第2話 バカの安い考え①

そして十日の時が過ぎた。


「ぜんぜんできないー、ぜんぜんかきかえられないー」

「結局べそべそしてんじゃねーか」

「してないよー。くよくよしてるのー」

「似たようなもんだろ」

「ちがうー」


 泣いてないから僕は断じてべそべそなんてしてない。れっきとした根拠のある言葉なのに、オウルは呆れ切った視線を突き刺してくる。それに僕も抗議の視線で対抗すると、やがて諦めたのかその目をしまって僕の横へ座った。


「そんなにムズイのか?」

「そんなにだよ、すっごい難しいの! 先生が作った一番難しいのより複雑! 変! 意味分かんない! これ作った人絶対変態さんだよ!!」

「お、おう」

「これ見てこれ!」


 ずっと誰かに見て欲しかったから、僕は勢いのままそれを手のひらの上に呼び出した。鮮やかに光り輝く無色の球形魔法陣。それを見たオウルは僕の期待通り、顔全体に疑問形をくっつけていた。


「……なんだこれ」

「例の転移魔法陣、とりあえずコピーしたやつ。感想をどうぞ」

「あー、立体、だなぁ?」

「そう、見やすい平面のもの、二次元じゃなくて三次元のなんだ。これだけでも馬鹿みたいに難しくなるのに、それだけじゃないの! ここ見て、ここ!」

「お、おぉ。なんか、動いてる、のか?」

「そうなんだよ!! 時間の経過と、よく分からないけど何かの変化に伴って術式も変動してる。だからこれは三次元どころか四次元、ううんもっと多くの、多次元に渡って稼働している魔法陣なんだ」

「専門用語多いな。つまり?」

「僕じゃ改竄、というか解読も出来ません!!!」


 僕の迷宮探索はもうここで終わりだ。荷物を引き払ってお家に帰ろう。なんかいいお土産買わなきゃ、甘いやつでいいかな。あっその前に、お家からここまで手紙が届くか確認しないと。オウルもきっと僕からの手紙無いと寂しいだろうし。現実逃避から支離滅裂な思考に走る僕を、オウルの言葉が繋ぎ止めた。


「そういや、あいつに相談はしたのか?」

「あいつって? …………もしかして先生のこと?」


 先生。この街から遠く遠く離れた森の中に住んでいる、僕を育ててくれた不思議な魔女の人。訳あって名乗れないらしいから、僕は先生って呼んでいる。オウルとも古い知り合いみたいで、僕が今ここに住んでいるのもなんだかんだ色々あった後、先生が紹介してくれたから。ついでに僕が迷宮の最奥を目指しているのも、先生にお願いされたからだ。


「ああ。ちょうど先週連絡してただろ」

「したのはしたんだけど」




 一か月に一度の定期報告、先生とお話出来る大事な大事な日だ。魔法陣の解析がまったく進まず落ち込んでいた僕も、この日に限ってはウキウキしていた。


 部屋の掃除を終わらせてから先生お手製の通信専用道具、銀の鏡をテーブルの上に置く。反射して映る景色にゴミや趣味の収集品は見えない。必要最低限の家具と黒髪赤目の少年、僕が映っているだけだ。よし、これならちゃんと片づけなさいって叱られない。


 念のために角度を変えて何度か確かめて、大丈夫って確信とともに鏡の前に座る。それから鏡に魔力を流し込み、表面が蠢いて渦巻くのを眺める。先生が言うにはこれで向こうの鏡が反応して、通信が来たよってリンリン鈴みたいな音で知らせるらしい。


 魔力を流してから数秒後、鏡の動きが止まった。先生が気づいたみたいだ。


「もしもし、見えますか聞こえますかー?」

『はい、もしもし。見えて聞こえています』


 声と共に鏡が再び動き出し一つの景色を、お家と先生の姿を映し出す。先生も僕と同じように鏡の前に座っていた。


「先生こんにちは! お元気ですか? 何かお変わりありませんか?」

『ありません、健康です。そちらも変わりは……いえ、まずは報告を聞きましょう』


 輝く白銀の髪は緩くまとめてあって、瞳は今日も夜明け前のような深い蒼色をしている。肌は蝋のように真っ白で、相変わらず外には全然出ていなさそう。先生は言葉の通り先月と、というより僕が物心ついた頃からまったく変わっていなかった。先生ずっと若いけど、本当は何歳なんだろ。


 小さい頃から聞くに聞けない質問が頭に浮かぶと、一緒に報告よりもっと大事なことを思い出した。ぱっと椅子から飛び降りて、身に着けていた白と青のローブ、先生からの贈り物をアピールするように仁王立ちする。


「その前に先生、この間は誕生日プレゼントありがとうございました!」

『着心地はどうでしたか?』

「はい、ばっちしです! このローブ凄いですね。温かいし、汚れも勝手に落ちるし、カッコいいし。あと、フードが深いのが一番気に入りました!!」

『人目が気になると言っていたので隠蔽の術式をフードに織り込みました。加えて補修、調整、各種防護などは全体に。それでも戦闘では、貴方の鎧には遥か劣るでしょう。不要であれば』

「大切にします!」

『……そうですか』


 役に立つとか立たないとか、そういうのは関係ない。貰ったってことが、作ってくれた、贈ってくれたことが嬉しくて、だから大切にしたくなる。そんな気持ちを込めて告げると、先生は言葉少なく頷いた。それから瞳を閉じて数回呼吸を重ねた後、先生が本題に切り込んだ。


『それで、今回は何かあったのですか?』

「………………えーっとー」

『話しなさい、イリアス』


 そう短く告げると、先生は黙って僕を見つめた。先生は昔からこんな感じだ。僕が隠し事をするとすぐ気づいて、話すように言ってからずっと待ち続ける、本当にずーっと。最長は確か半日くらい。


 待ってる間も普通に話してくれるし、怒ったり威圧したりなんてことも絶対しない。ただ僕が話すまで、時々じっと目を合わせて待つだけだ。先生の宝石みたいな目は眩しくて、僕はいつも根負けして本当のことを言ってしまう。今日もそうだった。


『第三層を踏破しましたか。予定よりも随分と早いですね、よくやりました』

「頑張りました!」

『………………怪我は』

「?」

『いえ、特に損傷などはありませんね?』

「無いです! 今まで通りぱーっとやって、ばーっと終わりました!」

『では、何の問題が?』

「……バレてます?」

『えぇ』


 再び先生が僕を見る。もう隠すつもりはなかったから、そのまま現状を伝えた。


『移動用魔法陣の稼働条件が二人』

「それで困っちゃって。これがその魔法陣のコピーです」

『…………なるほど』

「しかも僕だとこれ、全然解読出来なくて」

『その必要はありません』

「もう解けたんですか!?」


 さすが先生、僕が思い悩む必要なんてなかったのかもしれない。最初から相談すればよかった。安心して胸を撫で下ろす僕から何故か先生は目を逸らし、そのまま斜め下を見ながら僕に語りかけた。


『イリアス・ダアト、今後の指針を告げます』

「はい!」

『金でも縁でも、手段種別は問いません。期限も設けません。ともに転移魔法陣を稼働させる者を作りなさい』

「えっ」

『ただし獣の類はやめなさい。これは一定以上の知性が無ければ人と判断しません』

「ちょ、待って、待ってください、先生」

『……………………今回の定期連絡は以上です。今日は早く寝て、明日から励むように。では、吉報を待っています』

「せ、先生――――!?」


 呼び止める僕を振り切るように、その日の通信は終わった。

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