もう恋なんてしないはずだったのに、アラサー男が私の心を奪おうとしてくるんですけど。

橘ふみの

もう恋なんてしない、はずだったのに



 高校を卒業して一人暮らしを始めてから数ヶ月、この生活にも慣れてきた。


「ねえ、柚希ちゃん」

「んー?」

「この前の合コン、イケメン君お持ち帰りしてたでしょ?」

「あーまあ、うん」

「どう? 進展あった?」

「ワンナイ」

「ええー。もったいなぁい」


 ワンナイはワンナイでしかない。あらかじめ相手にもそう伝えるし、連絡先だって交換することは絶対にない。お互い同意の上でワンナイする、これが私のやり方で後腐れがない。しつこく言い寄って来るような男とは、関係を持たないようにするのが鉄則。後々面倒なことになりかねないから。


 私はもう誰かを本気で好きになるなんてことはない。だって、本気の恋があんなにも苦しいだなんて知らなかった。だからもう二度、あんな思いはしたくない。今はただ、一瞬だけでも満たれればそれだけでいいの。


「ワンナイのほうが気楽だし」

「ねぇ、前から思ってたけど恋愛に興味ないって感じ? 柚希ちゃんって」

「うん。ないかな」

「そっかー。でも柚希ちゃんモテるから大変でしょ? 結構しつこく言い寄られてるじゃん」


 いくらモテたって自分の好きな人に好きになってもらえなきゃ意味がない。いくらモテたって好きな人の“一番”になれなきゃ、そんなの何の意味もないでしょ。


「ただいま」


 誰もいない家にこんなことを言っても『おかえり』の返事が返ってくるはずもなく。それから適当に時間を潰して、夕飯を食べて、お風呂に入って、また適当に時間を潰す。予定がない日なんてこんなもん。いつも通りソファーで寛いでると、ポタッポタッと天井から雫が落ちてきて私の頬を涙のように伝った。


「え? え? え、ちょっ!?」


 次の瞬間、バシャンッ!! とバケツをひっくり返したような水が私に降りかかってきた。びしょ濡れになった私は天井から大量の水が降ってくるというありえない現象に驚いて、物凄い勢いで家から飛び出した。


 バンッ!!


「うおっ、びっくりしたぁー」


 思いっきり玄関ドアを開けるとスーツを着た男が立ってて、かなり驚いた様子で私を凝視してる。それもそうか、びしょ濡れだし。


「あ、すみません。大丈夫でしたか?」

「あ、ああ……俺は別に大丈夫だけど」


 隣の人かな? 挨拶とかしてないから誰だか分かんない。お母さんもお父さんも『今のご時世、物騒なんだから挨拶なんてしなくていい!』って煩かったから、結局挨拶してないんだよね……気まずっ。


「……なんでそんなに濡れてんの?」

「あ、いや、なんか天井からいきなり水が降ってきて」

「は? マジ?」

「マジです」

「てことは上の階からか。で? 管理会社には連絡したの?」


 やば、管理会社の連絡先とかそういうのなんも分かんないんだけど。とりあえず大学から徒歩圏内だったら何処でもいい何でもいい状態だったから、全部お母さん達に任せっぱなしにしちゃったし。でも、こんなこと言ったら『うわっ、だらしない女』とか思われそうでなんか嫌だしな。


「ちょっと入ってい?」

「え? あ、はい」

「どーも」


 水が降ってきた天井を見て『こりゃダメだなー』とか言いながら誰かに電話をかけ始めた。内容から察するに管理会社へ電話してくれてるんだと思う。電話を終えて、チラッと私を見てくる隣人かもしれない男。


「今日は業者が臨時休業で今すぐ対応すんのは無理だとよ。ま、業者が来たとてすぐどうにかなるレベルでもなさそうだけどな」

「は、はあ……」

「まっ、しばらくはどっかで寝泊まりするしかないんじゃね?」


 えぇ、金欠なんだけど私。でもここワンルームだし、この天井で寝起きするとかシンプルに怖すぎるから無理。大学の仲いい子達みんな実家住みだから泊めさせてもらうのも気が引けるし。まあ、最悪ダイエットだと思って食事抜くしかないかな。


