第7話


「俺らがいまちょうどやってること、とかけて」


「とかけて?」


「粒子の位置と運動量の不確定性を関連づける画期的科学的発見ととく。そのこころは?」


「えー? りゅうしですかい?

 りおしりきがくってやつ?

 じゃひょっとして……ミンコフスキー……じゃなくて。

 アインシュタイン……でもねぇよな」


「違う。

 ぜんっぜん違う!」


 もうもうと湯気のあがる厨房じゅうを、給食係の少年たちが忙しく駆け回っている。


 全員まっ白い割烹着と、シャワーキャップ型の被り物を着用している。


 いずれも質素な木綿製で、使いこまれてはいるが糊が利いてパリッとしたものだ。


 体格のいい男子であればあるほど、はっきりいって珍妙な格好。


 中でも巨大なひとりは、鷹居達海。


 横幅も高さも圧倒的で、体格もふつうのおとなの男性の三、四人分ぐらいはありそうだ。


 むくむくに膨れ上がった衛生帽から銀白色まじりのレゲエ・ヘアをはみださせている。


 やはり巨大な鍋の、もうほとんど底のほうにかすかにしかない汁をいちいちかき回してはおタマで掬っている。


 どのひと掬いにもきっかり三尾の小振りの海老がジャンプして飛びこむ。


 片耳にピアスをしたずっと小柄で細身の顔立ちの濃いのは熊飼キム。


 達海の手元に陶の器をさしだしては、中身が入ったのを受け取って盆に載せている。


 盆はワゴンに載っており、すでに五段ほど重なっている。


 おタマの達海が「とかけて」を出題しているほうで、キムが答えに窮しているほうだ。


「あかん。

 わかりまへん。

 ヒントぐらいくださいよ」


「ハからはじまる」


「ハ……は?

 あっ。

 わかった。

 ハイデルベルグの公式だぁ!」


「アホ」


 達海のおタマが鍋の縁でコンと鳴った。


「そら地名だ。

 年端のいかない貴族だか王子だかが酒場のアイドルかなんかにゾッコンいれあげた都市伝説のある場所だ。

 正解はハイゼンベルグ」


「配膳ベルグ……なぁるほど」


 焼きあがったナンをてんこ盛りにしたワゴンを押して、別の少年たちが厨房を出ていった。


「もうひとつ思いついたぞ。

 T字路やY字路とかけて、間断なく変化する世界ととく。

 そのこころは?」


「変化する世界ぃ?

 あー色即是空?

 万物は流転す?

 リ・インカーネション?

 だーだ、ぜんぜんつながんねー」


 ピアスは眉を寄せて考えこんだが、やがてあきらめて首を振った。


「降参っす」


「サンサーラ。

 三叉路。

 まんまだろ」


「んーなのわかるかよお」


「仏教用語。

 こんどの試験範囲だぞ。

 ちゃんと勉強しとけ熊飼」


 巨漢達海は鍋を傾け、ひと匙すくった。


 最後の最後の器には、抱えあげた鍋から直接よそう。


 海老のシッポが華麗に宙をひるがえって、カレー色の液体に沈んでいく。


「ぴったり!」


「ふふん。

 我ながら、いつもながら、みごとだ」


 うっそりと笑った達海は、割烹着の袖で額の汗をぬぐった。


 ふたりはカレーの載ったワゴンを押しながら歩きだした。


 厨房のすぐ横が大食堂で、やたらに長い食卓が三列並んでいる。


 全部あわせると三百ほどの座席があるが、まだ誰も座っていない。


 部屋の奥まったほうには床の高くなった部分があり、星座を描いたステンドグラスを背負って十人がけほどの丸テーブルが三つ置いてある。


 どのテーブルにも、ぴかぴかのクロスがかけられ、ナプキン、匙とフォーク、グラス、サラダとナンとマンゴープリンがすでにほとんどセッティングし終わっている。


 チーズとらっきょうとピクルスと福神漬けは、およそ四人にひとつずつの割合で配置してあった。


 別の当番チームが、氷とレモンの四つ切りの入った飲み水のピッチャーを配膳してまわっている。


 巨漢とピアスも黙りこくったまま、カレーの器を手早く置いていった。


 絶妙のチームワークで素早くすべて置き終わった時、ちょうどチャイムが鳴った。


 チャイムにつづいて、クラシカルな弦楽四重奏曲が流れはじめる。


 割烹着姿の少年たちは、厨房側の壁際にずらりと並んだ。


 うち三人が散っていって、反対側の壁の三つの扉をそれぞれ開く。


 施設じゅうの少年たちがすでに廊下と上からの階段にかけて集まってきていた。


 服装も髪型もバラバラだが、年齢はほば十歳から二十歳までの範囲内の男子ばかりだ。


 扉が開ききると、彼らは進み出た。スポーツ大会の開会式を息わせる整然とした様子で流れこみ、着席していく。


 無駄話の声ひとつない。


 ハイテーブルには、おとなたち、背広姿の教師たちが腰をおろした。


 僧服の校長のすぐ隣には、学園の正装である灰色のローブ姿が板につかない少年が座った。


 成長を見越して購ったのか、まだかなりダブダブしているのが、いかにも新入り臭い。


 私語もざわめきもなかったが、注目まではとめられなかった。


 三百人の視線を一身に集めた少年は、目に見えてうろたえている。


 生徒たち全員が着席し終えると、達海が給食係たちに目配せをした。


 みな衛生キャップをはずし、自分たちの席についた。


 巨漢はゆっくりと進むと、高台に上った。


 周囲の教師たちに静かに礼をしながら歩いてゆき、校長のテーブルのひとつ残った椅子につく。


「ごきげんよう、三留先生。

 お招きいただき、光栄です」


「ご苦労さん」


 校長は言った。


「呼び立ててすまない。

 真っ先に紹介したくてね。

 こちら染井文咲くん。

 今月からうちの生徒になった。

 最上級生の鷹居達海くんだ。

 生徒会長で、給食係のリーダーでもある。

 とても頼りになるひとだから、なんでも相談するといい」


「はじめまして」


 達海は笑顔を作り、キャッチャーミットのような手を差しだした。


「よろしく」


 新入生は目をまんまるにしたまま、こころここにあらずな状態で手を握り返した。


「きっとあれこれ想像してしまいには勘違いするだろうから最初に言っておくが、俺は純枠な日本人だし、相撲もアメフトもバスケットボールも苦手だ」


 と達海。


「好きなのは料理とアニメとタオ自然学」


「はあ」


 新入生の目はなかなか元に戻らなかった。


「さぁ、食べよう」


 校長が言い、ナプキンをとりあげた。


「いただきます!」


 三百人がいっせいに答えるくぐもった音に、ステンドグラスがびりびり震えた。

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