小夏

海湖水

小夏

 今年の夏も、どこにも行けなかった。クーラーの効いた部屋でそんなことを思っていた。

 せっかくだから、今年はどこかにドライブにでも行こうと思っていたのだが、なんやかんやで家にこもってしまった。

 直近の夏は暑いのだからしょうがない。そんなことを思いながら、私は近くに置いた麦茶を飲み干した。

 別に家にいてもすることがないのに、動く気力が出ない。つまらない。そんなことを思う日々だった。

 スマホで何度も見返した動画を再生していると、一件のメッセージが届いたと表示された。私は、間髪入れずそのメッセージを開く。久しぶりに連絡をくれた、昔の友人。かつて同じ部活だったか。


 『山に行こう。どうせ暇だろ?』

 『いつ?』

 『今日』


 「今日⁉︎」


 思わず声が出た。コイツは夏の暑さで頭が壊れたのだろうか、今から準備などできるはずが……。


 『弁当とか、その辺りはオレが持っていくからさ』


 よくわかっているやつだ。私はスマホを閉じると、着替えをクローゼットから引っ張り出した。



 「よお、久しぶり」

 「久しぶり。というか、一人称変わったの?昔は一人称、私だったでしょ?」

 「オレも変わったんだって。ま、ギャップ萌え的なのを狙ってるんだよ。オレっ娘とかいうじゃん?」

 「……車の運転、アンタがするの?」

 「オレがするわ。帰りはよろしく」

 「ん」


 車に乗り込み、2人で目的の山へと向かう。

 まあ、山といっても、あまり高いものではない。私は運動していないし、夏場の山は暑くてしょうがないからだ。


 「この夏何してた?」

 「私は……何もしてないかな」

 「オレも。なんつーか、暑いわ。やる気が出ねえ」


 最近の生活のことなんかを話しながら、2人で山に向かう。少しずつ、都会を離れて自然の中へと戻っていくような感じがした。

 海沿いを車で走っていると、自然と昔のことを思い出した。昔は海によく行ったものだが、最近は海を見ることすらしていなかった。


 「そうかもなぁ。オレも海は最近見てなかったわ」

 「アンタはよく外出してるイメージあるけど、そうなの?」

 「外出するって言っても、海の方に来ることはないからなぁ」

 「綺麗……まあ、忘れちゃうかもだけど。私、忘れっぽいし」

 「じゃあ、また来たらいいだろ。一緒に来ようぜ」

 「私、多分その約束も忘れるから、アンタが覚えておいてね」

 「へいへい」


 水平線を見ていると、今、自分がここにいることすらも忘れて、吸い込まれそうになる気がする。

 ポケットからスマホを取り出し、写真を一枚だけ撮った。この一瞬を、少しでも忘れないように。

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小夏 海湖水 @Kaikosui

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