第4話 楠木邸-2

 ソコは山間の集落へ行けば今でもよく見られるような、昔ながらの純和風建築な一軒家であった。


 二階建ての木造家屋。

 切り立った斜面を平らに造成して建てられたのだろう。滑り落ちれば無事では済まないような傾斜の坂が、スマホのライトに照らされた庭先から闇夜へと伸びている。

 いたる所がボロボロで屋根瓦が何枚も抜け落ち、砕けた破片となってそこら中に散らばっていて、コケたりすれば怨霊もなにも関係無く死んでしまいかねない。


 庭に面した窓ガラスも尽くが割られていて、玄関の表札が剥がされ引き戸も外れてしまっていたりと。

 愚かな先達が己の蛮勇を示そうと荒らし回った形跡が、そこかしこに残されていた。


 こんな風に荒れ果て、心無い不埒な輩に土足で踏み躙られているこの家に、もし元々の住人が霊として縛られているのなら。

 礼を弁えぬ愚か者どもが祟られるのも、ある意味無理からぬ話なのかもしれない。



「おー……結構、雰囲気あんじゃん」


 強い雄として常日ごろから人に弱みを見せないようにしてきた慎ですら、そう漏らしてしまう程に件の廃屋はなんというか、オーラみたいなものがあった。

 見た生者の本能的な恐怖を呼び覚ます凄み。

 ここには絶対に入るべきではないと、生き物としての生存本能が生き延びる為の命令を身体へと下すような潜在的な危険を、霊感が無いはずの人間にすら感じさせる圧。

 そういった物が、この廃屋からは漂っている。


 ついさっきまで美咲に「この筋肉で病人の幽霊なんかワンパンしてやる」と豪語していたソフトモヒカンや、さっさと帰りたがっていた葵すらその異様な雰囲気に呑まれ黙り込んでしまっていた。

 彼らはようやく自分たちがなにか恐ろしい場所へ足を踏み入れてしまったのではないかと、気づき始めている。

 


 のだが、かたや鱗は小さな鼻をクンクンと動かし、生い茂る植物の青臭さに眉を顰めるのみであった。

 特に目の前の廃屋に恐怖を抱いている様子は見受けられない。

 どちらかと言えば、こんな冬の山中に来るべきではない上下スウェットにパーカーを着ただけの身体を抱いて、ブルリと寒さに震えるような呑気な素振りさえ見せている。

 彼はグロ画像を見ると寝付きが悪くなるほど怖がりであるが、自身を害せないものは本能的に怖くなかった。


 そもそも彼は、一般的に霊感と呼ばれるものをさして有していない。

 とある事情からそういった類の仕事をしているが、彼本人はよほど強力な怪異や怨霊でもなければそもそも見えないし、危なそうな場所だとかを感知するような危機察知能力も無いのだ。


