ハイスペ御曹司で年下幼馴染の山田一郎が誘ってくる送迎を断ったら、とんでもない目に遭った件
あき伽耶
ハイスペ御曹司で年下幼馴染の山田一郎が誘ってくる送迎を断ったら、とんでもない目に遭った件
「やめろ! マリちゃんをはなせっ! おまえがねらってるのはボクだろ!?」
幼い一郎は震える声でそう叫ぶと、私を連れ去ろうとする男の脚に必死で飛びついた。
「このやろう! マリちゃんを、マリちゃんをはなせーっ!!」
あれは22年前、一郎がまだ5歳、私が小学校2年生の冬のこと。
超有名企業の御曹司の一郎と、隣にたまたま住んでた一般庶民の私。身分違いの私たちだったけど、姉弟のように仲が良くて、毎日一緒に遊んでた。
そんなとき、この誘拐未遂事件に巻き込まれたのだった。
男の力は恐ろしく強く、抱きかかえられた私は
「このクソガキ、ふざけるなあっ!」
男は私を放りだし、一郎をつまみ上げた。
私は一郎を守ろうと手を伸ばすと、逆に男に蹴り飛ばされた。それを見た一郎はみるみる血相を変えると、手足をめちゃくちゃに振り回して暴れて……
結局、騒ぎに気づいた山田家の警護の者が
「ごめんね、ボクのせいで……。ボク大きくなったら、ぜったいにマリちゃんをまもってみせるから……!」
***
私はまどろみの中で小さい一郎に話しかける。
そんなことないよ、私のために守ろうとしてくれて頼もしかったよ……
この時のことを私は大人になってからもよく夢で見る。今も夢の中で泣いている小さい一郎の頭をなでながら、現実の私はこんなことを思ってる。
この頃の一郎、ホント可愛かったなあ、マリちゃんマリちゃんて私の後を追いかけて。
……でもさあ、今や可愛さなんて消え失せて、もうすっかり……
ピピピピピ……!
とスマホの目覚まし音が、ぼんやりした頭に容赦なく鳴り響いた。私はハッとして、根性で飛び起きた。
そう今朝は絶対に寝過ごせない。一時間早く会社に行くんだった。
だって、一郎が来ちゃうから!
一郎に会わないように、とにかく早く家を出なきゃ!
朝食もそこそこに急いで身支度を整えて玄関のドアを勢いよくガチャリと開けた。
と我が家の前で待機していた、黒塗り高級車の後部座席に収まる一郎がコチラを向いていた。
な、な、なんで一郎がもういるのよ~~~!?!?
一郎は整った眉根を寄せると、そのきれいな顔に似つかわしくない
「
「ゔっ……!」
行動を読まれていた私は、バツが悪くてそっぽを向いた。
「先を見越して待ってて正解だったな」
一郎は自分の判断に満足したのかニヤリとして、ここ最近毎日
茉莉茉莉って! いつのまにやら私のことはすっかり呼び捨てだ。
三つも年下のくせに、なにかと上から目線な一郎が私は気に入らない。
他の人には紳士的に対応するくせに!
だから私は口を
「だって一郎が車で送ってくれると大変なんだよ」
一郎は怪訝な顔をする。――といっても偏光グラスの眼鏡のせいで表情が半分隠れてよくわからないけど。
なんで私が大変なのか、おぼっちゃん育ちの一郎にはきっと思いもよらないよね。
だってね、ごく普通の一般企業に勤める女子社員があんな車で会社に乗りつけて、しかも超ハイスぺ男を引き連れて出勤したら、そりゃあ同僚の女子社員はおろか会社じゅうが大騒ぎになるに決まってんじゃない?
