427秒

参価哲

無辜の踏切

電車が好きだ。電車は、いつも通りの朝を連れてきてくれる。鉄の狭間から鳴る音は、その上を走るその存在を遠くからでも感じさせる。その安らぎが、芥のように積み上がった嫌な記憶を壊していく。そうして、電車と共に日々を生きていた。


今ある記憶といったら、今日の目覚めから今までの僅かな時間と、数えるほどの楽しかった思い出だけ。何のためにここに立っているのかも思い出せないほど、記憶は綺麗に抜け落ちている。まあ、とりあえず電車を待っていれば、そのうち思い出せるだろう。安直かな?そうだとも。それくらいのマインドじゃないと生きてられない。そうでしょう?


今ある思い出から辿れば思い出せると思うから、思い起こすことにする。踏切が近いと、ドンブラー効果?だったかな、そういう名前のやつを強く感じられて趣深い。……と昔の友達が言っていたな。そんなことを言われても全く分からないのだけど、彼が楽しそうだったからテキトーな相槌で返した。その、ロップラー効果?とかいうやつは、何度聞いてもよく分からなかった。警報音は踏切によって癖があって音が違うよね、というなら分かるけどさ、同じ踏切はいつも同じ音を出すはずで、その音が上下するとかなんとか言われても、それを理解することはきっと叶わないかな。ごめんね。


彼は骨の髄まで理系に染まったヒトだ。こういう話をする相手が君ぐらいしかいない、と、嘆いていたのを覚えている。いや……今考えても、やっぱり彼の相手には相応しくなかったと思うんだけどな。根っからの文系だし。


彼にはもう会えないと思う。高校生の時、彼は遠い所へ行ってしまったから。いや、彼だけじゃない。皆もそうだった。知ってるヒトは皆、もう見向きもしてくれない。なぜかは自覚がない。昔に囚われて、皆がいつまでも側にいるって、勘違いしていたんだ。


……ってあれ、これは覚えてた。楽しかった……いや、嬉しかったのか?でもそんなわけない。別れが嬉しいって何よ。大切なヒトだったでしょ。屑みたいじゃないか。そんなんだから電車を待つことに明け暮れる程度の生涯なんだぞ。笑えるわ。ははっ。


こうしている間は、いつも同じ場所を眺めている。架線の間隙を飛ぶ雲、白とベージュに塗られた壁、近くの踏切の傍に置かれた地蔵、先の見えない線路。入道雲が見えた日は美しさに感嘆する。この景色から感じる懐かしさを過剰に摂取しながら、今はただここに立つ。


電車はまだ来ないようだ。退屈に曝露する前にあの話でもして、少し感情を動かしておこう。今日は起きてから何もしてないし、今更何もしようがない。電車が来るまで、テキトーに頭を回転させていよう。




「救わず踏切」という心霊スポットがある。踏切の中に轢死体を思わせる幽霊が現れ、それを認識してしまったヒトを、重篤な精神病にしてしまう。見た目のせいでそうなっているらしく、昨日現れた幽霊の姿なんてこうだったらしい。


頭蓋骨の前面は潰れ、

左眼球は脳と繋がったまま副鼻腔に埋没し、

顎関節は皮膚を突き破り耳小骨の横に露出し、

首は捩じ切れて背骨に減り込み、

肋骨は脇腹を刺して紫色に染め上げ、

右腕は肩甲骨を折壊して背中側に垂れ、

下半身の骨は圧壊されて飛散している、

死後間もない女性。


未だ脈を打ち微かに藻掻くその全身は、青く滲んだ心臓の疼きと拍動を同じくしながら、せめて肺に刺さる中枢神経は引き剥がせればと祈る。叫喚の代わりに黝い血を吐く、「蠢く死体」。


「救わず踏切」が生まれたその日から、この路線は影響を受けて終日運休になっていた。よほど凄惨な現場だったことを語るように、電車の走行音は静まり返った。後始末を任された作業員たちが、吐いたり、発狂したり。多くの困難を越えて復興は続いた。3日経って運転が再開されると、その夜から幽霊は出現するようになった。


「救わず踏切」はいつしか呼称され始める。現世に外れ出た地獄、と。


日本で1,2を争う危険度、という噂も聞いた。無視できないレベルの実害が出るからだ。この踏切では昔、お察し通りの事故があって、死体はその地縛霊って言われてる。なぜそんなことになったのかは誰にも分からないけど、霊になったくらいだから、生前の幽霊には何か強い恨みでもあったのだろう。まあ、そうなら引くほど自分勝手だ。理解に苦しむ。同情なんて到底無理だ。




この話は終わりにしよう。


でも、思ったよね。行ってみたいなって。分かるでしょう?飽くなき好奇心に沿ってここを離れて、「救わず踏切」を探す旅を始めてみようかな。正常性バイアス?上等さ、従ってやんよ。


……って、そうだ。電車を待たないといけないんだった。せっかく待ち受けてくれている運命からは、逃げてはいけない。それが、記憶が消えるほど嫌なことでも。威勢だけ良くしても結局、それは何も変えられやしないんだから。




電車が来ない。近くの駅の点検のせいだろうか、それとも異常の確認か、人身事故かは分からないけれど、遅延しているようだ。


ここは都会の、ましてや住宅街に囲まれている場所なのに、閑散としている。しかも今日は風が無いから余計に。来る電車に感じる高揚感も愛しているけど、この底のない郷愁感も愛おしいんだ。この遅延も、嫌いじゃない。




