金樹の要塞【短編・旅日記】

冬野ゆな

金樹の要塞についての記述

 ラーゼイユの川を南東に下ったところに、いまでは金樹の要塞と呼ばれる場所がある。

 そこはかつてガヴァモザと呼ばれた要塞都市があった。しかし、いまとなっては見る影もない。

 ここに記すのは、その要塞都市の顛末である。


 わたしがガヴァモザの地にたどり着いたとき、要塞都市では大がかりな工事が行われている途中だった。

 中央区の拡張だという。どうも大型の機械を搬入して、かなり広めに立ち入りを制限していた。

 その一方で、明後日に行われるという式典に向けた準備も進められているらしかった。

 

 ちょうど案内所があったので地図を貰ってみると、ガヴァモザは中央区をぐるりと囲む形で作られていた。

 この中央区はまるまる聖堂になっていて、その中心には聖樹と呼ばれる樹木があるらしい。建国の祖でもあり、礎となっている巨大な樹木。ここは要塞都市でありながら宗教都市でもあるのだ。

 案内所の男は、慣れた口調で説明してくれた。

「聖樹はですね、この国の成り立ちに関わっているんですよ」

 もはや何度話したかわからないだろうに、飽きたそぶりも見せずに言う。

「もとは戦乱から逃れた小部族が、この地にたどり着いたことから始まったんです」

 安住の地を求めて、険しい岩山を越え、深い森を越え、行く当てもなく続く旅。彼らの手には、珍しい黄金色の苗木があったという。彼ら――ガヴァモザの人々は苗木を金樹と呼び、安住の地にこそこの苗木を植えるに相応しいと信じていた。神々の加護を受けた特別な存在だと。そうしてようやくそれらしい土地に到着すると、彼らはさっそく苗木を植えた。すると、人々の疲れを癒すかのようにあっという間に生長したのだという。

 ゆえに、彼らは金樹を聖樹と呼んだ。

 聖樹を守るために強固な砦を作り、安寧を祈り、都市は次第に拡大していった。なにしろ聖樹の恩寵はそれだけではなかったからだ。かつてはその樹液や葉には薬効があり、年に一度、この国の王であり神官長だけがその一部を採取することを許されていた。

 だが近年は、この聖樹から採取できる樹液や葉を採取し、国の事業にしようという動きが出ていたのだという。

「そういうわけさ。旅人さん、見ることはできないが、ここの薬屋には聖樹の薬が増えてるんだ」

「へえ。どんな薬になるんだい?」

「特に擦り傷、切り傷にはうってつけさ! いまは研究が進んで、解毒や麻痺の薬なんかも作られてる。お偉いさんがたは、ここを医療大国にするつもりなんだ」

 話はそんなところだった。


 中が見られないのは残念だが、薬屋に行けば確かに聖樹の薬が売っていた。

 薬屋はあちこちにあり、確かにこの国の主要産業だった。きっと色々な旅人たちがここに薬を買いにくることになるだろう。いずれは他国への輸出も考えているに違いない。この際だからと、わたしもいくつか買い込むことにした。薬の補給は大切だ。荷物においては取捨選択も必要だから、多く持てばいいというものでもない。だから効果の高い傷薬を安価で買えるというのはわたしにとってもいいことだった。

 わたしは宿をとり、三階の窓から中央区を眺めた。

 機材の搬入が終わったあとも、作業は夜通し行われているらしかった。


 夕飯のために外へ出る。

 薬屋はあちこちにあるが、それに埋もれて食事をできそうな場所は見当たらなかった。少し道を奥へと入ったところに酒場があり、わたしはこれ幸いと中に入った。大通りで探しても良かったが、こういうところはその土地の料理を出してくれることがある。それに、治安の方もほどほど良かった。

 カウンター酒とオススメの料理を注文して待っていると、不意に隅の席から声が聞こえた。

「だから、これ以上黄金の樹を傷つけてはいけないと言ってるんです!」

 酒場で管を巻いていた男は、机を拳で叩きつけた。

 わたしは気になって、席を少しだけ移動した。

「なにを叫んでいるんです?」

 尋ねると、彼はゆっくりとわたしを見た。

 身なりはきちんとしていたのだろうが、いまはやや緩めている。

「失礼。わたしは旅の者でして。この国のことを知りたいと思っていたのです。あなたは?」

「植物学者です。まあ、もう追いだされましたけどね」

「追いだされたって、どこを?」

「聖堂ですよ。僕はあの聖樹の医者だったんです」

 つまり、樹木医のようなものか。

「金樹についてなにかご存じなのですか?」

「ご存じもなにも」

 彼は木杯を傾けようとして、中になにも入っていないと気付いた。

 わたしはもう一杯、彼に酒を奢ってやった。彼はぐいっと木杯の中身を飲み干し、ぷはぁ、とうまそうな声をあげる。

「あのままでは危険だということです」

「どういうことです」

 わたしが尋ねると、彼は饒舌に語り出した。

「あの樹木には確かに薬効があります――知っていますよね。そしてそれが人々を豊かにしてきたのも確かです。それがいかなる術なのか、それとも圧倒的な自然の脅威なのかは、この際横に置いておくとしましょう。大事なのは、あの樹木には薬効があるという事実だけです」

