境界に生きる

ゆめのみち

第1話 その足を置いた場所は

「ここ、とっくの昔に住む人がいなくなったのに水とか電気とか通ってるんだって」


 それは誰が言ったのか。いや、どこで聞いたのだろう。誰かが誰かに教えられた情報だ。きっと他の人たちからしてみたら、そんな都市伝説みたいな、犯罪の温床になる、しかも町からも遠いところにわざわざ行くなんて考えないだろう。

 おまけにこの四人は行くだけじゃなく、住もうとしているのだ。

 なぜそこに住もうとしたか。それは四人の誰にも分からない。

 漫画喫茶で住むにはお金を稼ぐのが大変なのかもしれないし、心機一転なのかもしれない。もしかしたら人や人の作るごちゃごちゃしたものが嫌なのかもしれないし、なんとなく足の動くままなのかもしれない。それともそれら全てなのかもしれない。

 自分の行動、気持ちがこの四人には分かることも考える事も出来なかった。

 柔らかく歩きにくい土の上をしっかりと歩く。幸い、暖かく過ごしやすい季節になったのに虫は全く少ない。

「このメモだともう少しこっちかな…」

 と一番先頭を歩く日々にちが言う。その返事に――返事と言えるか分からないが――

「一応道は整理されてるっぽくてよかったぁ」

 と麦菊きくは言った。それを言ってすぐに大手チェーン店から盗んだ水筒を、これまた同じ店から盗んだ鞄から取り出し、ごくごくと美味しそうに飲む。

 中身は公園に置かれている水道水だ。けれど、慣れない山道を歩いている四人にとっては最高に美味しい飲み物だった。

 それを後ろから見ていた九重このえ西樹せいじゅは喉をごくりとさせるが、でも何もしなかった。しようとは思わなかった。

 別に水を持っていないわけではない。ただ、好きなのか幼馴染を安心する家族として見ているのか分からない感情で握っている手の心地の良さを手放したくなかった。どろどろとして、悲しいかも嬉しいかも分からない、「黒い感情」と表現するには違いすぎるその何かで溶け合った、非常に離れがたい何か。

 別に誰かに手錠をかけられているわけでもない。それに恋人同士でもない。でもそれは離れる時には離れる薄情なものでもある危うい何かにすがっていた。

 喉が渇いても、手がどっちの汗で濡れているか分からなくなってもすがっていた。

「あ、なんだろこれ…」

 何かを見つけたらしい日々は、その何かを覗くために軽く膝を曲げる。

「左、頂上?…じゃあ右だ!皆!右に曲がるからな!」

 そう大声で後ろの友人に言ったあと、すぐに麦菊が「えー!」と叫んだ。

「まだ歩くのー?足ぱんぱぁん!」

「トンネルがあったらすぐらしいんだけどね。まぁ、この道がだめだったら戻ろうか」

 麦菊は「もー」と言いながらもまだ家というのに興味をもっているからか大人しく歩いていく。

 全く使われていない人の道をまだ上がっていく。奥に進むに連れ人が歩かなさそうな道になってきた。右に曲がるまではまだかろうじて、葉も踏まれておりなんとなく道も分かりやすかった。

 が、それもだんだん葉が生え放題になってきて、どこが人の道か分からない。

 それでも道を間違えても、話が嘘だったとしても、また引き返せばいいと考えていた。

 足首が雑草にくすぐられていく。それでもこの人たち、いや、この子どもたちは漠然とした気持ちで歩いていった。

 何かがほしい、けどほしいとも思っていない。なぜこんなにしてまで歩きすすめるのか、いっさい分かっていない。

 坂も緩やかになってきた頃、麦菊が「あっ!」と声を上げた。メモを見ていた日々は肩をびくっとさせ、上を向く。

 そのすぐあとに麦菊が後ろを向き

「九重!西樹!トンネルあったよ!すぐだよー!集落はすぐ近くだよー!」

 と叫んだ。嬉しそうに言う麦菊の姿に、九重は心の中でホッとした。実の妹でもある──もちろんその意識は本人同士にはない──麦菊が喜ぶ姿はいつ見ても、何度見ても愛おしい。