……あれ、珍しいな。ヒトがいる。久しぶりに見た。


花束を持っている。花は白色。纏われた白の薄紙との同化を拒む茎と蜜が「ドチラサマ?」と呟く。対照的な明度のフードを深く被ったヒトは、その呟きを封じるように薄紙を強く抱き、息を吐く。ヒトは、接近する。


接近する。一歩目は勇断の音を響かせる。


接近する。二歩目は哀愁の匂を香らせる。


接近する。三歩目は苦汁の味を知らせる。


接近する。四歩目は悔悟の色を滲ませる。


接近する。五歩目は感嘆の風を吹かせる。


接近する。


接近する。


停止する。


花を置く。


手を合わせる。


頭を下げる。


世界が止まる。


頭が上がる。


フードが取れる。


黒い髪が靡く。




の顔をしたヒトが出現する。




……寂しかった。今までずっと、何してたの。


「もう、1ヶ月も経ったんだよ。」


いつから?


「僕がここに来るようになってから。」


えっ?気づかなかった……。


「███もあの噂、知ってるよな。『救わず踏切』。」


……あっ、うん。でも、なんで君が知ってるの?


「友達伝手に聞いてさ。それで、来た。」


危険だよ。


「分かってる、危険だよな。でも来てみたくなった。」


なんで。




だって、精神病院に行くことになっちゃうかもしれないくらい危険だってことも、知ってるでしょ!?


「最悪の可能性を考える、それが研究者の心得さ。」


……急に何?


「ハハッ、何言ってんだろうな。

 今、ドップラー効果の話した時みたいな感じだろ。

 訳わかんねー、って。」


本当にね。濁さないでよ。言い訳なら早く言って。


「███に会いに来たんだ。」


……。


「っあ〜〜、恥ずかしっ。」


……。


「『救わず踏切』の幽霊って、見た目が新鮮なんだ。

 まるで、ほんの数時間前に死んだみたいに。

 医学系は詳しくねーから分かんねーけどさ。」


……?


「本当にグロかった。けど、僕は……怖くなかった。」


それって……。


「そうだよ。見たんだ、幽霊。」


……はぁ。そうなんだ。


「そして、最悪の可能性は的中してた。」


その……可能性って、何のこ


「幽霊って、███のことだよな。」




「2009/8/31 07:41:37。

 踏切内で轢死した17歳の高校生、

 ██ ███。

 非常に快活で聡明な人物として、

 同校の生徒からは知られていた。

 自殺だった。

 長引いた事後処理によって、

 事故現場の踏切は9/3早朝まで封鎖され、

 周辺住民は続々と退去していった。」




「2009年9月。

 事故現場の踏切に、

 轢死体が出現するようになった。

 事故を防げなかった皮肉を込めて

 『救わず踏切』

 と名付けられたその心霊スポットは、

 10年が経ったが、

 日本最悪の地として、

 今なお忌避され続けている。」




「後から調べてみたら、こんな酷い──。」




「僕が███を救えなかったのが悪いのに、

 この踏切、全てを擦り付けられてるみたいで。

 可哀想だなと思ったんだ。」




 「その程度の感想しか出ない自分に気づいた。」




「███の苦しみを代わりに背負ってあげられたら、

 なんて綺麗事を吐く権利は、僕には無かったんだ。」




「……電車は驚くほど定刻を守る。

 07:34:30、1つ前の電車が踏切を通過する。

 それから427秒後、あの電車が来る。

 その間はここに来たくない。」




「███と過ごした夢みたいな4年間が、

 救いの無い真実に、

 塗り潰されてしまうのが嫌で。」




「だから、その後に来るようにしてた。

 だけど今日は隣の駅での落下物回収で、

 遅延している。

 だから、まだ電車は来ていない。

 あの日もこうして遅延だったら、

 考え直してくれたのかなって、

 今でも悔しく思うんだ。」




「もう何をしても、

 ███に声は届かないのにさ。」




「███の生きてる姿、見たいよ。」




「あの頃の写真、もう色褪せちゃったよ。」




「……███、」




「愛してるよ。」


 警告音が鳴る。


「……落とし物、拾われたんだな。」


 電車が出現する。




 電車が接近する。


「……根拠の一つもないことだけど、聞いてくれ。」


 電車が曲線区間に入る。


「もし、███が新鮮な姿に見える理由が、」


 電車が曲線区間を勾がる。


「毎朝あの日を経験しているから、ならさ。」


 電車が接近する。


「今、███に手を差し伸べたら、」


 電車の最後尾を視界に収める。


「綺麗なままの暖かい手で、握り返してくれるかな。」


 電車が接近する。




 電車が接近する。


「……こっち見て。」


 右薬指が接近する。




 腕が接近する。


「来い、███!」


 心臓が接近する。




 視界が朧になる。




 瞼の裏を視界に収める。




腕が動く。








背筋が凍る。




なんで界が暗闇に覆われる。








電車が踏切あしがうごかないの内に入る。























 「……手、凍えそうだよ。 ███……。」
































電車が好きだ。電車は、いつも通りの朝を連れてきてくれる。鉄の狭間から鳴る音は、その上を走るその存在を遠くからでも感じさせる。その安らぎが、芥のように積み上がった嫌な記憶を壊していく。そうして、電車と共に日々を生きていた。

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