「じゃ、俺はこれで」

「あ、どうも、ありがとうございました」


 私が露骨に困った顔をしてたみたいで、大きなため息を吐きながら前髪をかき上げてる隣人らしき男。


「なに、泊まるとこねぇーの?」

「金欠なうえに友達みんな実家住みで」

「はあ、まあ、俺ん家来る?」

「え?」

「お隣さんのよしみってことで」


 全然親しくもなければ名前すら知らないし、そもそも存在自体も今の今まで知らなかったけどね。ま、今日だけでも泊めてもらえるならありがたいし、お言葉に甘えようかな。


「助かります」

「とりあえず着替えとか要るもんだけ持ってこいよ。俺、外で待ってるわ」

「あ、はい」


 準備を済ませて玄関ドアを開けると、煙草を吸いながらスマホをいじってる隣人さんがいた。


「すみません。お待たせしました」

「ん」


 煙草を咥えながら玄関の鍵を開けてドアを開けると“入れば?”と言いたげな顔をしながら私を見ている。『お邪魔します』と言いながら頭を下げて部屋へ入ると、男の一人暮らしとは思えないほど綺麗にされていて、とてもシンプルだけど統一感があってオシャレ。私の家と同じ造りなはずなのに、全然違うように見えるなぁ。


「風呂入ってこいよ、風邪引くぞ」

「ありがとうございます」


 シャワーを浴びながら冷静になった今、この何とも言えない状況に若干のヤバさを感じている。ま、まあ、こんな簡単に招き入れたってことは独身者だろうし、多分彼女もいないはず。いや、でもなぁ、見るからに20代半ばの社会人だし、そこそこ……いや、かなりかっこいいし、なんていうかちょっとチャラそうっていうか、遊び慣れてそうっていうか。彼女や奥さんいても平気でパターンとかありそうっちゃありそう。待って、ヤバくない? これ。ワンナイって言っても隣人となんて今後が気まずくて嫌だし、そもそもフリーなのかどうか気になるし……まあ、なるようになるか。


「お先でした」


 部屋に戻ると煙草を吸いながら缶ビールを片手にソファーで寛いでる隣人さん。


「ん。つーかさ、名前は? 俺、中村千紘なかむらちひろ

白樺柚希しらかばゆずきです」

「白樺さんいくつー? 結構若いよね?」

「19です」

「……は? マジで?」

「はい。中村さんは何歳ですか?」


 すると、天井を仰ぎながら煙草の煙をため息混じりで吐き出す中村さん。なんか困ったような、そんな表情を浮かべている。


「32」


 は? さん、じゅう、に……? さんじゅうに? 32!?


「え、マジですか」

「マジ。つーか何、大学生か?」

「あ、はい」

「へえー」


 中村さんが30代なんて、20代半ばだと思ってたし。中村さんのことアリかナシかで聞かれたら、見た目的には全然アリなんだけど……いやいや、32て。無理無理、絶対に無理。だってアラサーだよ? 今時のアラサーはオッサンというよりはイケてるメンズが多いけど……いや、やっぱナイわ。今まで年上って言っても5つ上くらいまでだったしアラサーって……もう体力なくない? それに中村さん、めっちゃ煙草吸うしお酒飲んでるし、絶対体力ないタイプだわ。偏見で申し訳ないけど自分よがりなセックスして満足しそう。残念系イケメンってやつ。


「とりあえず白樺さん……いや、“ちゃん”の方がしっくりくるか。白樺ちゃんはベッド使って。俺ソファーでいいから」

「あ、いや、私がソファーでっ……」

「ああ、いいってそういうの。こういう押し問答的なのめんどいし、俺の言うこと聞いてくれると助かるんだけど」


 なんかちょっと、うざい。なんなの? このアラサー。自分で言うのもあれだし、嫌な女かもしれないけど、私って男から割とチヤホヤされるタイプだし、こんな適当っていうかダルそうに扱われたことないんだけど。まあ、泊めさせてもらう身だし、つべこべ言うなって感じだけどね。


 でも、こんな人が無条件で私を泊める……? まあ、ありえないよね? 無条件だなんて。となると、普通に考えられることはただ1つ。中村さんもセックス目的なんでしょ? きっと。