 ……けれどそれは裏を返せば、そんな無防備で勘の鈍い人間でありながら、幾度もおぞましい化物を退けてきたという事でもある。


 彼は、けして見た目通りの人間ではない。


 たった今小さな虫が鼻先に飛び付いてきて、声にならぬ悲鳴をあげながら自身の鼻を叩き、その痛みに蹲ってはいるが。




「……んじゃ、行こうぜ」


 ごくり、と。

 妙に喉に引っかかる生唾を飲み込んでから、慎はつとめて普段通りの声音を出した。


 ここまで彼らを引き連れて来てしまった慎に、今更撤退を提案することなどできない。

 ここで引けば男がすたる、なんていう安っぽい彼のプライドが、引き返す事を許さない。

 特に意中の相手の前では、なおさら強がりもするだろう。

 生命の危機の前では、そんなプライドなど何の意味も持たないというのに。

 今宵ここで死ぬ事など考えもしていない彼には、その事が理解できていなかった。


 反対に、己の生命の分水嶺を敏感に察知する人間もいる。

 いわゆる第六感。

 なんとなく、理屈はないけれど、どうしてか、ここにだけは入ってはいけないと理解できる者。

 それはこの場で言えば、宮坂葵ただ一人だけであった。

 不幸な事に、望まずにココへ来てしまった者だけが、この場所の危険性を察している。


「ねぇ……やめときましょうよ澤木君。ここなんか、良くないって」

「んだよ、ビビんなって!俺らが居るんだから、こんなとこなんでもねぇだろ」

「ね、美咲、帰りましょ?そ、それか、私達車に居ればいいじゃない。澤木君たちに、動画撮ってきてもらえば……」


 ダメだ。この場所はダメだ。

 ここは生きてる人間が来ちゃいけない所なんだ。


 霊感なんてスピリチュアルな物を端から信じてなんかいなかった葵の脳内で、そんな警鐘が鳴り響く。

 まるで腹を空かせた猛獣が目の前に居るかのような、本能的な恐怖。

 それが彼女の思考を支配する。


 もう澤木もソフトモヒカンも、蛇みたいな小男もどうでも良かった。

 自分と、大事な友達だけでも助かるなら。

 それだけで、もうなにもいらない。



 そんな自分を助けようと必死に主張する葵の姿を。

 美咲は冷ややかな眼で見つめていた。


「……じゃ、葵だけ車乗ってたら?」

「え……」

「なんか、ノリ悪くてウザいっていうか。マジになり過ぎじゃない? たかだか古い家くらいで」

「で、でも!ここは……ここはホントに、危ないから……」

「そういうスピってる事言うんだー。意外かもー。ね、行こうよ慎くーん。葵は行く気ないみたいだし?」


 崖の淵に引っかかった己へ手を伸ばす友人の姿を鼻で笑い、彼女は慎の手を取り廃屋へ強引に引っ張って行こうとする。


「……わかった。美咲も行くなら、私も行きます」


 そんな自分を嘲笑う友達の姿を見た葵は……それでもなお、彼女を見捨てられなかった。

 ならばきっと、この一側面だけが美咲の本質というワケでは無いのだろう。


 条件、状況、場面、相手、それらが運悪く重なってしまっただけで。

 普段の彼女たちは恐らく、気が合って笑い合える友人たちなのだ。

 命の掛かったこの時に、葵というけして馬鹿ではない女性が自分の身を投げ出す覚悟を決められる事こそが、それを証明している。

 最悪のタイミングで間違った選択をしてしまった相手を、それでも助けたいと思える勇気は、貶められるべきではない。

 たとえそれが蛮勇と呼ばれる、身の破滅をもたらす落とし穴へ繋がっている道だとしても。


「おっし! 決まりね! んじゃ、行こっか」


 そんな彼女の内心など知りもせず、慎は葵の気が変わらないうちにと急いで歩き出す。

 良いところを見せたかった相手が乗ってきてくれた機を逃すまいと、強烈な忌避感を押さえ込んで廃屋へと足を踏み入れた。

 若さと愚かさが、結末を変える事を許さない。


 ただでさえ寒い冬場にこんな山の中に居るのだから寒くて当たり前のハズなのに……なぜか、廊下の先の暗闇から生温い風が吹いた気がした。


 気のせいだ。

 そんなワケが無い。

 幽霊も祟りも、馬鹿らしい子供騙しに過ぎない。

 そんな風に自分に言い聞かせ、平然とした表情を装いながら歩を進め。


 上がり框を踏みしめた瞬間、慎はバッと顔を上げる。

 今、間違いなく。

 見通せぬ闇の向こうから。



 「これで、死ねますね」と、女の声がした。



「〜〜……っ! 蛇ィ!」

「は、え、な、なんですかぁ?」

「テメェなに後ろで余裕コイてんだよ! お前が先頭行けやカス」

「へ、えぇ? うぅ……でも、こんな危ないトコにぃ」

「ビビってんじゃねぇよ! オラ、行け!」


 彼は無意識に一歩退いた姿勢から、そのままドスドスと足音をたててちゃっかり最後尾にいた鱗の前まで行き、腕を掴んで乱暴に玄関へと放り投げる。

 ホコリや泥に塗れた廊下に、鱗の華奢な身体が叩きつけられ転がった。


「ちょ! そんな、ダメだって! 怪我しちゃうでしょ!」

「うるせぇ! コイツが多少骨折ろうがなにしようがどうでもいいだろ! ……チッ……いや、すまん。ちょっとカッとなった」


 過度な緊張感とストレスから、まともな心配をする葵にまで慎は思わず声を荒げ怒鳴りつけてしまう。

 そして一瞬間をおいてから、自分がやらかした事に気付き小さく謝罪の言葉を溢した。

 しかし時すでに遅く、葵の目には明確な軽蔑と恐怖の色が浮かんでいる。

 他者を簡単に害せる荒々しさが魅力に思える人間もいれば、そうでない人間もおり、葵は後者であろうと慎は踏んでいた。

 だからこそ暴力と呼ばれかねない一線だけは、彼女の前で超えぬようにしてきたというのに。


 こんなハズでは無かった。

 単にハメを外して、怖がる葵の前で頼りになるところを見せて、あわよくば帰りにホテルへ行ければと考えていただけなのに、どうしてこんな事になっているのか。

 いつからか、歯車が狂ってしまっている。

 慎の脳内に、後悔と苛立ちが積み重なる。

 

