恋の墓前に花束を

夏草枯々ナツクサカルル

恋の墓前に花束を

私の初めての恋人は女の子だった。

中学生の頃、仲の良かった友達から告白され、私は驚きながらも頷いた。

そういう人もいるのだろう。

そんな漠然とした気持ちで付き合い始めた私たちの関係は一月ほど経って尚、友達とさして変わらないままだった。部屋に泊まるどころか手を繋ぐ事すら一度も無いままある日突然、その関係は終わりを迎えた。


「え」


言葉を失う私に彼女はあっけらかんとした調子で「ごめん、告白されちゃった」と言った。その顔に失恋の悲しみや後めたさのような気持ちは見当たらない。これからの幸せを夢想し緩んだ頬だけがうっすらと見えて、よりイラついた。


「ありえないでしょ!」


私は初めて彼女に声を荒げた。近くにあった空のペットボトルを掴み投げつけ立ち上がり、座っていたクッションもさらに投げた。

怒る権利なんてものがその時の私にあったのかは分からないけれど、それでも呼んでくれた部屋をめちゃくちゃにしてから私は彼女の家から飛び出し泣いた。

普段は私より他の友達を優先し、甘えたい時にだけ甘えてきて、何かと「私のこと好き?」と聞いてくる。そんな身勝手な彼女のことがどうやら私は思っていた以上に好きだったらしい。

そんな事に今更気がつき、さらに心の波はうねり私を飲み込んだ。殴られているかのような時間がしばらく続きやっと岸に這って戻った頃には髪はぐちゃぐちゃ、見様見真似の化粧は剥がれ落ちボロボロの姿を玄関の鏡で見ることになった。

後で聞いた事だったのだけれど、どうやら私と付き合っている最中も頻繁に彼とは連絡を取っていたらしい。はなから私はキープだったという事だ。


「まっ、その頃の私に彼女を怒る権利なんてないと思うけど」


私が彼女と付き合いだした理由。それは私が真性のレズビアンだったからではない。最悪な言い方をすれば消去法。だってその頃の私は男の子はある一件から苦手で、でも恋愛というものには興味があった。ちょうどそんな時に彼女が告白してきてくれたのだ。


(そういう人もいるのだろう)


私にとっても、どうやら彼女にとってもこの関係は都合が良かったらしい。

だけど、それでも一つだけ、彼女に恨み言を言わせてほしい。


「この呪いみたいなさがを残していかないでよ」


それから私は無事行きたい共学の高校に入学し女子高生となった。

私の中に残ったレズという呪いは未だ健在、どころか全盛期のような勢いで私の思考を侵食していた。何かにつけて「友達として」と女の子と接するたび自分に言い聞かせる癖がついてしまった。

幸い、この呪いと向き合ううちに女の子にも色々な種類がいる事がわかってきた。

異性好き以外にも。

ただスキンシップが多く同性受けが良い距離感が近いだけの人。

どちらもいける人。どうでも良い人。

そして真性のレズビアン。


私は後者で多くの人は前者だった。それに後者は後者でも、対応は分かれた。それが自分のアイデンティティだとSNSでアピールする人。慎ましく二人だけの世界に沈んでいく人。何一つとして異性愛者と変わらない恋人生活を送ろうともがく人。

私にとってこの性は呪いだった。自慢なんて出来るわけなく、どうして普通になれないのだろう、とため息を一つ増やすだけの重荷だ。


(だれかいる?)


電車の関係でいつも早くつきすぎてしまう三階にある個別指導塾に続く階段にポツンと座っている人を見かけた。高そうなドレス、金色の滑らかな長い髪を後ろで纏め、スマホを眺める横顔は息を呑むほと綺麗だ。艶のあるリップと力強く反ったまつ毛に思わず私は見惚れてしまう。