「俺、風呂行ってくるわ」

「いってらっしゃい」

「ん」


 中村さんが出てきたタイミングでそういう流れになるよね、おそらく。アラサーとセックスなんて初体験なんですけど。ま、これも貴重な経験だと思えばいっか。お隣さんっていうのがかなりネックだけど。あ、フリーなのか聞いとかないと。面倒なことになるのは嫌だし。で、お風呂から出てきた中村さんはひたすら煙草、お酒、スマホの繰り返し。


「よっこらせっと」


 立ち上がった中村さんにちょっと身構える私とそれを不思議そうに眺めている中村さん。


「え、なに」

「い、いえ、なにも」


 “あらそ”的な顔をしてスッと脱衣所の方へ消えてった中村さん……が『オエッ!』ってえずきながら歯磨きしているのが聞こえてきた。うん、見た目がかっこよくてもマジでナイわ。


「もう寝るぞー」

「あ、はい。おやすみなさい」

「おやすみ」


 中村さんが電気を消して私のほうへ来る……と思いきや、ソファーに寝転がって普通に寝ようとしてる。え? シないの? いや、もしかしたら夜這いタイプだったりして……? うわあ、ありそうだな中村さん。夜這いとか好きそうだし……とか特大偏見を心の中でブツブツ言いまくった。しばらくすると、中村さんのイビキが聞こえてきて『え、この人マジで寝たの?』と驚いたのは言うまでもない。こういう時ってセックスするのが当たり前だと思ってたから、拍子抜けっていうか……なんか逆にモヤモヤしてくる。


 ── あーー、ダメだ。全っっ然寝れない。なんか変に意識しちゃうし、そもそも中村さんのイビキうるさいし。時計の音と中村さんのイビキで気が狂いそうになる。


 何時間経ったんだろう。全く眠くない……もう寝れない、無理!!


 すると、中村さんが起き上がった気配がした……と思ったらトイレだったみたい。ちょって身構えた自分が恥ずかしくて仕方ない。中村さんってもしかして性欲ない人だったりして? モテそうだし、結構遊んでそうだけど、その辺淡白な人なのかなって、マジでどうでもいいー。


 ジャーッとトイレの水が流れる音がして、手を洗ってる音が聞こえる。あ、中村さん戻ってきた。ソファーに転がって即行でイビキかきながら寝るんだろうな、そう思ってたのに何故か中村さんの足音が私のほうへ向かってくる。え、今? 今? 今なの!? もうシないと思ってたから油断してたんですけど! 心の準備ができてないんですけど!? ギュッと全身が強張って、心臓がバクンバクン煩い。


 え? 胸下辺りまで被ってた掛け布団がフワッと肩までかけられた。そして、中村さんがソファーに寝転んだ音が聞こえて、すぐ『グーグー』とイビキが聞こえてくる。この人、マジでなんなの……?


 ── 翌朝、結局寝れずにオールした私。


「ひっでぇ顔してんな」

「中村さんモテませんよね、絶対に」

「悪いけどモテすぎて困ってんの」

「ああ、そうですか」

「俺もう仕事行くけど、白樺ちゃんどーすんの? あ、これ管理会社の番号。ちゃんと後で電話しとけよー」


 二つ折されてる紙切れを差し出されたから受け取って開いてみたら、管理会社の社名・電話番号・担当者の名前がとても綺麗で丁寧な字が書かれていた。中村さん達筆だな。


「ありがとうございます」

「ま、好きなだけ居てくれてもいいけど悪さすんな~」

「いや、もう出ます」

「そ?」

「ありがとうございました」

「……まっ、学生だしな。困ったら頼ってこいよ、この""お兄さん""に」


 スーツを着てネクタイを締めながらチラッと私を見て、優しく微笑んでくる中村さんにドキッと胸が弾んだ。ダメだ、黙ってればイイ男すぎる。中村さんがあともう7歳くらい若かったら、なんてね。私はもう、恋なんてしないって決めたじゃん。


「お世話になりました」

「ん。じゃーな」


 中村さんの遠ざかっていく背中をボーッと眺めて、雨漏りしてる自宅へ戻った。とりあえず水浸しの床やら何やら、できるだけ拭いてみたりしてせせこらと片付けをしていたら業者と管理会社の人がようやく来て──。


「これは1週間ほどかかりそうですね。修繕費用はもちろんこちらの負担ですし、宿泊費も後払いにはなりますが対応させていただきますので。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません」

