらの話だが」


 CKSF本部の敷地内全体にサイレンが響き渡る。

 周りで「侵入者発見」とうわ言のように繰り返される。


 ……まずい。


「ハッハッハッハ!精々頑張って抜け出してくれよ!君たちは大事なキーだからね。……また会おう」


 そう言い残すと、彼はモニターから消える。


「待てっ!」

「お父様っ!」


 だが、声は届かない。

 通信先で叫んだヨハンナ嬢の声も届くはずがなく、彼は闇夜に消えていった。


 結局、目的の分からぬ後味の悪さだけが残った。

 罠でもいい。必ず奴の下に辿り着き、真相を知らねばならない。


 モニターによる部屋の赤さが元に戻ると、今度は部屋の外でチラつく赤色灯が目についた。

 サイレンと共に起動したのだろう。


 ……とにかく、まずはここを脱出しなければならない。



 ***



 こちらにも現場の緊張感と絶望が伝わってきた。

 冗談を言って和ます雰囲気も無い。

 はっきり言って最悪だ。


 ハンナはただくうを見つめている。

 瞳孔が開き、唇も微かに震えている。

 透き通るような手は恐怖の色に染められ、ただただ宙に浮いているようだった。


 余程のショックを受けているらしい。

 グレイスの総帥が話している際も終始この調子だった。


 小声で、「お父様」「嫌」「そんな」と言った声が薄らに聞こえる。

 そんな彼女にかける言葉など、どこにもなかった。


 そんな中、現実は無情にも彼女を置いてゆく。


「聞こえるか。こうなった以上パターンBだ」

「了解、こっちも援護しに行く。……死ぬなよ」

「お前らを刑務所に入れずに死ねるか」

「はいはい」


 作戦ってのは失敗したときの場合を特に念入りに考えることが大事だ。

 もし、穏やかに脱出できなかった時のため、俺らが堂々と正門から侵入し、少しでも隊員の戦力を分散させるという計画がある。


 ビルは運転役だから、ここを離れることは出来ない。

 つまり、これをハンナと俺の二人でやらなくちゃならない。


 ……横を見る。

 こんな状態の彼女を連れてCKSFの本部に?


 いや、ありえない。

 イギリス人の料理人くらいありえない。

 ……彼女はビルに任せて、俺一人で行こう。


「ビル!彼女を任せたぞ!」

「……おう!任せとけ!」

 ビルはハンナを一瞥し、俺に向かって頼もしい返事をした。


 この街最強の部隊を相手に、たった二人か……。


 そう考えながらバンを降り、スマートガンを取り出す。

 だが、正直言ってマイケルの強さは群を抜いている。


 だからまぁ、なるようになるだろう。


 不安を押し殺すように、俺はCKSF本部の正門へと走り出した。

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