「い、いててて……うわ、埃まみれだ……うぅ」


 鱗はノソノソと立ち上がると、お気に入りのパーカーがドロドロに汚れてしまった事を嘆いてから、廊下の先へ歩き始めた。

 しかしその足は極めて慎重で、足の下ろす場所を選んだおずおずとしたものだ。


 そんな彼の牛歩の歩みを見て、慎はある程度の落ち着きを取り戻す。

 自分よりビビっているカースト下位のやせっぽちを前にして、自分がこの場においても優位に存在しているのだと誤認する事で、彼は自身をなんとか持ち直したのだ。


「わっ、ガラス……ひぇ、ここ腐ってる……んもー、汚い、危ない……」


 しかし鱗が過剰に怖がっているのは、怨霊だのなんだのではなくもっと物理的で当たり前なもの。

 単純にガラスが飛び散り床に穴が開きそうな廃屋なんて、物理的な危険に満ちた近寄りたくない場所なのは当然の話だった。


「あ、あの、これどっち行けばいいんですかぁ?」

「あー、2階が本命の娘の部屋らしいんだけど、まずは右手の方かな。そっちに居間があって、飾られた日本人形が動き回るって噂でさぁ。ちょっと蛇君見てきてくんない?」

「はぁ……わかりました」


 おどけた口振りで鱗をいたぶろうとするソフトモヒカンの言葉に、嫌々頷いた鱗はゆっくりと真っ暗な廊下を歩いてゆく。

 ギッギッと足を載せる度に軋む床板は、明らかに経年劣化と風雨による侵食で痛みきっており、誇張抜きで今この瞬間に割れてもおかしくない。

 もし穴が開いたりすれば、運動神経が悪い彼は一発で床下まで落ちて蜘蛛の巣と鼠とよくわからない虫に塗れて大絶叫をあげることだろう。

 鱗は脳裏を過るあり得るかもしれない可能性に身震いした。


 まるで綱渡りみたいな慎重さで進み、時間をかけてようやく彼は居間へと辿り着く。

 襖は開け放たれており、ライトで照らされた室内はまさしく古民家といった風情がある。

 鱗には田舎と呼べる場所はないが、しかしきっと田舎の親戚の家というのはこんな感じなんだろうなと思った。

 実は彼は少しだけそういうのに憧れがあるのだ。

 遠い親戚や従姉妹なんかとちょっと良い雰囲気になるみたいな、そういう恋愛物に憧れてしまうのは、サブカルに傾倒した恋愛未経験者特有のはしかみたいなものである。


 とはいえよしんば鱗に田舎の親戚がいたところで、彼みたいなタイプの人間は気不味い親戚付き合いや親族からの変人を見る目に耐えられず、早々に集まり事に足を運ばなくなるだろう。

 そう思えば、むしろ田舎がない今の方が幸せなきらいすらある。


 隣の芝生はいつだって青いもので、人は持たざるものを欲してしまう。

 だから奇妙な人生を送る彼が、そんななんでもない幸せな生活を夢見るのも、無理からぬ話なのかも知れない。



 闖入者によって停滞した空気がかき混ぜられ、室内に舞った埃が空中でライトを反射しオーブのように光った。

 天井付近の梁には、いつのものかもわからない白黒の顔写真が何枚か飾られている。

 ザラザラとした質感の土壁が光に照らされいくつもの陰影を作り、妙に見る者の心をざわつかせる。

 なんとなく、嫌な部屋であった。

 無論、深夜の廃墟で落ち着く事もないだろうという当然の理屈もあるのだが。


 あまりの不衛生さに、鱗は思わず片手で鼻を塞いだ。

 埃っぽさと黴臭い臭いが混じり合って、息をするのも嫌になる。

 10畳くらいある部屋を見回せば、ちゃぶ台やタンスなど住人が使っていたであろう家具がそのままに残されていた。

 慎みたいな荒くれ者が来てるなら全部なぎ倒されてそうなもんなのになぁ、という偏見3割悪口7割の感想を彼は抱く。

 もはや言わずともわかるかとは思うが、彼は迫害の悪化を嫌って表面上は唯唯諾諾と従うが、心の中ではわりと陰口を叩く。

 彼の間抜け加減からして、ついうっかり口を滑らして本心を漏らす未来はそう遠くないだろう。



 と、そこで彼は部屋の隅に転がる物を見つけた。

 