「いえ……」


 管理会社の人達が帰った後、途方に暮れていた。さて、1週間どうしようかな。後払いで宿泊費出るって言われても、決められたお金で生活してる身からしたら前払いするお金が無いんですけどってなる現実。地元にいるのが耐えられなくて、地元からわざわざ遠い大学を選んでここへ来た。無理を言って一人暮らしまでさせてもらってるから、お金のことであまり迷惑はかけたくないしな。


 やっぱバイトくらいしたほうがよくない? お父さんもお母さんも『社会人になったら嫌でも働かなきゃいけないんだから、学生のうちは学生を全うしなさい』という神親である。ま、『甘いだけじゃん』と言われたらそれまでだけど。


「どうしようかな」


 今週怒涛の合コンラッシュだし、一人暮らししてる人とワンナイで転々とする? とか自分でもドン引くくらい貞操観念低すぎてヤバい。ま、そんなの今さらどうでもいいけど。


 ピンポーンとインターホンが鳴って、業者さん達が戻ってきたのかな? なんて思いながら、確認することもなく玄関ドアを開けると──。


「よ」

「ど、どうも」

「仕事でこっち方面来たんで寄ってみましたってやつ」

「そ、そうですか」


 こっち方面で仕事があったとはいえ、わざわざ来てくれたってことは少なからず私のことを気にかけてくれてたってことだよね? 中村さんって結構面倒見いいタイプなのかな。


「で、どうだって?」

「修繕は1週間くらいかかるそうです。一応宿泊費も後払いで対応してくれるみたいで」

「ふーん、1週間かぁ。そんくらいなら俺ん家来る?」

「……え?」


 ふざけた様子でもないし、おちょくってる感じでもないし、『別に来ればいいじゃん。お隣さんなんだし』みたいな平然とした顔をしている中村さん。


「俺、餓えてんだよね」


 ── あー、そういうことね。1週間泊めさせてやるから抱かせろって? それでチャラにしてやるよってこと? 昨日何もしてこなかったから、中村さんは意外とその辺ちゃんとしてる人なんだって思ったけど。まあ、何でもいい。そもそもこんな貞操観念低い女が何を言ってんだかって話だし。


「手料理に」

「……はい?」 

「手料理に餓えてんの。白樺ちゃん料理できる系女子?」

「え、あ……まあ、ほどほどには」

「んじゃ1週間頼むわー。あ、ちなみに今日は中華で」

「ちょっ」


 財布から1万を取り出して、私に手渡してくる中村さん。


「今日の帰り20時くらいだからよろしく~。ほれ、合鍵」

「え!? あ、ちょ、中村さん」


 鍵をポイッと私に投げて、鼻歌交じりで煙草を吸いながら去っていく中村さんに何も言えず唖然とする私。


「アラサー男って何を考えてるのか分かんない」


 同年代の男は分かりやすいっていうか、明らかに下心丸出しみたいな男が圧倒的に多いし、まだ子供っぽいっていうか、落ち着きのない男ばっかりで。けど、中村さんはよく分からない。読めない、全く読めない。いつの間にか中村さんに主導権を握られている気がする。


「あなどれないな、アラサー男」


 最寄りのスーパーへ中村さんリクエストの材料を買いに来ていた──。


「あれ? 柚希ちゃんじゃん!」


 げ、同じ大学のしつこい男じゃん。ここのスーパー大学からも近いし、来る場所ミスったなぁ。


「奇遇だね、伊藤君」

「それな! 今日大学休んだ感じ~?」

「まあ、うん。ちょっと色々あって」

「へぇ~。なら今日の夜あいてる?」


 ヤりたい! ヤりたい! が隠しきれてない感じ、なんかこういうのダルいな。それに比べて中村さんは私に全く興味ないって感じで……って、なんですぐ中村さんが出てくんのよ。


「ああ、ごめん、伊藤君。今日体調が悪くて」

「そっかぁ、了解。んじゃ、お大事に!」

「うん。またね」


 ── 時刻は22時。


 麻婆豆腐に八宝菜に餃子に棒棒鶏を作ってみた。お酒のつまみにもなるし、多分こんな感じでいいと思う。中村さん何時に帰ってくるのかな、20時頃って言ってた気がしたんだけど。すると、ガチャガチャッと鍵を開ける音がしたから一応玄関へ向かった──。


