第14話


(急げ急げ)

 

 教室に筆箱を忘れたことに気づいたのは天文部の部室に着いた後だった。

 階段を1段飛ばしで駆け上がって行く。

 陸上で鍛えたこの脚力ならば鍵が閉められる前に教室に着くことができるかもしれない。

 そんなワンチャンに賭けて階段を蹴っていく。

 普段の私ならばこんなミスはしない。

 悪いのは、波瑠と長南さんなのだ。

 責任転嫁も甚だしいが私の心の中だけの話なので許して欲しい。

 放課後長南さんと楽しそうに話す波瑠、その光景に5秒か10秒か視線が離せなかった。

 より正確に言うのならば波瑠の表情から視線が離せなかっただ。

 波瑠は私以外の前ならよく笑う。

 困った風に笑ったりだったりフニャっとした笑いだったり小馬鹿にしたように笑ったりいろいろだ。

 でも、私と話す時は唇をきつく結んでムスッとしている。

 きっと意図的に感情を殺そうとすればああいう顔になるのだろう。

 

(私の前でも笑って欲しいな)

 

 最後にそんな無責任なことを考え視線を逸らそうとした時長南さんの探るような視線が私に注がれていることに気づいた。

 パッと目を逸らそうとしたけどそれでは不自然すぎると思い何とか堪える。

 ただ次に意識した瞬間に目線は長南さんの方からそらされていた。

 1秒にも満たないようなその時間で私のずいぶん心は乱れてしまった。

 急いで荷物をまとめ教室を出た結果がこれだ。

 

「はぁはぁ」


 この程度で息が上がるなんて流石に体力が落ちている。

 こんな調子じゃ波瑠に笑われてしまう。

 来月には、体育祭もあることだしランニングなんかしたほうがいいかもしれない。

 壁に背を預けるとひんやりとして気持ちがいい。


 そのまま耳を澄ますとどこかの教室から吹奏楽部の練習音と人の話し声が聞こえてきた。

 別にめずらしいことではないのだがその声に聞き覚えがある気がしてさらに耳を澄ます。

 声は上の階のから聞こえているようだ。


「音無、なんでさっきからファイティングポーズしてるの?」


「カツアゲなら全力で抵抗しようと思って」

 

(星科さんと波瑠!?)


 以外すぎる組み合わせだ。

 星科さんがここにいるのはまだ説明がつく。

 ほぼ幽霊部員とはいえ私と同じ天文学部だ。

 旧館1階の部室に用がある可能性は充分にある。

 でも波瑠がこんな所に来る理由なんてない。

 部活に入った様子もないし委員も保健委員だった気がする。

 嫌な予感がする。

 その予感は、私をここから逃げ出したい考えとバレないよう盗み聞きしようとする考え相反するその両方を生み出していた。

 迷いの末私が選んだのは後者だった。

 逃げるなんて私らしくない。

 よく聞こえるようゆっくりと歩を進めていく。

 どうやら二人は、上の階段の踊り場で会話しているようだった。


「私と付き合ってください」

 

 星科さんのその言葉が聞こえた瞬間もともと上がっていた鼓動がさらに速くなるそして私の中に巡ったのは先日の後輩との記憶だった。


『明らか危険人物だからです』


 なるほど彼女の勘は当たっていたらしい。

 ていうか星科さん部活サボって女の子に告白とか良くないんじゃないですかね。

 それもよりによって波瑠に対してだ。

 波瑠は、確かに魅力的かもしれないけど波瑠は私の……

 

(私のなんだ?)


 友達ではもうなくなってしまった。

 同じ部活でもなくなってしまったし今は同郷のクラスメートという関係性でしかない。

 なにこれ、胸が痛い。

 私は波瑠をずっと知っているのに星科さんよりもずっと。

 星科さんは波瑠を知らないのに。

 いや知らないが故にいろいろと飛び越えて告白ができるのだ。

 私だって波瑠にもっと素直に気持ちを伝えたい。

 でもそれができないから星科さんにズルさを感じてしまう。

 

「一応を返事聞かせて貰える?」


 星科さんのその言葉に私は現実に引き戻される。

 思考の海に深く沈んでいたせいで話を完全に聞き逃してしまったようだ。

 そうだ告白の返事だ。

 それはこの場において最も重要な事項だった。

 私は再び2人の会話に耳を澄ます。

 先ほどよりは、鼓動は随分と落ち着いていた。

 返事なんて聞かなくてもわかっているからだ。

 彼女のその言葉をじっと待つ。

 

「……次のテスト結果、分かるまで待ってもらうことってできる?」



「……え?」


 聞き間違いかと思う。

 でも、その言葉はやけに鮮明に聞こえて脳に焼きついてリフレインされていた。

 その後どうやって私が放課後過ごしたのか憶えていない。

 家に帰りようやく冷静さを取り戻した私は土日をかけてこのことに対しての対策を講じた。

 教室の机に置き去りした筆箱を回収したのは月曜日になってからだった。

 というか筆箱の存在なんて忘れていた。

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