その二十代くらいだろう女性がしばらく突っ立ったままだった私に気がついた様子は無い。

一月だと言うのに寒そうな格好をしているな、と眺めていると…


「さむっ」


突然、独り言を呟いた。それからスマホを持っていない方の手で電子タバコを口にする。


「あの、入ります?」


私は思わず声をかけてしまっていた。


「え」


女性が顔を上げ目を丸くしながら私の方を見た。口が電子タバコを離した直後のまま固まっている。

ふと見えた陶器のような白い肌に綺麗な鎖骨、ドレスの抉れた胸元から見える胸は大きい。多分、そういう夜のお店で働く人だ。ここら辺にもよく立っている。


「ここの三階の個別指導塾なんですけど先生くるまで一時間くらいあるんです。席は空いてて暖房も効いてますよ」


なるべく平静を装い口角を上げて喋る私を女性の大きな瞳が真っ直ぐ見ている。

友達として…じゃないけど、私はあくまで善意でそうしている…筈だ。この性に振り回されての行動じゃない。そんな言い訳がましい思考が頭をよぎる。


「いいの?」


女性は電子タバコを置いて小さく首を傾げた。

私は「はい。私は自習してるんで、先生来るまでなら」と先ほどの思考を押しやりながら返す。


「ありがとう…じゃあ、ちょっと居させてもらおうかな」


ブランド物のバックを抱え立ち上がる。

改めて全身を見ると体のラインが強調されているドレスだ。


(自分に自信あるんだろうな)


私は何があっても着ることのない服だろう。少し羨ましい。


「受験生?」


階段を上がりながら、前を向いたまま女性が言った。私は女性のお団子に纏めた金髪を見上げながら「いえ、今二年で、もうすぐ三年です」と答える。


「そっか。大変な時期だ」


「大変ですね。勉強、勉強、寝ても覚めても勉強です」


「私もそうだったなー中退したから意味無くなったけど」


からからと何でも無さそうに女性は笑う。結構大変な出来事じゃないのだろうか。


「どこ中退したんですか」


「官僚よく出してるところ」


中退したからか、あくまで名前は伏せるようだ。

だけど、候補は多くない。そしてその候補どれもが難関大学だ。


「…頭良いんですね」


「良くない、良くない」


全てを信じるわけではないが、本当に受かっていたら良くない訳がなかった。謙遜だろう。


「あっ、お礼に勉強教えようか?」


「え」


「参考書どこの使ってるの?見せてよ」


女性はそう言って塾の扉を開けながら振り返る。


(あ、可愛い)


女性の笑った頬に出来た笑窪を見てそう思ってしまう。いけない。この人はそもそも、そういうお店で働く私と違う世界の住人だ。


「あれ?ごめん。嫌だった?」


「違います!あの…嬉しいです」


「そう?」


席についてから女性と色々と話しながら参考書のおすすめや実際に使った勉強方法を教えてくれた。

女性の名前はレンカ。源氏名は本名から一文字取ったハナ。年は二十一歳。近くのキャバで働いているらしい。


「脳が疲れない勉強は無意味。体が覚えるまで書き続けるなんて意味ないから、いつだって覚えるのは頭」


レンカさんはそう言い切った。

私はそれに気圧され頷く。なんとなくそんな気もしてくる。


「あれ?だれ?」


その時、先生が首を傾げながらやってきた。いつの間にか一時間経っていたらしい。


「ありがとうございました」


一度扉の外へ出てから私は頭を下げる。


「いえいえ私こそ、声をかけてくれてありがとね」


「あの、また時間ある時、教えてほしいです」


私はスマホを差し出す。

レンカさんは「いいよ」と頷きバックからスマホを取り出す。


「私用の方で登録しとくねー」


「あっ来ました」


私はスタンプを送る。


「来たね。じゃあまた、追って連絡するね」


「はい!ありがとうございました」


私はレンカさんが見えなくなるまで頭を下げていた。

それからというもの、私はレンカさんと頻繁に連絡をとるようになった。勉強を教わるという名目で連絡をして別のことで盛り上がる事も多々あった。

クラスでは『中学で女の子と付き合っていた人』というレッテルが私にはあって、うっすらと同性から距離を取られていた。だから、余計にそんな事を気にせず親しく話してくれるレンカさんに私は甘えてしまう。


(レンカさんは話し上手だし)