現にあれこれ一郎のこと聞かれたし、「
だけど一郎にこの話をしても、きっとわからない。
このハイスぺ男は自分が周囲からどう見られてるかなんて全く関心がないのだ。
一郎こと山田一郎はあの超有名企業YAMADA発動機の創始者一族。
乗り物をはじめロボット産業、宇宙から介護事業まで展開するYAMADAの将来有望な四代目。イケメンで高身長、おまけに武道有段者。メディアにも取り上げられ、世の女性の熱い視線を集めてしまう超ハイスペック男なのだ。
それなのに決して自分のことを鼻にかけないんだよね。まあそこが一郎のいいところだなって、私はひそかに思ってる。
「なあ茉莉、俺がお前を車で送ると、いったい何が大変だっていうんだよ? 満員電車に乗るより車の方が楽ちんだろ。なんでそんなに迷惑そうな顔するんだよ」
一郎はちょっとむくれてたけど、私は一般庶民の感覚をお坊ちゃん育ちの一郎に説明するのが面倒くさくて聞き流すことにした。
「とにかく乗れよ」
一郎は周囲を素早く見回しと、
いつもより早い朝の冷たい空気のせいか、見慣れたご近所風景はいっそう静かに感じる。通りの奥に見える白い車のハザードランプだけが淡々と点滅していた。
いくら幼馴染とはいえ結婚適齢期の男女なんだし、朝っぱらから言い合って誰かに変な噂を立てられたら困る。
一郎も周囲を気にしてるし、私は今日のところはあきらめて車に乗ることにした。顔なじみの運転手の鈴木さんに軽く会釈して一郎の隣に座ると車は動き出した。
いずれ一郎は、
数年前から私はそんなことを考え始めて、少しずつ一郎と距離を置くようにしてきた。
――そういうこともあって送迎されたくなかったんだよね。
それに、私の気持ちも揺れちゃうっていうか……。
「……送迎、嫌なのか?」
気まずい雰囲気の車内で、一郎が単刀直入に聞いてきた。
でも眼鏡の偏光レンズのせいで、一郎が怒って言ってるのか単に尋ねてるだけなのかよくわからない。
それにこの眼鏡、言っちゃ悪いけど嫌いだ。
せっかく一郎の隣にいるのに、一郎の目が見えないじゃないのよ。
子どもの頃から、私は一郎の眼差しが気に入ってる。真直ぐで、そして時折いたずらっ子の雰囲気を
……きっと一郎は知らないだろうな、私がいつもこそっと一郎の目をみてしまう癖があること……
わ、わわ⁉
わ~~~~~~~~~~~~~~~~‼
いやいやいやいやいやいや‼
ダメ、ダメだってば、私!
もうそういう気持ちは封印するんだってば!
一郎に気がつかれないように、しっかり封印して、距離を置かなくっちゃ!
だから送迎は断るって決めたんだよ‼
送迎嫌なのか? って訊かれて、ハイ嫌ですと答えれば角が立つし、けれど本当の理由を言うわけにいかないし、私の気持ちには絶対気づかれたくないし……!
ええい、こうなったら質問返しで乗り切るぞ!
「あ、あのさっ、どうして急に送迎だなんて言い出したわけ?」
そうなんだよね、いったいどうしたんだろうって不思議だったんだ。
「……俺さ、このところ仕事超多忙で、帰宅しても夜中まで仕事だろ。息つく暇もなくてさ」
と、一郎は
責任ある立場にいるしミスできないだろうから、気が抜けないことばかりだもんね。おまけに業務以外にも、YAMADAの後継者として対外的な務めもあるし。
「だから俺、会社の行き帰りぐらい、茉莉で息抜きしようと」
は?
……何それ?
「茉莉とだと気ぃ使わなくて済むから、楽なんだよな」
私で息抜き⁉
私はカチンときた。
私は一郎の
それに「楽」ですって?
なにその扱い!
……あ~わかってますよ、わかってましたとも、一郎の気持ちは!
一郎にとっての私は「腐れ縁の幼馴染」ならまだしも、安心安全の「家族枠」。そう完全に「弟を見守る姉貴枠」だもんね!
異性としてなんかこれっぽっちも見てくれてないのはわかってたけど!
でも一郎とは距離を置きたいから、都合よくて最高なんだけど‼
無性にイライラしてきた私は冷たく当たった。
「私だって忙しいの! 一郎のストレス発散につきあうほど暇じゃないんだからね!」
でも一郎はさらりと受け流す。
「そう怒るなよ。だから茉莉には悪いと思って通勤の送迎を提案したんだよ。それなら時間を取らせないだろ」
ぐぐ……た、確かに通勤時間は何をするでもないけど。
てゆーか提案とか言ってるけどさ、結局、強制的に送迎してんじゃないのよ。
「……まあストレスたいしたことなければさ、茉莉には頼らないよ」
「頼らない」と言われると、それはそれでムカッときちゃうんだけど。
「ただ今回は……正直結構きつくて」と一郎はネクタイをゆるめながら力なく笑った。
――あれ一郎、ちょっと重症?
