第4話 雨の道
この喫茶店で働き始めてから、数日が過ぎた。ある日の昼のこと。銀霧は指示(と、時々愚痴)が飛び交う店内を、右往左往していた。
「パフェ、一気に5つ運べとかふざけてます!?自分平均台は苦手なんですよ!」
「店長水!お冷やが足りません!」
「店長のこと水にしないで!?あっ銀霧ー、このパンケーキ、向こうのお客さんに!」
「あっ、はい」
銀霧は返事をしつつ、注文の品を急いでメモし終えると、カウンターへ向かった。そこに置かれた、綺麗に盛り付けられたパンケーキを、お盆に載せる。
実は、上野店員が店長だと知ったのは、つい最近のことだ。年下の銀霧にも友達のように接するので、あまり普段は意識しないが、まんべんなく辺りに目を配る様子は、さすが店長だな、と思う。ふと目を上げると、店長の明るい笑顔とぶつかって、銀霧は反射的に目を伏せ、お辞儀をして去った。目的である客のもとに向かいながら、感じが悪かっただろうか、と自分の態度に反省する。しかし、銀霧は未だに、喫茶店の明るい雰囲気に馴染むことができなかった。もちろん、仲間のみんなは、銀霧に優しく接してくれる。でも、自分は……その優しさが、怖いのだ。30年後の世界で人を傷つけてきた自分が、こんなに優しくしてもらって、良いはずがない。その一方で、ずっとこの世界にいたい……前の時代に戻りたくないと感じる自分も、いた。
(だめだ……この世界に甘えては。自分は、30年後の世界で、命を散らす運命なんだ。)
銀霧は一つかぶりを振ると、働く”今”に意識を移した。隅の席に来たところで、必死に覚えたメニュー名を口にする。
「はい……こちら、ふわふわパンケーキと、えー、とろける苺ソースです。」
続けて、料理をテーブルに並べて行く。そろそろこの二つの動作を、同時にできるようになりたいな、と思う。
銀霧は、自身の顔に向いた客の視線に気づき、そっと顔を俯けた。ここの喫茶店の者は皆、二枚目だと思っているのだろうか。もしそうなら、勘弁していただきたい。銀霧は料理を配膳し終えると、一礼して去った。そのすぐ後に、ワックスをかけられた床に滑って、転んでしまったのはご愛敬だ。
次の護衛役が見つかるまでの一か月間、銀霧は働き続けた。しかし、剣が必要になるような出来事は特になく、逆に自分は邪魔だったのではないか……と、今では思う。
しかし、みんなは銀霧が仕事を辞めることに猛反対したものだ。特に同じ年の星夜からは、最後の最後まで引き留められた。普段はどちらかというと自己主張が苦手な彼だが、そういうところでは驚くほど頑固だった。心が揺れなかったといえば、嘘になる。でも、銀霧はそれらを丁重に断って、店を去ったのであった。
(本当は、ずっとあそこにいたかった。……戦争を忘れるまで)
苦い思いを押し殺して、銀霧は歩き出した。最後に、もう一度店を振り返ると、ちょうど2人の女性客が、中に入って行ったところだった。
(いらっしゃいませ。……さようなら)
雨のにおいがかすかに漂う道を、銀霧は進んでいった。
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