そうやって新しい友達に浮かれていたからだろう。


「何この点数」


私の見せたテストの点にお母さんが目を剥いた。

それから椅子に座ったままため息を吐く。私はそのテーブルの横で立ったまま今から始まるお説教を覚悟する。


「嘘でしょ?」


独り言のように嫌味ったらしく言って、顔を手で抑えて分かりやすく呆れている。私もテストを受け取った時、同じことを思ったよ。


「正直言って失望した。あんたがこんな点数取るなんて」


「ごめん」


お母さんは大きくため息を吐く。


「ごめんって何の謝罪よ」


吐き捨てるように言う。お母さんは分かりやすくイラついている。

いつもお父さんが居れば、こうなったお母さんとの間を取りなそうとしてくれる筈だが、まだ帰ってこない。


「ごめん」


「かわいそ、お父さんも。ヘトヘトで帰ってきたらこんな点数見せられて」


私は何も言い返せない。

スカートの裾を掴み俯いたまま、止めどなく流れ続ける嫌味を聞く。

しばらくそうしていると母のスマホに通知がくる。


「…お父さん。飲み会だって、明日の朝見てもらうから」


そう言ってお母さんは椅子を引いて髪を乱暴に掻きながら立ち上がり「ご飯まで勉強」とだけ言ってキッチンの方へと消えた。

私は言われた通り自室に戻って机に向かい参考書を広げる。

しばらく参考書を眺めていたけれど、目を滑るだけで何も頭に入ってこない。脳が疲れない勉強は無意味だそうだ。ペンを置いてため息を吐く。


「教えてもらったのにテスト全然ダメでした…」


もはや何も勉強に関係ないけど、ついレンカさんに送っていた。


「そっかー結果がついてこないと落ち込むよね。今、大丈夫?私の方は暇だから通話しながら復習出来るけど」


そんなメッセージがすぐ届く。沈んでいた心が少し浮かぶ。

すぐに「大丈夫です」と返事を打った。


「大丈夫ー?落ち込んでない?」


通話に出て開口一番レンカさんはそう言った。


「ちょっと落ち込んでます。お母さんにも色々と怒られて」


私は「この点数じゃ、仕方ないですけど」と笑った。


「お母さんになんて言われたの?」


「あー全然大した事じゃないので」


「うん」


「何この点数、嘘でしょって言われて」


「うん」


「私も前回より下がるとは思ってなくて」


「うん」


「嘘でしょって、正直言って失望したって、お父さんもこんな点数見せられて可哀想だって」


「そっか。凹むね。そう言われちゃうと…」


そう言われた途端、言葉が出なかった。


「あれ?」


レンカさんの心配そうな声が聞こえて来る。

私は唇を強く噛みしめ目を瞑る。手を握り鼻をすすり涙を堪えた。みっともないじゃないか。情けないじゃないか。高校生にもなってまだ泣き虫なんて。


「ありがとう…ございます」


そう言った私の声は震えていた。


(止まって)


それを皮切りに堰を切ったように涙が流れ落ちていく。息苦しくて胸を強く掴んで捻り堪えた。慰めにもならない痛みを感じながら息をする。

壊れた堰が少しずつ崩れていくように、私の涙も増えていく。


「ごめん、なさい」


上手く話したいのに乱れた呼吸が邪魔をする。言葉は出ないのに私の醜くすすり泣く声だけ部屋に良く響いた。きっとレンカさんにも聞こえている事だろう。


(また、ごめんなさいって言っちゃった)


何の謝罪よってまた言われてしまう。治さなくちゃってわかってるのに。


(こうはなりたくなかったのに)


「んーん」


そう言ったレンカさんの声に違和感があった。


「泣いて、ます?」


「うん。なんか私も昔を思い出しちゃって」


そう言ってスマホ越しに鼻をすする音が聞こえた。


「ごめんね」


「いえ、私こそ、聞いてくれてありがとうございます」


「んーん。全然。そうだよね。辛いよね、この時期。私もそうだった」


私は「そうだったんですか?」と聞いた後、ミュートにして鼻をかむ。鼻声なのが鬱陶しい。


「私、二浪してるから余計辛かったよ」


「そうなんですか。え。じゃあすぐ辞めてるんですね」


「受かったからいいやってなっちゃった」


「なんで辞めちゃったんですか?」


「世界一周してみたくて、今はお金溜めてるところ」


レンカさんはそれから「失礼」と言ってから鼻をかんだ。ビーッと聞こえてから息を吸う声まで聞こえる。スマホと近い所にいるらしい。


「めっちゃ鼻水出た」


私は「えー汚い」と相手に見えないのに口を開けて自然と笑う。

当分テストの件は引きずりそうだと思ったけど、レンカさんのおかげでなんとか消化できそうだ。


「ご飯に呼ばれちゃった」


「そっか。じゃあまた今度だねー」


そこで楽しかった通話が終わる。

後に残ったのは音声通話と二時間という文字だけだ。

ご飯を食べて、勉強してからお風呂に入り、ベットに寝転んだ時だった。


「あっまずい」


脳裏に過った光景に独りごちた。


(ダメだ。私、レンカさんのこと好きになってる)