ふと私は思い出した。
そういえば一郎は極度のストレスがかかるとコンタクトを受けつけなくなるんだっけ。それだけ大変ってことなんだろう。
心配になった私は、小さい頃からしてきたように一郎の表情を見ようとして……
もう~この眼鏡ホント邪魔!
表情わかんないじゃん!
……でもまあ、話ぐらいなら聞いてあげてもいいか。確か一郎は研究開発に携わっているはず。
私は尋ねてみた。
「そんなに大変な仕事ってさ、今何してるの?」
でも一郎から返ってきたのは、ちょっと残念な返事だった。
「……悪い、言えない。
「そっか……じゃあ話せないよね……」
こんなとき、やっぱり一郎は私とは違う世界の人間なんだなと思い知らされる。
ごく普通の会社の一般事務職の私には想像もできないよ。
――やっぱり私は離れて正解なんだろうな。
けど、こんなに一郎が
ああっ、もう私、どうしたらいいの? 気持ちぐらぐらしまくりだよ……!
私は頭の中で自分のほっぺたをピシャリとたたいた。
ここは心を鬼にしなくちゃ!
とにかく!
一郎とはこれからますます距離を置いていかなきゃいけないんだ。
一郎を癒すのは、私じゃない。一郎が将来出会う
私はそう自分に言い聞かせ、一郎を突き放すことにした。
「――一郎の事情はわかったけどさ、送迎はもう終わりにして! だいたいうちの会社の社長だって電車通勤なんだよ? なのに平社員の私が送迎されてたらまずいでしょ? そもそも私は送迎なんか必要ない、ただの一般人なんだから! 危ない目にあうこともないし――」
そこまで言いかけて、私はハッとして口を
あの誘拐未遂事件。
事件後、私はずっとその話題を避けてきて、一郎に話したことは一度もない。
一郎は覚えているのかな……?
***
それはいつものように一郎の家の庭で二人で遊んでいたときのこと。
「ねえマリちゃん、お外の公園で遊ぼうよ」
ちょっとした冒険心から、一郎がいたずらっ子の目つきになって言い出した。私たちはお屋敷の警護の目をかいくぐり、近所の児童公園に遊びに行ってしまったのだ。
普段お屋敷で遊べない遊具に、一郎は大興奮。
私にはおなじみの公園だけど一郎がこんなに喜ぶなんて。
(なんだか私もいつもより楽しい! でも早く帰ろうって言わなきゃ。一郎はすごいおうちの子だからみんな心配しちゃう……)
けれども私も遊びに夢中になってしまい、すっかりそんなことは忘れてしまった。
「くしゅん!」
冷えこんだ日だったから、くしゃみをした私に、一郎は「寒いの? これ着てよ」と上品な紺のカシミアコートを脱いで差し出してきた。
「こんなきれいなコート、借りられないよ……! それに私のほうがお姉ちゃんなんだから、大丈夫だよ」
「かぜひいちゃうからダメだよ! ボクいっぱい走って暑いしへいきだもん。マリちゃんが着て!」
一郎はほっぺをぷうっと
一郎はこの頃から同い年の子に比べて頭ひとつ大きかったから、コートは小柄な私にぴったりだった。
「ありがと。あったかいよ」
一郎の温もりが残るコートはポカポカして気持ち良くて。お礼を言うと、一郎はあふれんばかりの笑顔になった。
そろそろコートを返そうと思いはじめたとき、私は怪しい男が車道から自分をじっと見ていることに気がついた。一郎がいつも警護の者達に囲まれていたから、私にはどういうことなのかピンときた。
それに私は男の子のような見た目をしていたから、きっと一郎だと思われているに違いなかった。
(このままコートを返したら、一郎が危ない! なんとかしなくちゃ……!)
しかし幼い私に何かできるわけもなく、一郎がトイレに行った
私は男に抱え上げられ、そのまま車に連れ込まれそうになった。
戻ってきた一郎はその光景に驚き、私を守ろうと必死で男の脚に飛びつき噛みつく。
「やめろ! おまえがねらってるのはボクだろ!? マリちゃんを、マリちゃんをはなせーっ!!」
――その後、山田家の警護の者によって私たちは難を逃れることができた。
そしてなにより一郎のおかげで、私は車に連れ込まれずに済んだのだった。
一郎は自分だって怖かっただろうに、泣きじゃくりながら私に謝った。
「ごめんね、ボクのせいで……。ボク弱くて、まもれなくって、ごめんね。大きくなったら、ぜったいにマリちゃんをまもってみせるから……!」
この事件は私たちの苦い思い出。
だけどこれがきっかけで、弟分の一郎が私の中でちょっと違う存在になったことは確かだった。
***
「なんだよ、何か言おうとしただろ」
耳馴染んだ大人の一郎の声で、私は我に返った。
「え、えっと……」
あの事件の話をするわけにはいかないと、他の話題をひねり出そうとあわてて視線を泳がせる。
するとバックミラーに映る白い後続車が目に入った。
――あれ、あの車、さっき近所に停まってた車に似てない?