「おかえりなさい。というか、お邪魔してます……って、お酒くさ! 煙草くさ!」

「あー、悪い。急遽付き合いで飲むことになってな、ちょっくら飲んできた。連絡しようにも白樺ちゃんの連絡先知らねぇしごめん、待った?」


 髪をかき上げながらネクタイを緩めて、妙に色っぽい瞳で私を見下ろしてくる中村さんに、胸がドキドキする。


「い、いえ、特に待ってませんけど。飲んできたなら夜ご飯要らないですよね? おかず冷蔵庫に入れときますね」

「特に待ってないって、それはそれで寂しいんだけどー。あ、食べる。何も食ってきてねーし。先にシャワー浴びてくるわ」

「あ、はい」


 ド派手なゲップをしながら私の頭を撫でて、脱衣所へ姿を消した中村さん。


「うん、ないわ、ないない。中身マジでおっさんじゃん。イケメンの皮を被ったおっさんじゃん」


 見た目のかっこよさに騙されてはいけない、中村さんは正真正銘の""おっさん""。おっさんとか論外でしょ? ワンナイ対象外でーす。


「お、めっちゃ旨そうな匂いすんな~」


 シャワーを浴び終え、濡れた髪をタオルで拭きながら煙草を吹かして、冷蔵庫から缶ビールを取り出す中村さん。


「まだ飲むんですか?」


 呆れ気味でそう聞きながら、麻婆豆腐と八宝菜を火にかけて温め直してる私。その隣で、灰皿に煙草を押し付けて火を消した中村さんが私の肩に顎を乗せてきた。この人、距離感おかしくない?


「なぁ、味見してい?」

「あ、ああ……どうぞ?」

「どーも」


 麻婆豆腐を混ぜていたヘラを私から取って、『あちっ!!』とか言いながらそのヘラで味見をする中村さん。スプーンくらい出しなさいよ。


「旨っ! これ市販の元じゃねーな」

「中村さんバカ舌っぽいのによく分かりましたね」

「おい、失礼だな。俺の舌ナメんなよ?」


 舌を出してレロレロしてる中村さんにドン引いてる私を見て、スンッと真顔になった中村さんは缶ビールを飲みながらソファーに座ってスマホをいじり始めた。


「あ、つーかさ~、白樺ちゃんって今年ハタチになる19歳?」

「違います。今年高校卒業しました」

「なるほど。そっちのパターンね」

「何でですか」

「いや? なんとなく」

「そうですか。中村さんは? 今年33になる32歳?」

「いや、32になったばっか」

「へぇー」


 19と32って年の差ヤバくない? ジェネレーションギャップ激しそうだし、ほぼ話し合わないと思う。年上って収入安定してるから結婚を視野に入れるなら全然アリだけど、さすがに一回り以上離れてるのは無理すぎるでしょ。そもそも“恋愛”をする気ないのに、結婚なんて無理だよね。まぁ、愛のない訳あり結婚とかそういうのじゃないと私には無理。ていうか、そこまでして結婚なんてしたくもないけど。


「はい。どうぞ」

「サンキュー。いただきます」

「いただきます」


 2人用のダイニングテーブルで向かい合って食事をする、知り合ってまだ1日しか経ってないアラサー男と。どんな展開? これ。


「俺が遅い時は先に食っとけよ。女はそういうの気にすんでしょ、食う時間とかさ」


 まあ、あまり遅い時間には食べたくないけど、これ中村さんのお金だし。そもそも私って食べてもいいのかな? ちゃっかり頂いてるけど。なんにせよ、先に食べるのは違う気がする。


「待ちます」

「ふーん。太っても俺のせいにすんなよ~」

「は、はあ」


 太ったら『言わんこっちゃねーな』とかゲラゲラ笑いながらおちょくってきそうだな、中村さん。想像するだけでイラッとするから太らないように気を付けよ。


 食事を済ませた後、中村さんがさりげなく食器を片付けて洗い物までやってくれた。居候の身としては申し訳なさすぎる。


「次から洗い物とか私がやるんで」

「家政婦じゃねぇんだからそこまでしてくんなくていいって」

「でもっ……」

「んじゃ、交代でやれば良くね? 朝は白樺ちゃん、夜は俺で」


 換気扇の下で煙草を吸いながらスマホをいじる中村さん。こういう中村さんの態度を見ると、本当に私のこと“女”として見てないんだろうなって思う。安心するのと同時にちょっとしたプライドが傷付く。自意識過剰とか性格悪い女って思われるかもしれないけど、私と一緒にいて、ここまで私に無関心な男は初めて。アラサー男からしたら私なんて所詮“子供”でしかないのかもね。