ぼんやりと浮かんでくるレンカさんの微笑む表情。さっきかけてくれた言葉の数々。

懐かしい。この胸が詰まるような昂る感じ。


(ダメなのに)


きっと、否定される。気持ち悪い、と言われる。

まるで同じ人間じゃないような目で見る。


(…昔の私みたいに)


小学生の頃、冬から春の間、グンと成長したタイミングがあった。昔からそこそこ背が高く大きめの服ばかり着ていた私の水着に向けられた初めての視線。

私は震えた。

その授業は早退。それからというものプールの時間は全て欠席。その夏の間、保健室で私は一人その視線を思い出してベットの中で泣いていた。


今ではわかる。彼らも自分の中にある性をコントロール出来なかったのだ。

傷つけるつもりは無かったのだろう。だから彼らは怒った。


「言いがりだろ」


「誰が見るかよ、あんなの」


「気にしすぎだろ」


「自分が可愛いとか思ってのかよ」


その時、彼らとは一生分かり合えないな、と思った。彼らにはあって私には無くて、それが気持ち悪くて、まるで同じ人間じゃないように思えて。わかり合おうとしてないのに。分かり合えない、と分かったフリをした。


(決めつけだった)


その性は私にもあったから。


「家、泊まれるけどどうする?」


「え、泊まっていいの?」


「うん」


「嬉しー!泊まる泊まるー」


仲良くなった友人の家で私は子供っぽくはしゃぐ、その裏で「友達としてお泊まりをする」と念を押す。何も間違わないように。


「遠回りじゃない?」


「大丈夫。一緒に帰ろ?」


「うん。あーさむ」


彼女は友人はそう言って私の腕に捕まってきた。

私は「ちょっとー」と言って嫌そうな表情を作る。

あくまで彼女は距離感が近いだけ、こないだ彼氏と別れて泣いていた。きっと寂しいだけだ、そう言い聞かせる。


(あーあ。このままずっといられたらいいのに)


そう思ったら柔らかそうな頬に手を伸ばしそうになって「友達でしょ」と自分を諌めた。


(そんな事もあったな)


「結構分かるようになってきたね」


カフェでレンカさんと一緒に勉強していた時、そう褒めて貰えた。

あの泣いた日から私の呪いとは裏腹にレンカさんとの関係は順風満帆に続いている。あくまで友達として、と唱える事を忘れずにだけど。


「そうなんです。最近個別指導塾の先生にも褒めてもらえて」


「そうなんだ。良かったね」


そう言って微笑んだ顔がカッコ良すぎる。カフェの雰囲気といい、私服といい、レンカさんの良さがここに詰まっていた。

そう思えば思うほど、後から苦しくなるのに。


(思わずにはいられない)


「すいません。ご馳走になっちゃって」


「本当に気にしないで、私働いてるし。家にいても暇なだけだし。誘ってくれて良かった」


去っていくレンカさんの背中を見ながら私は思う。


(私の気持ちを知ったらきっと気持ち悪いだろうな)


分かり合えないだろうな。


「まぁ告白なんて出来ないですけど」


ベットに飛び込み、枕に顔を埋める。


(苦しい…)


ベットで足をバタつかせ暴れる。

私ばかりどんどん好きになっていく。


(何かの間違いで好きになってくれないかな)


偶然でも、勘違いでも、魔法でも…呪いでも。私が男の子に生まれ変わるとか、もう本当に何でもいい。ただレンカさんと話すたび裂けてしまいそうになる心をどうにかしてほしい。あぁ本当に呪いだ。

もういっそ全部、私の過去も気持ちも全て洗いざらい吐いてしまおうか、なんて出来るわけもない妄想をする。


(苦しい)


そう思ってから一月ほど経った。

私とレンカさんの仲はさらに深くなってしまっていた。一緒に出掛けて、ご飯を食べて、遊んで。最近お家に泊らせてもらった。私はどんどん溺れていく。


(息をするのもままならない)


通話をして「おやすみ」と切った後に残る通話時間の長さ、スマホの暖かさ、今日もくれた優しい言葉たちを思い出し噛み締める。


(辛いよ)


