7 バカコでねが
「な……なにこのモフモフ……!!!! で、でっかい、かわいい、でっかわいい……!!!!」
譲葉サユは震えていた。場所は秋田県の北部、大館市。スキーと八幡平からの長い移動でたいへんくたびれていた譲葉サユであるが、でっかわの前では疲れなどないに等しかった。
譲葉サユをとろかすでっかわ、それは秋田犬である。それも子犬である、耳が立ったばかりの子犬である。
最初はこの大きさで子犬、という現実を受け入れられなかった譲葉サユであるが、秋田犬保存会、通称「あきほ」のお姉さんに解説され、そこにいるのが子犬であることを認めたのだった。
「ハチ公も秋田犬だすよ」
「えーそんなわけないじゃん! 秋田犬って秋田にしかいないんでしょ?」
佐竹ルイ15世は「バカコでねが」、つまり「バカなの?」と思ったが、頑張って口に出さなかった。
「世界中で人気だった時期もあるすよ。プーチンだザギトワだ朝青龍だって、世界中の人が飼ってあったんだすよ」
「ぷーちん……? ざぎとわ……? あさしょーりゅー……?」
わからんのかーい。心のなかでまたしても「バカコでねが」と思いつつ、昔のロシアの大統領とロシアのフィギュアスケート選手と横綱になったモンゴル力士である、と説明した。
「あーわかった! ドルゴルスレン・ダグワドルジだ!」
なぜ朝青龍というわかりやすい四股名でなくややこしい本名を覚えているのか。よけいなところに記憶容量を使いすぎているのではないか。
「でもハチ公が秋田犬っていうのは流石に盛ってるでしょ?」
「ハチ公は上野博士が東京から大館サ手紙を書いて譲ってもらった犬だすよ」
「うっそだー!」
それを見せるには秋田犬会館の秋田犬博物室を見せればいいのだが、秋田犬博物室には骨格標本や毛皮も展示されている。そんなものをクマの駆除で文句をつけてくる譲葉サユに見せてはいけない。きっとまたギャーギャー騒ぐに決まっている。
坂口安吾が大館について書いた直筆の色紙もあるが、残念ながら譲葉サユは坂口安吾を知らないだろうと思われるし、ヘレン・ケラーが秋田犬を撫でている写真もあるがそれも「ヘレン・ケラーってだれ?」で終わりだろう。
とにかく圧倒的モフみで秋田犬のよさをわからせねばならない。これがわからせか。佐竹ルイ15世はそう思った。
「かわいいねー! よしよしわかったわかった……」
なぜ犬を前にした人間は「わかったわかった」と言うのだろう。なにもわかっていないのに。
「閣下は犬が好きでらすか」
「うん、お家でもトイプー飼ってた! でも大統領になったらお家になかなか帰れなくなって、たまにしか会えないけど」
トイプーかあ。
いかにも譲葉サユっぽい犬種だなや。
「名前はどんたのだすか」
「んー、キャンディちゃん!」
キャンディちゃんかあ。
いかにも譲葉サユっぽい名前だなや。
「かわいいんだけどね、すっごいうれションする犬なの! 大統領になってからたまにしか会えなくて、会うたびうれションされてる!」
飼い主同様しつけが行き届いていないではないか。
譲葉サユは秋田県を満喫した、と言っていいのだろうか。
本当のところは秋田至高の食べ物こと2日めのきりたんぽ、通称ドベを食べさせてトドメを刺したかったが、譲葉サユはこれでも大統領である。忙しいのだ、帰らねばならない。そして赤点だった物理の補習を受けて追試をしなくてはならない。
「秋田、来てみてどんたふうに思ったスか?」
「んー、すっごい田舎だと思った!」
認識なんも変わってねぇでねが。
佐竹ルイ15世は崩れ落ちた。
◇◇◇◇
「陛下……本当によろしいのですか? 日本は同盟国ですが」
核シェルター内の人工リゾートで、ジーザス・クライスト・スーパースターは側近に真っ白い歯を見せて笑った。
「大丈夫さ、あんな黄色いサルの国、滅びたって我々にはなんの影響もない。マンガやアニメを見ていたのは若いころだ。もはやクール・ジャパンは見る影もない」
黄色人種差別の、目尻を横に引っ張るジェスチャーをして、ジーザス・クライスト・スーパースターは書類にサインをした。
その書類には、「シン・巨神兵」を日本に放つという命令が書かれていた。この愛を説く神と同じ名の男は、かつてのアメリカが日本を焼け野原にしたときと同じことをしようとしていた。
日本はもはや斜陽だ。
女子高生を祭り上げて政治家に仕立てた時点で、この滅びは決定していた。
その滅びが彼の行動でいくらか早まるとしても、滅びがくることは変わらない。そういう認識であった。
それは譲葉サユが公務を休んで秋田を見学しているいまだからできることだ。いまごろ帰りの車の中でぐうすか寝ていることだろう。大統領である譲葉サユが留守ならば、トップダウンでやっている日本はなにもできないにちがいない。
偉い人が動かないとなにもしないのが日本人である。
みんながやっていればやるのが日本人である。
愚かだ、実に愚かだ。
そして、「シン・巨神兵」が、ベスプッチ帝国軍の輸送艦で運ばれていく。そのことは、譲葉サユには全くわからないのだ。ジーザス・クライスト・スーパースターはほくそ笑んだ。
◇◇◇◇
「どだやづやっ!!!!」
ベスプッチ帝国とのホットラインで、佐竹ルイ15世は怒鳴った。
恐れていたことが起きてしまった。譲葉サユの不在を狙って、ベスプッチ帝国皇帝ジーザス・クライスト・スーパースターは「シン・巨神兵」を放ったのだという。
なにも知らない譲葉サユは東京に向かっている。譲葉サユの乗っている車にはテレビはあるだろうか、ラジオはあるだろうか。
そうか、この気持ちが「ハカめく」というやつか。佐竹ルイ15世は、祈るしかできなかった。(つづく)
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