第32話 秘密の温室

ディランが案内したのは古びた温室だった。月明かりがガラス越しに淡く差し込み、中には見たこともない珍しい花々が咲き誇っている。静けさの中に、時折風に揺れる葉の音だけが響き、まるで別世界に来たような空間だった。


「わぁ、すごく綺麗……!」

セシルは目を輝かせながら、温室内を見渡した。

「こんな場所があったなんて知らなかったです!」


「ここは、あまり人に知られていないからな。落ち着く場所だと思って選んだ」

ディランは静かに言う。

(ふむふむ、この雰囲気、月明かり、そしてほぼ二人きり……完璧!ここでディラン様が『踊らないか?』って言って、セシルが『はい!』って答えれば、親密度爆上がり間違いなし!)

エリスは温室の入口付近に身を隠しながら、期待に胸を膨らませた。


セシルはふわっと漂ってきた甘い香りに気づき、足を止めた。

「わぁ、すごくいい匂い!ディラン様、この匂い、何の花から?」

ディランは近くの金色に輝く花を指差した。

「『オーラ・フロリア』だ。この花は夜になると香りを強く放ち、周囲の魔力を活性化させると言われている。香りを吸い込むと魔法を使いやすくなるが、逆に集中を乱すこともある」

「そっか~。じゃあ、私が嗅いだらどうなるんだろう?」

セシルは楽しげに深呼吸をしてみせた。

「嗅ぎすぎると酔うぞ。気をつけろ」

「あ、なんだかちょっと頭がクラクラする……!」

セシルはその場でふらっと揺れ、ディランが慌てて支えた。

「だから言っただろう……!」

ディランは支えたまま、ため息をつくように静かに呟いた。

「お前は本当に危なっかしいな……」


その低く穏やかな声に、セシルは思わず顔を赤らめた。

「ご、ごめんなさい。すごくいい匂いだったから、つい……」


ディランは彼女の腕を離し、わずかに微笑む。

「ここは魔法植物が多い場所だ。興味本位で触れたり嗅いだりするのは危険だ」


「はーい、気をつけます!」

セシルは元気よく答えながらも、まだ少しふらついている様子だった。


ディランはふらつくセシルを見て、少し迷うような表情を浮かべた後、「……大丈夫か?」と声をかけた。


「はい、大丈夫です!」

セシルは笑顔を見せるが、その足取りはまだ危なっかしい。ディランはそんな彼女をじっと見つめ、一瞬ためらった後で小さくため息をつく。そして、セシルの腕を掴んだた。

「こっちだ。支えるから」


突然のことにセシルは驚いて目を丸くする。

「えっ……?」


「…言っただろう、危険な植物が多い場所だと。ふらふら歩いて怪我でもされたら困る」

その低いけれど優しい声に、セシルはぽっと頬を赤らめた。

「あ、ありがとうこざいます、ディラン様……」

(あぁ、今のやり取り、完全に乙女ゲームのときめきシーンじゃん!)

木陰からこっそり二人を見守っていたエリスは、心の中で興奮を抑えきれない。


だが、そんなエリスの応援が届いているはずもなく、ディランは静かに歩を進めながらセシルに話しかける。

「ここは俺がよく来る場所だ。月明かりが差し込む時間帯が特に気に入っている」

「へぇ~、ディラン様って、こういう静かな場所が好きなんですね」

セシルはきょろきょろと辺りを見回しながら言った。

「すごく綺麗だし、静かで落ち着くけど……ちょっと不思議な感じもする」


「不思議、か……?」

ディランは小さく笑った。

「ここには夜しか咲かない花や、月の光を浴びることで輝く植物が多い。魔法植物の研究をしている者にとっては興味深い場所だ」


セシルは目を輝かせ、「へぇ~、そんなにすごい場所だったんだ!」と感心したように頷いた。「なんだか神秘的で、夢みたいですね!」


(よし、その調子!その純粋な感想がディラン様のハートに刺さるんだよ!)

エリスは木陰からそっと応援しつつ、正規ルート進行中であることに安堵した。

(このまま行けば、二人の親密度は確実に上がる……!)


だが次の瞬間、セシルが思わぬ一言を口にした。

「でも、なんでディラン様は静かな場所ばっかり好きなんですか?もっと賑やかな場所の方が楽しいんじゃないですか?」


その無邪気な失言に、ディランは一瞬言葉を失ったように目を瞬かせた。「……俺は賑やかな場所はあまり得意ではない。静かな場所の方が落ち着く」

「そうなんですか!私は人がいっぱいいるような所が好きなんで、真逆ですね~」

セシルはあっさりと納得した様子で笑った。

(……そこは「私もこういう所、好きなんです」とか言う場面でしょ!?)

エリスは心の中で思わずずっこけた。(せっかくのムードが台無しじゃない!)


ディランはそんなセシルを見つめ、ふっと小さく笑った。

「……無理に合わせる必要はない。お前は、お前のままでいればいい」

「えへへ、そうですよね!」

セシルは笑顔を見せた。

(……まぁ、結果オーライ?これでいいのか……?)

エリスは頭を抱えつつも、二人の間に流れる穏やかな雰囲気を感じ取り、少しほっとした。


二人はゆっくりと温室の奥へ進み、扉を開けて開けた場所に出る。その先には美しい泉があり、月明かりに照らされて輝いていた。


(さて……ここからが本当の正念場だな)

エリスは二人の様子を固唾を飲んで見守りながら、次の展開を心待ちにするのだった。

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