誰にも相談できない。共感されない。

でも、一人で抱えるには大きくなりすぎている。


『レンカさんをブロックしますか?』


目を瞑りスマホをおでこに当てる。暖かい。一粒の涙が頬を撫でて落ちる。

ブロックなんて出来るわけが無かった。

離れる事も先に進む事も出来ない私はただこの性の重さで沈んでいく。


「あぁ、もうどうしようもないくらい、好き」


そうだ。私はどうしようもないくらいレンカさんの事が好きで、その気持ちはどうしても変えられそうにもなくて…濡れた目元を指で拭う。


「レンカさんにも私を好きになってほしい」


そこから友達として、という言い訳を封印した私は早かった。


「これすごく美味しいです!」


レンカさんといると自然と声のトーンが上がる。ついつい浮かれた調子になって、いつもなら出来ないようなことでも出来てしまう。

幸い、少し遅めのランチという事もあり周りに他のお客さんは見当たらない。


「そうなの?良かった」


「食べます?」


「え、うん」


「はい。あーん」


耳に髪をかけ、艶やかに光る桃色の唇が私の差し出したフォークに近づく。


「うん。確かに美味しい」


「ですよね!」


「最近さー色々頑張ってるよね。髪もさらに綺麗になってるし、ネイルも変えてる。勉強も順調だし」


「凄いね」と褒めてくれた。

ちゃんと見られていたらしい。嬉しいような恥ずかしいような、次第に顔が火照ってくる。


「あっありがとうございます」


確かに最近、告白される回数が一気に増えた。

少し前まで同性しか好きにならない変わり者と距離を置いていた人たちが手のひらを返してあるはずも無いワンチャンを掴みに来る。


「明るくなった」


「良く笑うようになった」


「可愛くなった」


色々と褒められることも最近、多い。


(だって、好きだから)


どうしようも無いほどに好きで、振り向いて欲しくて。


「あの、帰りにレンカさんが好きって言ってたメロンパンの美味しいお店あるので買って帰りませんか?」


「ここら辺に?そうなんだ」


「はい。偶然、動画流れてきて、あっレンカさんにおすすめしようって、目星つけてました」


「へーありがとう。嬉しい」


楽しみ、と私の方を見ながら微笑む。

あぁ、その一言でどれだけ私が報われるか。


(私の体も顔も髪もメイクも服も、心も時間もお金も全て)


レンカさんに振り向いてもらう為にあるのだから。

私もきっと彼らと同じで、あるはずのないワンチャンを掴もうとしているのだろう。


(だからちょっとだけ、君たちの気持ちもわかるよ)


受け入れはしない。でも、無碍にもしない。

どこか彼方遠くで私たちは同じ性を抱えているから。溺れる苦しさから逃れるためにもがいた結果、こうなった。


(もう少し落ち着いて行動してほしいけど)


分かる事が増えるたび、少しずつ対応も慣れて来る。

分からない事は怖い。小学生の頃も中学生の頃も結局、根幹は分からない、理解出来ないから怖かったのだ、と今なら分かる。

分かったフリをした所で、その怖さから逃れる事は出来ないのだ。


「たまに疲れるけど」


脳の疲れない勉強は無意味、という事だろう。

疲れたら休憩をすれば良い。それだけだ。


「じゃあおやすみー」


私は隣にいるレンカさんへ「おやすみなさい」と返す。

私たちの関係は私が三年生に進級しても尚、続いた。

胸の苦しさは相変わらずだったけど、その苦しさに慣れている自分もいて、たまにすごく苦しくなる時もあるけれど、何とか日々を過ごしている。


(レンカさんは相変わらず振り向いてくれない)


それでも良かった、なんて口が裂けても言えないし、言いたくもない。早く振り向いてほしいけど、どこかうっすらと諦めている自分もいるのは分かる。


(仕方ない。こればっかりは)


さがは生まれもってのものだ。そう易々と変えることは難しい、というのは私が一番分かっていた。


「大好き」


私は寝ているレンカさんの頬に口づけをして眠りについた。


「仕事やめたんだよねーお金貯まったから、これからは世界一周旅行の準備する」


翌朝、サラリとレンカさんはそう言った。

私は「え」と持っていたトーストを落とす。幸い持ち上げたばかりだったのでお皿にそのまま落ちる。


「突然、ですね」


「そうかな?まだもう少し先だけど」


レンカさんはそう言ってくぁ、とあくびをしながらお腹を掻く。寝癖が跳ねて髪が大変なことになっている。


「いつなんですか?」


「四月の終わり、飛行機だけとりあえずもう取っちゃってるから」


後二週間ほどだ。あまりに唐突な終わり。


「突然すぎますよ」


あっという間に私の視界はぐちゃぐちゃになった。目頭が熱く、拭っても拭ってもこぼれ落ちて行く涙も熱い。


「え?ごめん。タオル、タオル」


ドタバタと足音が聞こえた後、私の背中を撫でながらキッチンから取ってきたであろうタオルを差し出した。

あぁ、レンカさんには何も伝わっていないのだ。私の気持ちなんて。


(知ってたけど)


