第12話 1人きりのティータイム 

 毎日繰り返される三時のティータイム。蒼い薔薇の手入れをして、草をむしって。布を敷いて、サクサクのアップルパイはシナモンが効いています。

「ジルベルト様。会いたい………」

「……イ………イル?」

 振り向くと、黒髪の長い髪、オニキスのような瞳。連戦を戦い抜いた傷だらけの鎧。

「た……ただいま……イル……」

「ジルベルト様。ずっと、ずっと、お待ち申しあげておりました……ずっと、信じて。帰ってくると……信じて……」

 言葉の途中で抱き竦められました。温かい。生きておられた、無事に帰ってこられた。腕を解かれた私はジルベルト様のお顔に触れました。涙が溢れてもう顔など解らないくらいです。

「夢じゃありませんよね?夢なんかじゃ、ありませんよね?ジルベルト様。ずっと、お待ちしておりました」

「イル。これからここは昔通り私の領地で、私が領主だ」

「屋敷の皆を集めましょう。幸せに暮らしましょう」

「そうだな。それは、アップルパイか?」

「はい。丁度三切れあります。お好きでしょう?疲れには甘いものがいいのですよ」

 そう言い私がバスケットを渡すのに手を伸ばすと、ジルベルト様が驚いた顔をしました。

「こんなに、こんなに痩せ細って……!!」

「そう、ですか?いいんです。ジルベルト様にもう一度会いたいと、それだけを願って生きてきました。ジルベルト様こそ、長旅でお疲れなのですから。食べて………」

「いらない!イル、君が食べろ!こんな……骨と皮だけじゃないか!」

「いらない、ですか。………『ご結婚おめでとうございます』と言うのが、遅れたのがお気に召しませんでしたか」

「どうして……そんな、ただのアップルパイじゃないか!何でそんなに意地を張る!」

「死ぬ前にもう一度『イル』と貴方の声で私の名前を聞きたかった。それに、ただのアップルパイじゃありません。アップルパイは、私の、綺麗な想い出なんです」

「イル!死ぬだなんて言うな!」

「自分の死くらい解ります。それに──もう私にはあのころの輝きはありません。奥さまにも解るように、レシピは全部書いてあります……お暇を……下さいませ。ジルベルト様にも、こうして再び会うことが出来ました。私には充分です」

「出ていくというのか、こんな今にも……死んでしまいそうな身体で!」

 私はふふっと笑って言いました。

「ジルベルト様と奥様は仲が良いと有名だとか。お子さまは三歳になられたと聞きました。悋気に身を焦がしながら笑うふりなどしたくありません」

 それに、こんな未練がましい平民の愛妾など、生きていない方がジルベルト様にとって好都合でしょう?

 私は力なく笑いました。

「なら……何故待っていた?屋敷を守り、この庭の手入れをし、こんなに痩せ細って。どうして、どうしてだ!」

「………もう一度、もう一度で良かった。会いたくて……貴方に会いたかったんです。恋とは不可解な感情ですね。捨てられた身だとは、ずっと前から解っていました。惨めでも、無様だとも解っているんです。それでも、貴方に、会いたかった……。だから、最期のアップルパイです。なのに、いらないなんて……酷いひとです。貴方はいつでも酷い。いつの間にか私を抱いた後、微睡む私の頬を撫でながら必ず『愛している、エリアラ』と仰っていましたね……私は、貴方の中で私ですらなかった……私は確かに貴方を愛したのに」

「イル………」

 ジルベルト様が泣きそうな顔をなさっていました。そんな顔をなさらないで下さい。卑怯です。全てを許して差し上げたくなります。それに、最期くらい『私』だけを見て欲しい。エリアラ様でもなく、昔の輝きの中の私でもなく、今の、ただの痩せ細ったみずぼらしい私を。

「さよなら、ジル……たとえ貴方が誰を愛していても、私は確かに貴方を愛していました……」

 ああ、やっと言えた……これで思い残すことなく死ねる。視界が暗くなっていきます。私は確かにあの方を愛していました。憎しみなんかありません。蒼い薔薇の庭でのティータイム。罪の林檎に禁断の庭。

「私のお墓はこの蒼い薔薇の庭に」

「しっかりしろ、イル!」

「ジル……さよなら。ずっとあなたを──」

風が吹きます。ジルベルト様は私を抱きしめて下さいました。愛しい者を守るような、私を愛しているような。今更どうして?それほど私はは可哀相ですか?

「アップルパイ、二人で食べよう?君の淹れる紅茶は逸品だ。まだ伝えてないことがたくさんある。話したいことも、たくさんある!だから、イル、駄目だ!私が悪かった。お願いだ!逝くな!死ぬな!私を許さなくていいから!」

『ジル……貴方を待っているだけで私は幸せだったんですよ……』

 私はそう言うと、木々がざわめきました。森から漏れる差し込む光。くらりと眩暈がして私は意識を失いました。



───────────《続》

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