 学者は何度も念押しした。

「しかしあの樹木がどうして生長したのか、神話は語っていません。あっという間に生長したという言葉で片付けられてしまっている」

「もしかして、聖樹はまだ生長を続けているということですか。これ以上大きくなると危険だとか?」

「ええ。あの樹木の薬効は葉と樹液なのはご存じですか」

「はい。街で聞きました」

 わたしの返事に満足したのか、彼はうなずく。

「あの樹木は、傷ついた部分を修復するんです。人間の皮膚がかさぶたになって再生するようにね。でもあの樹木は、その再生能力がずば抜けて高いんです。傷つくことによって急生長するんです。これまでは一年に一度だとか、二度だとかでやってきて、少しずつ生長してきました。でも、もうそんな次元じゃないところまで大きくなっているんです。外からじゃ見えませんが、中はもう樹木でいっぱいになっていて、入れる隙間もありません」

 彼は眉を顰めた。

「それなのに、大きくなったから樹液が沢山採れそうだと――あんな、採取機械まで導入して! もしこれ以上、しかも一気に傷つけるようなことがあれば、どうなるかわかりません」

 わたしは呆気にとられていた。

「あなたも早いところこの国から出た方がいい。私はもう今夜にも出発するんです」


 これは彼の戯れ言なのだろうか、それとも真実なのだろうか。

 宿に戻ってからもずっと彼のことが頭から離れなかった。果たして彼の言ったことは本当だったのだろうか。

 翌朝になって中央区を見てみたが、やはり入れそうなところはなかった。式典が行われるまでやはり立ち入り禁止なのだという。式典で何をするのかと案内所で聞いてみると、採取機械を動かすところを公開するのだという。

 あの男はどこを探してもいなかった。

 昨夜、既に言葉通りに出発してしまったのだろう。

 街は浮かれていた。ここから素晴らしい未来が始まるのだと、浮き足だっていた。前夜からお祭り状態で、あちこちで飾り付けが行われている。わたしはいまだ作業が続けられている中央区を眺めた。


 翌朝、早朝に飛び起きると、わたしはイヤな予感を覚えていた。

 心臓が妙に跳ねる。何かが迫っている。生物ではない――イヤな予感としか言い様のないもの。わたしは「式典はいいのかい」という宿の女将に断りをいれて、早々に宿を出た。式典は朝の十時から始まるらしい。開いている店で旅の準備を済ませて、早いうちに国を出た。なぜそうしなければならないと思ったのか――あんな話を聞いたからだろうか?

 わたしは要塞都市からできるかぎり距離をとった。周囲を囲む、切り立った崖の上を目指してのぼりはじめる。途中で懐中時計を確認すると、九時半を示していた。わたしは急いで崖を登り切ると、既に十時を越えていた。

 上から見下ろすと、要塞都市がよく見えた。

 全景は地図そのままだ。中央に僅かに大きな金色が見えた。あれが聖樹か。あそこでいま、式典が行われているのだろう。既に始まっているはずだ。

 わたしははやる気持ちで見下ろしていた。

 だが、どれほど待っても何か起きる気配はなかった。

 

 何も無かったか――。

 視線を逸らしたとき、奇妙な爆発音を聞いた。

 思わず振り向くと、そこでは中心から黄金色の爆発が――いや、黄金の葉の樹木が爆発的に生長しているところだった。一気に幹を傷つけられた樹木が、同じ勢いで再生したのだろう。おまけに都市を破壊し、その衝撃で傷ついた樹木は再生を始め、あちこちから根を生やしていく。根と幹が空に向かって大きく立ち上がり、要塞都市を抱え込むように絡み合っていく。樹木はどこまでも生長を続けていった。

 それはひとつの巨大な生物のようだった。


 こうして、ガヴァモザの要塞は廃墟と化した。

 いや、黄金色の樹木が絡み合った姿は、それこそが要塞と呼ばれるようになったのだ。

 いまではこの街はガヴァモザではなく、「金樹の要塞」と呼ばれている。

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