「ねぇ、中村さん」

「んー?」

「彼女……いや、既婚者だったりします?」

「あ? んなわけ。いたらここに白樺ちゃん入れたりしないでしょ」

「なら良かったです」


 これが嘘か本当か、そんなの私には分からない。でも、中村さんがそう言うのならフリーってことでいいんだよね? なら、そういう流れになっても問題はない。1週間お世話になるんだし、中村さんがシたいって言うなら別にいいかなーって。


 いつからだろう、こんな女になっちゃったの。ほんと嫌になる。


 あの日、奪われて失って、全てが狂った。でも、自分のせいでもあるし相手だけを責めることができないから、尚更苦しくて辛かった。私はあの出来事を理由に言い訳にして──。


「おーい」

「あ、はい」

「歯ぁ磨いて寝るぞ~」


 で、なぜか仲良く肩を並べて歯を磨く私達。


「おえっ」

「ちょ、中村さん。えずくのやめて」

「あ? 三十路すぎたら色々とガタ来んぞ~」

「お酒と煙草控えたらどうですか?」

「ムリムリ」

「ああ、そうですか」

「そっちは男遊び控えたらどうよ」


 え? 不意をつかれてバッと中村さんを見上げると、私の瞳の奥底まで覗いてくるような目で私を見ている。その瞳は何もかも見透かしそうで、それが怖くて、私は目を逸らした。知られたくない、こんな軽い女だってこと。


「いやいや、バレてないとでも? “男慣れ”しすぎてんのバレバレ」


 なに、軽蔑した? 隣に住んでる若い女は遊び人だって。でもさ、それが分かるってことは中村さんだって遊んでる側なんじゃないの?


「まっ、俺も若い頃は遊んでたし、別にそれが悪いだの何だの言うつもりはねえよ? 自分を大切っ……」

「そういうの鬱陶しい」


 口をゆすいで脱衣所から出ると『おい~』とか気だるそうな声が聞こえてきたけど無視してベッドの中に潜った。どうせ『自分を大切にしろ』って言いたかったんでしょ? そう言おうとしたんでしょ? 何のために? 誰のために大切にするの? ずっと好きだった人に抱かれて、心も体も結ばれたって思って、幸せに満たされたのもほんの一瞬だった。私は、好きな人が好きな人を抱くために利用されたに過ぎなかったから。こんな体の何を大切にしろっていうの?


「人の話は最後まで聞けって習ってねーの?」

「アラサーって説教しないと死ぬんですか」

「あのなぁ、俺は『自分を大切にしろ』とかグダグダ言うつもりはねえ。ただ、勿体ねぇなってそう思ってるだけ」


 中村さんがベッドの縁に腰かけると、ギシッとベッドが軋んで沈む。


「実は俺、前から白樺ちゃんのことちょいちょい見かけてたんだよ」


 え? そうだったの?


「綺麗な子いんなーって、ぶっちゃけ気になってたから家に招いたってわけ。これがキッカケにならねーかな? みたいなもん。別にどうこうしてぇとかそういうのじゃなく、まずは普通にお隣さんとして的な。まあ、若いとは思ってたけどまさかの未成年で焦ったわ。水漏れの件がなけりゃ話しかけることもしなかっただろうし、この歳になると何事も慎重になるんでね、怯えるんですわ色々と。葛藤もあったんすわ、アラサーなりに。でもまあ、やっぱ気になって仕方ねぇわ。白樺ちゃんのこと」


 この胸の高鳴りがなんなのか、私は知ってる。


 会って間もないのに、アラサーなんて論外なのに、知らないことだらけなのに、もう恋なんてしないはずだったのに、アラサー男が私の心を奪おうとしてくるんですけど。


「出てこいよ」

「無理」

「あらそ~」

「ちょっ!?」


 布団を捲られて、優しく微笑む中村さんと目が合った。


「なに、照れてんの?」

「違います!」


 このアラサー、あなどれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう恋なんてしないはずだったのに、アラサー男が私の心を奪おうとしてくるんですけど。 橘ふみの @fumifumi18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