大黒天

第2話 大黒天その1

 天照大神の部屋に足を踏み入れた青年は、思わず目を見張った。


「なんだここ…?」


 そこは、まるで異世界のような光景だった。広々とした空間の中心には豪華な座布団が敷かれ、周囲には雲のようなふわふわした棚が浮かび、様々な神々の象徴らしきものが並べられていた。壁も天井もなく、どこまでも広がる青空が、まるで天界そのものを思わせる。


「ここが私の部屋さ。くつろいでくれたまえ」


 天照大神は軽やかに座布団に腰を下ろし、青年にも座るよう促した。戸惑いながらも青年が座ると、突然、部屋の奥からどすん、どすんと地響きのような足音が響いてきた。


「お待たせしました!」


 姿を現したのは、福々しい笑顔を浮かべた大黒天だった。丸々とした体つきに、黒い衣をまとい、手にはおなじみの大きな袋と打ち出の小槌を持っている。


「おぉ、大黒天か。今日はどうした?」


「いやぁ、天照様、聞いてくださいよ。いつも持っている袋がとにかく重すぎて、肩が凝って仕方がないんです!」


 大黒天はそう言いながら、ずしんと袋を地面に下ろした。その瞬間、床がわずかに揺れたような気がした。


「確かに、大黒天様っていつも大きな袋を持ってるイメージありますね」


「そうなんですよ、この袋には皆の願いを詰め込んでいて、それがどんどん重くなっていくんです。最初の頃はまだよかったんですが、最近はもう肩がバキバキで……」


 大黒天は肩をぐるぐると回しながら、悲しげな顔をした。しかし、どんなに苦しそうな話をしていても、その顔は相変わらず福々しい笑顔のままだ。


「……あの、大黒天さん。なんでそんなに辛いのに、ずっと笑ってるんですか?」


「それがまた問題なんですよ!」


 大黒天は力強く拳を握りしめた。


「肩が凝りすぎて、顔の筋肉が緊張しちゃうんです! だから、ずっと笑顔のままなんですよ!」


「えぇ……」


 青年は絶句した。


「このままじゃ、どんなにしんどくても『あはは!』って笑ってるように見えるんです! 誰にも本当の苦しみが伝わらない!」


「なるほど、それは確かに大変だねぇ」


 天照大神は扇で口元を隠しながら、くすくすと笑った。


「でも、その袋は大黒天のシンボルみたいなものだろう? 手放すわけにはいかないんじゃないか?」


「もちろんです! でも何とかこの肩こり地獄から抜け出したいっ!」


 大黒天は悲壮な表情で訴えた。


「実際、その袋の中には何が入ってるんですか?」


「うーん、基本的には人々の願いが詰まってるんですが……最近はちょっと欲望が多すぎて重くなってきたんですよねぇ」


「欲望?」


「ええ、『宝くじに当たりたい!』とか『美味しいものを好きなだけ食べたい!』とか、そんな願いがどんどん増えていって……正直、昔より質量が増してる気がするんですよ」


 青年はなんとも言えない気持ちで大黒天の袋を見つめた。


「それって、ちょっと中身を整理すれば軽くなるんじゃ?」


「うっ……名案だけど、それはつまり願いを捨てることになりますよね? そう考えると、簡単には整理できないなぁ」


 大黒天は目を伏せ、悩ましげに袋を見つめた。


「とはいえ、このままだと肩こりが悪化する一方だろう?」


「うぅ……そうなんですよねぇ」


 大黒天は悩みつつも、袋の口をそっと開けた。


 次の瞬間——


 バサァァァッ!!!


 袋の中から、大量の紙が舞い上がった。それはすべて、何千、何万もの人々が書いた願い事だった。


「うわっ!? すごい量だ……!」


「これは……ちょっと欲望が強すぎるものを抜いていけば、軽くなるかもしれないね」


「捨てる捨てないは別として、まず整理しませんか?」


 天照大神が紙の束を手に取り、すっと目を通す。


「『世界中のスイーツを全部食べ尽くしたい』…うん、これはアウトだね」


「ですよねぇ!」


 大黒天は豪快に笑いながら、次々と紙を整理していった。


 こうして、大黒天の肩こり解消のための“願い事仕分け作業”が始まったのだった。

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