「あ、これかな?」


 それは赤い着物を着たおかっぱ頭の女の子の人形だった。


 随分乱暴に扱われたのか、左手首から先は取れてしまっている。

 スマホの角でちょいちょいと突っつくが、なにも反応はない。

 確かに呪いの人形だと言われれば、なんとなーくそう見えなくもない貫禄は感じられるが……彼には正直よくわからなかった。

 どうやらその噂はデマだったという事だろうか、と彼は首を傾げる。


 人形を目の前にして、動く人形といえば一年以上前にそんな怪異の依頼を受けたな、とふと鱗は思い出した。

 確かあの時は、片足の無い人形が道端で自分を見つけてしまった人間をターゲットにし、一週間後目の前に現れ無惨に殺してしまう……みたいな怪異だっただろうか。

 あいにく怪異自体は彼の目の前に現れた時点で半壊していたので、詳しくはよく覚えていないのだ。

 鱗が鮮明に覚えているのはそちらではなく、依頼を受けて人形を見てからの一週間、仲介者側が用意したホテルに泊まらせてくれた事の方だった。今でも時折思い出すほど、めちゃめちゃ良い思い出なのである。

 部屋は片付けてくれるしベッドは毎日シーツ変えてくれて清潔だし、ご飯だって毎食出前を取って良かった。

 あんな仕事なら一週間と言わず数年でも良かったんだけどなぁ……なんて、面の皮の厚い事を考えていた鱗の手がふいに止まる。


 上の階でドタドタと激しく動き回る音がするのだ。

 古い日本家屋はその揺れを余すことなく階下に伝え、天井から削れたおがくずや埃が降り注ぐ。


「わ゛ーーー! 最悪!! ……あ」


 いまだ人形を無意識で突っついていたのだが、今のでつい力を強くしてしまい、そのせいか頭がポロリと取れてしまったのだ。

 今の所なにもされていない人形を破壊してしまった事に、罪悪感が湧いてくる。


「あわわわわ、ヤバ、どうしよこれ……悪いことしちゃったなぁ」


 かなり汚れているしあまり触りたくはないのだが、壊して放置するのは自分を無理矢理ココに連れてきて家を荒し回る慎たちと同じ所まで落ちてしまう気がして。

 彼はため息をつき、嫌々ながらおかっぱ頭を指先で摘んだ。


 けれどそんな彼の良心とは裏腹に……もしもこの人形が話す事ができたなら、頼むから放っておいてくれと、そう懇願した事だろう。




 瞬間。


 彼の手の中から、まるで世界が割れるような絶叫が響く。

 それはきっと、四肢を捥がれ全身を刺し貫かれ魂を引き裂かれ、そして苦しんで死んだ人間の断末魔にも近いような、そんな悲壮な叫びであった。



「うわ! ビックリしたぁ。なにぃ……? もー、やめてよ、そういう驚かすみたいなの……タチの悪い」


 ビクンと数秒硬直してから、しなしなと力の抜けた鱗は手の中の人形へ悪態をつく。

 そうして何事も無かったかのように人形の頭を体に刺し直そうとして。

 ソレがもはや原型を留めていない事に気付く。



 彼の手の中にあった人形の顔は、まるで鋭い棘を無数に差し込まれたように穴だらけで。

 完膚無きまでに罅が走り、ボロボロと黒い粉がその内側から流れ出ている。

 先程までとは違い、なんとなくそれらしかった雰囲気は霧散していて、単なる壊れた人形にしか見えなかった。



「ぎゃっ! ばっちぃ!」


 ちょっと潔癖気味な鱗は、正体不明の粉の流出に動揺し、思わず部屋の隅へ放り投げてしまう。

 粉をバラ撒きながら飛んでいった頭部が、みごとに柱に当たり粉々に砕け散る。


「あー、らら……」


 もはや粉末状と呼べるほどのサラサラ木っ端微塵具合に、器物損壊の主犯たる彼は数秒間腕を組み考え込んで。




「……まぁ驚かされたしトントンだよね、これくらい」


 そんな自分勝手な理論で納得して、そそくさとその場を後にするのであった。

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