事件を思い出したせいかそう思ってしまったら気になって、鈴木さんに声をかけた。
「鈴木さん、あの車、ずっとうしろにいません?」
「えっ……いえいえ、あれはさっき交差点で左折してきた車ですよ」
と鈴木さんはバックミラーの中で私と一郎を交互にチラチラ見ながら答える。
そうか、なら安心。
なんかあの事件を思い出したから疑心暗鬼になっちゃって。
ぐいと車が右折した。いつもはまだ直進するはずなのに。
その勢いで、私は一郎の肩にコツンとぶつかってしまった。
一郎の顔、ち、近い……。
一瞬嬉しくなってる自分を自覚してしまった。
わ~、もう私ったらダメだってば!
私は安心安全の、弟を見守る「姉貴枠」なんだからね!
「すみません」と鈴木さんが運転を
「茉莉さんの会社に入る道路が工事中になってましたので迂回します。ただこの先一方通行になるんですよ。このままだと茉莉さんの会社の前にはつけられません。ですので路地を……」
「だ、大丈夫ですよ! 一通からは一人で歩いていきますから!」
その状況、逆にナイス!
私は一郎から体を離しながら力をこめて返事した。
「茉莉、送迎の件だけど」と私の心境なんか知りもしない一郎が話を戻す。「茉莉が送迎を嫌なのはわかったよ。だけどもうしばらくだけ、俺に付き合ってくれよ」
……一郎、全然わかってない。
だから、私は一郎と距離を置きたいんだってば!
「茉莉……」
一郎が柔らかい声で名前を呼んで、私の顔を覗き込んできた。
ドキッ。
だから近いってばーーーーーーっ!!
「いい大人なのに茉莉に甘えてるのはわかってる。今のプロジェクト、実証実験段階でもうすぐ終わるから……それまでは頼む!」
そんな顔で懇願されちゃうと「姉枠のまま傍にいるのもいいな」って心ぐらぐらになっちゃうよ……。
「オレさ、茉莉といるときだけは、ほっとできるんだ」
一郎ってば……!
きゅん……!
ち、ちがうちがうちがーーーーう!
「きゅん」じゃないっ‼
こんなことなら、最初からこの送迎話をきっぱり断っておけばよかった。
しばらく一郎を避けていて、寂しくなってしまったのは私だ。だから送迎話にイエスと言ってしまったんだ。
一郎のすぐ隣に座って、喋って、一郎を独り占めできるから……!
だけどこれ以上一郎の傍にいたらもっと辛くなってしまう。
将来、一郎に意中の女性ができたらって想像するだけで苦しいのに。
それにいずれ私の気持ちがバレて、一郎とぎくしゃくしちゃうかもしれない。
――そんなの、嫌だ!
なんとか断らなきゃ……!
詰まる声を無理矢理押し出して、私は嘘をついた。
一郎の反応が怖くて、一気にまくしたててしまった。
「……一郎、実は私さ、今、会社に好きな
そうだよ別に私に好きな人がいたって、一郎には全然関係ない。
きっと一郎は顔色一つ変えない。
だけど一郎、どんな顔してるんだろ……
一郎の方を向けないよ……!
もう、無理……!
「す、鈴木さん、私ここで降りますっ! 止めてください!」
この場に耐えきれなくなった私は、急ブレーキで車が止まるとすぐにドアを開けて飛び出した。
「茉莉!」
突然の行動に慌てる一郎の声を振り切るように、私は走った。
途端、視界が一気に
勢いとはいえなんであんな噓をついてしまったんだろう。
一郎にあきらめて欲しくてあんなことを言ったけど、誤解はされたくなかったよ……!
だって私が好きな人は、本当は一郎なのに!