 トンネルの前に着いたら九重は、あれだけ濃い想いで繋いでいた手をあっさりと離して、麦菊の隣へ向かった。そして今度は彼女と、恋人のように絡みつくように大事に扱うように手を繋ぐ。

 電気もなく、もちろん太陽の光も入らないトンネルは絵の具できれいに塗られたかのように暗い。風の吹く音さえも聞こえない。

「じゃあ行ってみようか」

 と前を向いたまま日々は言って、また先頭を歩いた。

 出入り口こそはうっすらと灰色の地面や壁が見えていたが、すぐに暗くなる。4人はすぐに、トンネルの闇に呑まれるように消えていった。

「暗いねぇ」

 という麦菊の独り言に「せやなぁ」と九重は答えた。その九重の何気ない返事に、麦菊は愛を感じて前に進んだ。これだけで今日、生きていける。たった1言で、漠然とした繁雑とした心の中に光がさした。すぐに消えてしまいそうな小さな光は、闇に揺られながらも頑張って踏ん張っている。

 指でつまんでしまえば簡単に消えてしまう小さな光さえも、麦菊にはあまりにも幸せすぎた。

 そんな彼女の可愛さに目を細める。九重もまた、その笑顔だけで心が満たされいつまでも生きていられる気がした。そっと、麦菊のくねったセミロングの髪に触れる。トンネルの中ではチョコのような愛らしい色が鈍くなる。それでも九重は心の中にはちみつみたいなものが溜まっていった。

 冷たい地面の上を歩く音だけが響く。暗いからか、疲れているからか、誰も話そうとしない。

 ひたすらに足を進めていた。

 そのうちだんだんと木々の葉が揺れる音が聞こえてきた。ちーよちーよ、と鳥が鳴く声も聞こえる。入った時とは違って、出口は明かりがたくさん入っていた。

 うっそうとした木々。足元は葉っぱが生い茂っている。もうだれも住んでいない集落、だれも通る人はいないから自然が好きにのびのびと生きていた。

「たしかここから見えるんだよね?西樹」

 と前を向きながら麦菊は言う。

「ああ。ここから集落が確認できるはずだ。出たらどこかに降りれる小道があるはずだ。先輩がスマホで調べていたからたしかだ」

 その言葉に全員の心にほんの少し違和感ができた。見えるのは生い茂る木々のみ。開けた場所はない。全て緑と茶で埋まっている。それでも出たら切り立った場所があって下が覗けるのだろう、そう信じて進んでいった。

 固い石の地面からこそばゆい葉の上を踏む。

 外に出て見えたものは変わらず森の中、山の中だった。

 それぞれが弾けるように四方に走っていった。が、集落もなく切り立ってもいない。ただ、なだらかに下り道になっている地面と、空も覆い隠すような葉をつけた木々だけだ。

 はは、と渇いた声を出してまたトンネルの前に戻るために振り返った。その瞬間、誰もが固まって、考えることも目の前の事の認識もできなくなった。

 トンネルだったものはきれいさっぱりなくなってただの崖になっている。

 誰もが自分の呼吸を忘れていた。自分も頭の中が真っ白になっているというのに日々は元トンネルの場所まで歩き、手で撫でた。押しても撫でても何の変哲もない崖だ。

 次に麦菊が「あ!」と声を出した。心臓がばくばくとして思考もままならない。手足から鼻の先まで冷えたまま、早口で話していく。

「あ、あれだよ!集団催眠、ほら、パニック!前に付き合ってた彼女が言ってたの!小学校では全校が幽霊を見たって!」

 それだよ!と言い、うんうんと頷く。

 どこか知らない場所に来た。どうなるかも分からない、怖い事が起こるかもしれない。そんな頭には、とうてい答えとは違うと分かっていてもその仮説に飛びついた。

「せやな、それやわ。まだトンネルに入れてへんねや、うちら」

 自身を落ち着かせるように九重もすぐに言葉を続けた。

「だったら下りないとだね。俺たち、キャンプできる準備をしていないから」

「そうだね、どこだか分からないけどこの道を下っていこう。下ったら元の町に出るだろう」

 と西樹と日々も言葉を続けた。

 今度はだれも迷子にならないためにこぶし一つ分を開ける程度に集まって、歩いて行った。

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