忘れられて

冬部 圭

忘れられて

「いつか、ここに帰ってくる」

 英人は力強くそう言った。きっと英人には、新しい街で新しい友人ができて、僕たちのことを忘れてしまうんだ。それは理解していた。だけど、あまりにも強く、英人が言ったから、僕は英人ならあるいは僕たちのことを覚えていてくれるかもなんて、淡い期待を持った。

 それから数日して、英人とその家族は遠い街に引っ越していった。あまりにあっさりいなくなってしまったので、本当に英人は僕たちと一緒に小学校に通っていたのだろうかと不安になった。一方であまりに退屈になってしまって、心にぽっかり穴が開くなんてのはこんなことを言うのかななんて思ったりもした。

 僕は英人がいなくなったことに囚われ続けていたが、尊と純也は比較的早く立ち直った。

「どうしたって、英人は戻ってこないだろ」

 尊はそんなことを言った。僕は何か言い返そうと思ったけれど、言葉にできなかった。頭のどこか片隅では、尊の言うことが正しいと理解してしまっていたから。

 あっさり英人がいなくなったことに折り合いをつけた尊と純也と距離をとってしまって、僕は一人でいる時間が増えた。増えた一人の時間に、みんなの思い出の痕跡を探すようになった。

 英人はもともと、大きな街の生まれだったそうだが、父親がこの町から通える距離に転勤になったと言っていた。田舎暮らしをしてみたいという母親の意見が取り入れられて、父親の勤務先からは少し時間がかかるけれど僕たちの住む町に越してきた。この町には縁も所縁もないけれど、なんて豪快に笑う英人の父親は、町の大人たちと何ら変わらない、飾らない人だと思った。

 街の生まれの奴が転校してくるということで僕たちは少し身構えていたけれど、英人は気さくな性格で、山暮らしにも僕たちにもすぐに馴染んだ。

 クラスの女の子達には華やかな街の様子を伝えることもあったみたいだけれど、基本的に英人は田舎暮らしを満喫していた。純也の実家の山でクワガタを探したり、沢でカニをとったりいろんなことをした。


 堤の横の小屋。ある日4人で、ご飯粒を餌にして小魚を釣った。あの魚はなんていう名前だったのだろうか? 他のみんなは魚を持って帰らなかった。僕だけみんなが釣った分も含めて10匹程度の魚をバケツに入れて持って帰った。

 家では、僕たちの釣った魚を母さんが唐揚げにしてくれた。翌日その話をしたら、尊は

「よく食べるな」

 と半ばあきれた風に言った。

「面白いな。僕も食べてみたい」

 英人はそう言ってくれた。

「じゃあ、今度魚を釣ったら、食べにおいでよ」

「いいのか?」

 楽しそうに英人が言ったので嬉しくなって、大丈夫だと言ってしまった。母さんに相談してみてからの方が良かったかななんて後で考えたりもしたけれど、まあいいかと深く考えないようにした。

 次に釣りに行った後、本当に英人は僕の家まで唐揚げを食べに来た。

 僕の母さんが揚げた唐揚げを、物珍し気に食べる様子がおかしかった。

「小骨がなければ、もっといいのに」

 なんて僕がぼやくと、

「そこも含めて味があるんだ」

 と言って英人は笑った。ちょっとした不自由も笑い飛ばす。英人の笑顔が眩しかった。


 冬になって、僕と英人は学校でストーブ当番になった。要は教室のストーブの灯油が無くなったら補給するという、寒いし、灯油臭いし、外れの当番だった。

 寒い寒いと文句ばっかり言いながら灯油を保管庫まで取りに行って、臭い臭いと文句を言う。僕はストーブ当番が本当に嫌だった。そのうえ、灯油が切れると、みんな、当番がきちんと灯油を補給していないからだと文句を言う。そんなに文句があるなら、自分で当番をすればいいのにと思った。そのことを英人に言うと、