後悔と片思いの悲しさで、また涙が滲む。
でもこれでいいんだ、これでやっと一郎と距離を置ける……
涙を
ところが、くたびれたスウェットの上下を着た小太りの男が一人、ふらりとビルの入り口前に立っていた。
オフィス街に明らかにそぐわないし、その雰囲気からなにか異様なものも感じた。
私はその男を避けて反対側から中に入ろうとした。素早く男の横を通り過ぎようとしたとき、男が話しかけてきた。
「日田茉莉だな?」
なんで私の名前を?
誰? 私こんな男、知らないよ?
頭の中で警戒音が鳴る。
男の目は焦点が合っていなかった。
「日田茉莉だな」
確認するようにもう一度男が言った。私は本能的に体を引いた。
が男の動きが早く、野太い手に私の手首はがっしりとつかまれてしまった。
男の手にギリギリと力が入っていく。
「は、離して……!」
つかまれた感触からあの事件の恐怖が再燃する。
誘拐されそうになった昔の体験が、昨日のことのように生々しく
怖いよ! 誰か助けて……!
そのときだった。
「この野郎っ! 茉莉に触れるな!」
聞き慣れた声が聞こえ、私をつかむ男の手が離れた。
私を追って駆けつけた一郎が男の右腕を
「茉莉、離れてろ!」
武道有段者の一郎が慣れた動きで男を地面に
ナイフだ。
一郎はあわてて飛び
「山田一郎だな? 若造のくせに調子に乗りやがって……!」
そう言った後、男はわけのわからないことを口走り、刃を一郎の体に突き立てようと突進した。
ところが信じられないことに、一郎は身じろぎひとつしなかった。
嫌な音が聞こえ、一郎の腹部にナイフが刺さる。
ショッキングな出来事に私は頭の中が真っ白になった。
目の前にいた一郎がごろりと道路に転がり、腹部からはどくどくと血液が流れだす。
だが転がったのは一郎だけでなく、男も一緒だった。一郎が男を抑え込むように倒れたのだ。男も後頭部を打ったのか動かない。
一郎が、一郎が…………‼
想像を絶する出来事に
が、一郎から流れ出て道路にひろがっていく血が私の意識を引きとめた。
救急車! 救急車呼ばなくちゃ……!
でも、手が大きくガタガタと震えてスマホを取り落としそうだった。
私は自分を
「しっかりしなくちゃ! 誰よりもずっと大切に思ってきた一郎を、こんなことで、こんなことで…… 失うわけにはいかないよ……!」
私は両手でスマホを握りなおした。それでも手は自分の物ではないぐらい震えている。
――と、私の手を誰かが優しく包んだ。
そして背後から抱きしめられる。不思議と怖い感覚は全くなかった。だってこれは――
「茉莉、落ち着け! 俺は無事だ」
この手、この声、この匂い。……よく知ってる。でも……⁉
混乱して振り返ると、目と鼻の先に眼鏡をかけていない素顔の一郎がいた。
ぎゅ、と私の体に回された一郎の両腕に力がこもった。
確かに、一郎だ!
じゃあ、この倒れている眼鏡一郎は……?
私の心の疑問に答えるように血を流して道路に伸びていた一郎が、
ぎゃあと悲鳴を上げ腰を抜かしそうになったけど、一郎が支えてくれて倒れずに済んだ。
「大丈夫だから、茉莉! よく見て」
血を流している一郎が倒れた拍子に外れた眼鏡を道路から拾い上げて、私たちに視線を向けた。
え、目が――?
その目は生気が宿っていなかった。
人形のような、黒くて丸い感情のない目。
人間じゃ、ない……⁉
目以外は全て、確かに、一郎なのに。
血を流している一郎が眼鏡をかけながら、私を抱きしめてる眼鏡なし一郎に話し出す。
「ご主人様、動画撮影続行中ですが、OFFにしますか?」
「事件の大事な証拠だからな、バックアップは?」
「同時進行で取っています。問題ありません」
頭が追いつかない。
腹から大量出血しながら平然と喋るこの眼鏡一郎は一体なに?