こう想われている事だって想像した事も無いのだろう。

グッと手を握り俯いて、またやってきたこの苦しさを堪えた。


それからレンカさんが旅立つまでのニ週間、私は基礎学力テストの勉強、レンカさんは世界一周旅行の準備とそれぞれお互い忙しい日々を送っていた。

連絡は頻繁に取っていたもののレンカさんと会えるのは最終日以外無くてその二週間、私はずっと不機嫌だった。友達からは「お怒りモード」と呼ばれる始末だ。別に怒ってはいない。


(伝えなくちゃ)


世界一周旅行はゆっくりと三から四年かけて、そこで良い人がいれば結婚も視野、と言っていた。

お式いけますかねー、とその時は笑って答えたものの通話を切ってからメソメソと泣いた。

好きです、とメッセージに書いては消しを繰り返し、通話中、少し間が開くたび「好きです」と口にしそうになる。

でも、結局、最終日まで私は伝えることが出来なかった。


レンカさんは最後日、飛行場近くのカフェで待っていた。

少し骨張った腕、小さな時計。端正な横顔。


「レンカさん」


「座って座って、久しぶり、先に二人分飲み物頼んでるから」


「ありがとうございます」


「結局、忙しくて全然、会えなかったねー。ちょっと前までは週一で遊んでたのに」


その話し方が懐かしくて、もう泣いてしまいそうで、私はここにいる本命の理由を急いだ。


「レンカさん」


「なに?」


首を傾げ丸い目が私を見つめる。体の中から熱くなり心臓の鼓動が乱れ出す。

苦しくなる息を腹の奥へと押し込み、絞り出すように私は言う。


「好きです。恋愛的な意味でずっと前からレンカさんの事が好きです」


レンカさんは目を丸くし「そうなんだ」と答えた。

それから


「ありがとう。好いてくれてたのは分かってたけど、まさか恋愛的なものだとは思ってなかったな。あっ引いたとかじゃ無いんだけど。そう思うのも失礼かなって」


ぎこちなくそう綴るレンカさんの姿を私は初めて見た。

レンカさんがくれる「ありがとう」はいつだって舞い上がってしまうほど嬉しかったのに。この瞬間だけは嬉しくない。


「でも、私が同性を好きになることは無いからさ。ごめんね。もっと早めに気がついてあげられなくて」


「分かってました」


私は頷く。そうだろう。


「レンカさん。ありがとうございました」


私は頭を下げる。

レンカさんのために時間をかけて準備した髪が大きく暴れた。


「私に恋をさせてくれて。私、こんなに自分の中にエネルギーがある事、レンカさんに恋して初めて知りました」


それから顔をあげレンカさんの目を真っ直ぐ見つめる。フラれても、これだけは絶対に伝えたかった事。


「レンカさんに恋が出来て私は良かったです!」


レンカさんは目を細め屈託のない笑みを浮かべる。あぁ、やっと言えた。どこか憑き物が落ちたようなスッキリとした感覚だ。フラれてもレンカさんの笑窪は相変わらず愛おしい。


「私も私をこんなに好きでいてくれてありがとう。嬉しいです」


そう言われて思わず涙が溢れた。とめどなく溢れてくる涙を拭う私にレンカさんは言う。


「妹にね。これだけはお願いって事、伝えてるから。その時は会いに来てよ」


レンカさんはそれから泣きじゃくる私の頭を飛行機の搭乗時間ギリギリまで撫でてくれた。


それから月日は流れ…


「確かにレンカさんに会いたかったですけど、ちょっと早すぎますよ」


レンカさんはいつだって突然で…


「バケツここに置いとくよ?」


「うん。大丈夫。ありがとう。助かった」


私は夫にお礼を言って、レンカさんのお墓に向き直り花束を添える。


「お久しぶりですね。何からお話しましょうか」

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恋の墓前に花束を 夏草枯々ナツクサカルル @nonnbiri

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