「でも、誰かがやらないと、教室は寒いままだからなあ。俺たちがちょっと寒い思いをしたら、みんなあったかい思いができるわけで」

 と答えが返ってきた。英人はホントにできたやつだと思った。

 だからと言って、寒くなくなるわけではなかったけれど、英人となら、灯油当番をしててもいいかなと思うようになった。


 校庭に桜が咲く頃、クラスのみんなで花見をしようってことになった。おやつを持ち寄って、飲み物を持ち寄って。

 日曜日なのに、20人ほどのクラスメイトがほとんど集まった。僕は母さんが作ってくれた小さな稲荷寿司を10個ばかり持って行った。

 出来合いのスナック菓子やチョコ菓子を持ってきた友達が多かったように思う。一方で、卵焼き、かまぼこ、唐揚げを持ってきた友達もいたので、稲荷寿司はそんなに浮いていなかった。僕は稲荷寿司が残ると母さんになんか悪いことをしたような気分になりそうで、誰か、稲荷寿司を食べてくれないかばかり気にしていた。

「桜、奇麗だな」

 そんな僕に英人が声を掛けてくれた。桜。そうだ、桜を見に来たんだ。

 校庭の桜は前日も見ていたのに、あの日の桜は何か特別な気がした。

 僕は母さんの作ってくれた稲荷寿司と誰かの持ってきた卵焼きを食べた。

「この稲荷、おいしいな」

 不意に尊が言った。見ると、稲荷寿司はまだ、7個残っていた。

「じゃあ、俺も」

 つられて英人も稲荷寿司に手を伸ばした。

「本当だ、おいしい」

 英人が言うと、クラスの女の子たちが

「英人君が言うなら、本当においしいに違いない」

 と言って、稲荷寿司を取り合って、すぐに稲荷寿司はなくなった。

「なんだよ、それ」

 尊が少し不貞腐れたように言った。

「でも、本当においしかったから、いいじゃないか」

 英人はそう言って笑った。

「もう一個、食べたかったな」

 尊はそう言って次はかまぼこに手を出していった。

「よかったな」

 英人はそう言った。知っていたんだ。そう思った。


 英人は二年ほどいたけれど、父親の転勤でまた、どこか遠くの街へ行ってしまった。新しい住所を聞いておけば、手紙のやり取りくらいできただろうに、僕は住所を聞くことすらできなかった。


 英人は、いつかと言った。つまり、いつとは言わなかった。僕はいつまでも待っていたかった。だけど、そういうわけにもいかない。大学に進学するために、町を出ることにした。

 町を出るまえに、故郷の風景を目に焼き付けるため、小学校の桜を見に行った。

桜はまだ、咲き始めたばかりで、5輪くらいが咲いているだけだった。

 同じように桜を見に来たのか、同年代の青年が一人、桜の脇に立っていた。

「まだ、早かったみたいだね」

 青年は気さくに声を掛けてきた。英人だ。面差しも、声も結構変わってしまったけれど、雰囲気は変わっていない。そう思った。

「昔、ここに二年ほど通ったんだ。楽しかった」

 英人は昔を懐かしんで、微笑んだみたいだった。僕は英人の顔をまともに見られない。

「なのに、ここでの友人たちのこと、もうほとんど思い出せないんだ。申し訳ないな」

 英人は桜の蕾を見ながらそんなことを言った。そんなことはどうでもいい。ここでのことが楽しかったのなら。ここに帰ってきてくれたのだから。

「僕も、この町を出るんだ。そしたら、多分僕も忘れてしまう。だけど、それでいいんじゃないか? 全部覚えているのも、結構残酷だと思う」

「そうかもね」

 英人と再会できたら、色々話したいことはあった。だけど、全部飛んでしまった。いいんだ、忘れられても。こうして再会できたから。

「それじゃ」

 そう言って、英人に背を向けた。僕たちの人生はもう交わらない。

「悟君?」

 背中から名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向いても涙で英人の顔は見えない。

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忘れられて 冬部 圭 @kay_fuyube

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