第8話 仮初の兵士

―美しさに囚われるな!もっと、姑息になれ。

脳内に、師匠の言葉が蘇る。銀霧は大柄な決勝者と剣を交えながら、を待った。相手が薄い微笑みを浮かべる。裏切りの軌道が読まれた。軌道を読まれることは、銀霧にとって致命的だ。だが……。

―今!

銀霧は木刀を相手に見えないようにしながら手の中で滑らし、後ろに引いた。志念流の突きの動作。何度も敗北を重ね、身に沁み込んだ自身最速の技を。一瞬の気迫を込めて、思い切り突き放つ。

さすがの反応速度で、相手が防御の姿勢に入る。しかしそれより一瞬速く、銀霧の木刀が相手に届いた。鈍い音が、勝者を示す。

「赤の勝利!」

両方がさっとお辞儀する。その時、ほんの一瞬だけだが、銀霧の無感情な顔に、少しだけ笑みが浮かんだ。長く思えた礼の後、顔を上げた時には、銀霧はもとの無表情に戻っていた。

「……いい試合だったよ」

相手はそう言って、手を差し伸べてきた。それが握手を求めた仕草だと、少し遅れて気づく。銀霧はぎこちなく、手を差し出した。新たな優勝者の登場に、さらに大きな拍手が、舞台を包みこむ。堂々と美しく、剣試合は幕を閉じた。


(あの時は、幸せだったな。そう、あの時は。)

銀霧は布団に寝転がって、薄暗い天井を見上げた。首だけを動かして辺りを見渡すが、皆、もう寝てしまっているようだ。かすかな寝息と、ふすまの向こう側からは、川のせせらぎが聞こえてくる。流されるままここまで来てしまったが……随分、遠くまで来てしまった。

あの剣試合の後、銀霧は、この試合が普通のものでないことを知った。自分が偶然参加したのは、王宮の兵士になるための、試験のようなものだったらしい。賞金を受け取った後だったため断れるわけもなく。銀霧は連れてこられた王の御前で、兵士となることを誓った。

―今日でちょうど一週間か……。

それは、もちろん兵士になってからの日数だ。当たり前だが、まだまだ自分はひよっこでしかない。剣は使えるが、ちゃんと王を守れるのか。

(まあ、なんとかなるさ)

幸運なことに、この国は比較的平和だ。権力争いが起きている様子もないし、最近は盗賊も減ってきている。銀霧は目を閉じて、眠りが訪れるのを待った。


銀霧が起こされたのは、その後。午前二時になった頃だった。

銀霧は自分を起こした兵士長に導かれ、豪奢な廊下を歩いた。二人分の、大理石を踏むかつ、かつ、という音があたりに響く。前を歩く人物から発せられた、低く空気を振動させるような声が、それらの音を遮った。

「おまえは……銀霧、と言ったな。3回は叩いたのに、なぜ起きない?結構本気を出したつもりだが」

銀霧は目をしばたいて、素直に謝った。

「すみません。布団の寝心地が良すぎて」

最近は王宮で寝泊まりできるためないが、喫茶店で働いていたころは、野宿をすることがしばしばあった。草が頬に刺さるちくちくした感触に比べれば、王宮の布団は極楽に近い。

兵士長は、訝しむような表情で銀霧を見た後、言った。

「あの布団寝心地悪いと思うがな。騎士長に言おうか、本気で迷っている」

「騎士、長?」

「まさか、騎士長殿を知らないのか?」

兵士の他に、騎士もいるとは知らなかった。銀霧が小さく知りません、と答えると、兵士長は大きくため息を吐いてから、話し出した。

「そんなことも知らずに王宮に入ったのか……。まあいい、まず騎士というのは、兵士の上の役職だ。その騎士を束ねるのが、騎士長殿だ。いずれ会うこともあるだろう、覚えておけ」

銀霧がうなずいたとき、目の前に大きな扉が現れた。兵士長は重そうな扉を楽々と開き、銀霧が入りやすいように後ろ手で扉をおさえてくれた。強面先輩(本人に言えば殺されるだろうが)の意外な優しさに驚きつつ、中に足を踏み入れる。相変わらず、目がくらみそうなほど広い部屋だ。

兵士長は扉を閉めた後、去り際に、一言呟いた。

「……さっきはあんなことを言ってしまったが、」

(あんなこと?)

銀霧の無垢な視線から避けるように、兵士長は顔を俯けて、続けた。

「俺も、兵士になったばかりの頃は、騎士の存在を知らなかった」

銀霧は遅れてその言葉を理解すると、淡く微笑んだ。そして、足早に去っていく背中に、小さく敬礼をした。

馴染みの兵士の横に、同じ座り方でしゃがんだ瞬間、王の来臨を告げる笛が鳴った。皆の真似をして、銀霧も軽く頭を下げる。

(王と会うのは、今日で2度目だな)

やがて現れた王の姿は、前にあった時とあまり変わらないように見えた。大柄で威厳のある見た目をしているが、目線はきょろきょろと落ち着きがない。何か、あったのか。王はゆったりと玉座に腰かけると、重々しく口を開いた。

「このような時刻に、よく集まってくれた。……要点から言う。今夜、王子が失踪した。」

皆が、鋭く息を呑むのが伝わって来た。―この国は、王子が一人しかいない。継承者である第一王子が失踪するとなれば、平和なこの国においては大ごとだ。

「……失踪するなんて……」

右側から、かすかに張りつまった呟きが聞こえてきた。しかし続く言葉は、緊張感に欠けたものだった。

「王子はイヤイヤ期に入られたのか?」

思わず吹き出しそうになって、銀霧は表情が見えないように、顔を俯かせた。発言の主が気になって、横を盗み見る。銀霧と同じくらいの年の、茶髪の兵士だ。そのさらに右の兵士が、笑いを含んだ声で言う。

「それを言うなら反抗期だろ……」

「おまえたち、静かにしろ。なにも、王子が自分から逃げたとは限らないだろう。決めつけるな」

兵士長が堅い口調で𠮟りつける。二人は納得のいかない面持ちのまま、黙って顔を伏せた。……兵士長の言っていることも正しいが、正直王子が攫われたとは考えにくい。噂から、王子はずっと部屋にこもっているような人物だと思っていたが……意外にアクティブだ。

王子の捜索は、いくつかのグループに分かれて行われるようだ。グループのメンバーが、次々に発表されていく。しかし、最後まで銀霧の名が呼ばれることはなかった。忘れられたのかと思ったが、そうではなかった。銀霧を抜いた最後の一人が去るのを見届けて、王が口を開いた。

「銀霧兵士、この山に行ってくれるか」

王はそう言って、従者が広げた地図に、その場所を指で示した。銀霧の知らない場所ではあったが、王宮からはそう遠くない。

「……俺一人で、ですか」

銀霧は困惑しながら言った。方向音痴な自分が、そこにたどり着けるだろうか……。

王は、かすかに疲れの滲んだ声で言った。

「ああ、王子は人の好き嫌いが激しくてな……。諸君に行ってくれるとありがたい」

答えになっていないが、銀霧はうなずいた。踵を返そうとして、一言付け加える。

「……すみません、王様。地図を頂けませんか」

「地図?ああ、そうだったな。これを持っていくといい。」

銀霧は差し出された地図をしかと持ち、兵装をするために自室へと急いだ。

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