「一郎、これはどういう……?」
「YAMADAの超トップシークレットだぞ。この試作機三号は、俺の替え玉の
「替え玉? ヒューマノイド⁉」
ぽかんとするしかない。
「
実証実験中、最終段階と言ってた……一郎のプロジェクトって
「本物の一郎だと思ってた……」
「AIモードも可能だけど、インカムで俺が喋ってたしな。全然気がつかなかったろ? 茉莉に見抜かれなかったから、合格点だな。それと驚かせてごめんな。茉莉を守るように命令は出してたが、試作機3号自身を守れと設定してなかった。これ今後の検討事項だな」
本物の一郎はそう説明すると、
「もうすぐ警察が来る。それまでに
「かしこまりました。ご主人様は?」
「コイツを警察に引き渡したあと、俺は運転してきた車で移動するから問題ない」
一郎の視線を追いかけると、さっき私が気にしていた白い車がすぐそこに駐車されていた。
車から一郎に視線を戻そうとしたとき、私の視界の端で何かが動いた。
道路で伸びていた男が意識を取り戻し体を起こしたのだ!
私が身を硬くするより早く、
「護衛機能も備わってるんだ、完璧だろ?」
一郎は私に得意気に言うと、
「カメラ停止して保存だ! で、そのクソ野郎、俺に一発殴らせろ!」
一郎は男の胸ぐらをつかみ上げた。
「おまえ、よくも茉莉を……‼‼」
――男が
瞬殺のKOだった。
しかしこれだけのことが起きたのに道路には野次馬がほとんどいなかった。
きっとYAMADAの一声で非常線が張られてるんだろう。
驚くことばかりで呆然としている私を、一郎はきつく胸に抱いた。
「茉莉が無事で良かった……! おまえに危害を加えるって脅迫メッセージが届いてからというもの俺はどうにかなりそうだった」
狙われていたのは、一郎じゃなく私だったってこと……⁉
一郎が怒りと安堵で熱く震えている。
私は一郎の胸の中でそれを直に感じていた。
「あの事件があって、俺は茉莉を絶対に守るって決めたのに! 二度と茉莉にあんな怖い思いをさせないと誓っていたのに……! 本当にすまない!」
私もまだ小刻みに震える手で、一郎の腕に優しく触れた。
「謝ることないよ、一郎は私を守ってくれたじゃない。
――でもどうして私なんかが狙われるわけ?」
「茉莉が俺の恋人だってネットニュースで大々的にすっぱ抜かれてたからな」と一郎が苦々しく言い捨てる。
え⁉
私が一郎の、こ、恋人って⁉
「そんなネットニュース、私初耳なんだけど⁉」と一郎の顔をまじまじと見た。
「発信元はすぐたたいたけど茉莉のスマホには規制かけたから、茉莉は知らないだろ」
はあっ? 規制⁉
どうやって⁉⁉
っていうかYAMADA、いや一郎、怖っ!
……ああ、でもだから会社の人たち、「結婚」なんて言ってたのか!
「勝手なことして悪かった。でも茉莉のことだからあんな記事見たら自分を責めるだろ?
茉莉が俺から離れて行こうとしていたのは知ってたよ。そのほうが茉莉にYAMADAの重責を負わせなくて済むから、俺もこれでいいんだって自分に言い聞かせてた。でも本当は茉莉を手放したくなくて!」
ええっ一郎、それって……?
一郎は自嘲気味に言い添えた。
「……自分の気持ちを抑えるのがこんなにも苦しいとは思わなかったよ」
い、一郎……?
「でももう俺の傍にいてくれるんだろ? 俺のこと誰よりも大切に思ってると言ってたし」
一郎はいたずらな雰囲気を
私の胸が、きゅ、と締めつけられる。
そして一郎は、私が今まで聞いたこともない甘い声で
「俺も正直に言う。茉莉は俺にとって特別な存在なんだ」
ずっと鳴りやまなかった私の心臓の鼓動は、一郎の本心を聞いてさらに跳ね上がった。
心はふわふわと夢心地――になりそうになったけど、一抹の不安に襲われて、恐る恐る訊いてみた。
「ねえ一郎、特別って、……姉貴枠ってこと?」
「……茉莉、おまえ何言ってんの?」
と一郎はあきれ顔になったあと、凛とした顔つきでこう答えた。
「俺の
息がかかりそうなほどの位置に一郎の顔があって。
私の大好きな目でじっと見つめられて。
私はその目の中に幼い頃の一郎を探す。
一郎の顔がゆっくりと近づく。
ずっと一郎の目を見ていたかったけど、今はもう満足。
だってこの先いつでも見ていられるんだから。
これから感じる一郎の温もりに胸をときめかせて、私はそっと目を閉じた。
~Fine.~
ハイスペ御曹司で年下幼馴染の山田一郎が誘ってくる送迎を断ったら、とんでもない目に遭った件 あき伽耶 @AkiKaya
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