第28話 煽るクラリス
舞踏会が始まってすでに2時間以上が経過していた。煌びやかな舞踏会場は、まるで絵画の中の世界のように美しい。きらめくシャンデリアの光が反射する大理石の床、上品な音楽が奏でる優雅なワルツ。
普段制服に身を包んでいる生徒たちは皆、ここでは見目麗しいドレスやタキシード姿に変身し、楽しそうに談笑したり踊ったりしていた。
しかし、その華やかさとは裏腹に、会場の隅っこでひっそりと壁に貼り付いている二人がいた。エリスとセシルだ。
セシルは目を輝かせながら、ペアで優雅に踊る貴族たちの姿に見入っていた。その無邪気な笑顔が、エリスの胸にかすかな焦りを呼び起こす。
エリスの視界の端には、ディランの姿が映っている。上級貴族の女性をエスコートするその姿は完璧で、優雅な足さばきと洗練された所作はまさに“王子”そのものだった。
しかし、エリスの心は穏やかではなかった。
(ディラン様、早く来てくれないと……! セシルがこのまま“壁の花”で終わっちゃう! それに、このままじゃトゥルーエンドに進めない……!)
さらにエリスの不安を煽るものがあった。クラリスとその取り巻きたちが、こちらに視線を投げかけながら何やらひそひそと話し込んでいるのだ。時おり漏れる小馬鹿にしたような笑い声が、不快な余韻として耳に残る。
(あの嫌な視線……絶対、また何か企んでる!)
嫌な予感が膨れ上がり、エリスはセシルの手を取り、そっとその場を離れようとした。しかし――遅かった。
気づけば、クラリスとその取り巻きたちに進路を塞がれ、エリスとセシルは逃げ場を失っていた。
「まぁ、どうしたのかしら?踊りのお誘いがまだないなんて、お気の毒ですわね」
わざとらしく心配そうな顔をしているクラリスだが、その言葉の裏には明らかな皮肉が滲んでいた。
「え?私は平気ですよ!こうやって見てるだけでも楽しいですし!」
セシルは明るく返したが、クラリスの目は冷たい。
「庶民の方々は踊り慣れていないでしょうし、見ているだけで精一杯でしょうね」
反論の隙を与えないかのように、クラリスはさらに追い打ちをかける。
「でも大丈夫ですわ。少し目立たない方が、後で恥をかかずに済むもの」
クラリスの言葉に、エリスはぐっとこらえながらも内心で叫んだ。
(くっ煽りスキルが高い……!でもここでムキになったらクラリスの思うツボだ!冷静に、冷静に……)
「そうですねぇ、でもこうやって美味しいごちそうを楽しめるのも舞踏会の醍醐味ですから。クラリス様は踊ってばかりでお腹空きませんか?」
エリスはあえて笑顔で返す。
「いえ?私は食べ過ぎて恥をかくような真似はしませんもの」
クラリスは嫌味たっぷりに言い放つ。
「それにしても、このパイ本当に美味しいね!サクサクだし、中のクリームも最高だよ!」
セシルはクラリスの嫌味など気にもせず、パイを手に取り無邪気に笑った。
「……セシル、少しは空気を読んで……」
エリスが小声で囁くと、セシルはきょとんとした顔で「え?でもエリスもパイ食べたいんじゃないかなって」と言いながらエリスにパイを差し出した。
「いや、今はいいかな…」
気まずさを隠すように微笑んで断るが、セシルは気にする様子もなく、楽しそうに次のパイへと手を伸ばす。
「そっかー。でもこれ、本当に美味しいんだよ~!」
そんな無邪気さに、クラリスは苛立ちを隠しきれず、冷たい笑みを浮かべながら吐き捨てるように言い放った。
「まぁ、せいぜい食べて楽しんでいればいいわ。踊れない庶民にはそれくらいしか楽しみはないでしょうしね」
「そうですね、クラリス様は踊りで目立って、私たちはごちそうで楽しむ――これぞ、役割分担というものですね!」
エリスが爽やかな笑顔で返すと、クラリスはムッとしつつも冷笑を浮かべながら言い返した。
「ふふ、役割分担ですって?まぁ、あなたたちにふさわしい役割と言えば、せいぜい給仕くらいでしょうけれどね」
「給仕も大事なお仕事ですよね。でも、せっかくの舞踏会なので、今夜はお客として楽しませてもらいます!」
「そうそう!」
セシルが無邪気にうなずく。
「クラリス様もどうですか?このパイ、すっごく美味しいですよ!」
クラリスは扇を広げて冷ややかに言った。
「ご遠慮しておきますわ。私、甘いものは控えておりますの」
「でも……クラリス様のお腹が鳴っているのが聞こえましたよ?お腹が空いているなら食べた方がいいですよ!」
クラリスの顔が一瞬で引きつった。「……お腹が鳴ったですって?庶民の耳だと幻聴も聞こえるのかしら?」
「えぇー?でも、さっき『ぐぅ~』って……」
セシルは首をかしげながら、クラリスの腹をじっと見つめた。
クラリスは扇を勢いよく閉じる。ピシッという音が響いた。
「まぁ、そんな無礼な発言、許されると思って?」
「え?無礼でしたか?でも本当に『ぐぅ~』って聞こえたんですよ。エリスも聞こえたよね?」
セシルは純粋な瞳でエリスに同意を求めた。
「う、うん、まぁ確かに聞こえたような……気がしないでもない……?」と曖昧な答えを返す。正直にいうとエリスにはそんな音は聞こえていなかったのだが、はっきり否定はしたくない気持ちが勝った。
クラリスは扇を閉じて冷静を装いながら、鼻を高く鳴らした。
「とにかく、こんなに騒がしい場所ですもの。何か聞き間違えたのでしょう?庶民の耳なんて、精度が悪いのですから仕方ありませんわね」
(こいつ、負けじと煽り返してくるな……!)
クラリスは扇を広げ、ゆったりとした動作で顔を隠しつつ、冷ややかな視線を二人に向けた。
「まぁ、それはそれとして……今日、お二人は何人の方にエスコートをお願いされたのかしら?」
「え、エスコート……?」
セシルは首を傾げ、天井を見上げて考え込んだ。
「うーん、ゼロ……かな?」
クラリスは満足そうに微笑む。
「あら、そうですの。まぁ、庶民にエスコートを申し出るような奇特な方はいませんものね」
エリスは内心歯ぎしりしつつも、表向きは平静を装った。
「それで、クラリス様は何人にエスコートされたんですか?」
クラリスは待ってましたとばかりに胸を張る。
「もちろん、数えきれないほどですわ。貴族の皆様から次々とお誘いを受けてしまって、少々困るぐらいでしたわ。ようやく休めてほっとしたぐらいですの」とわざとらしく嘆いてみせた。
「そんなに踊ったら、お腹が鳴るぐらい空腹にもなりますよね。甘いものを控えすぎるとピリピリしてしまいますし、クラリス様も少しは甘いものをとられた方がいいんじゃないですか?」とセシルがにこにこと再びパイを差し出す。
クラリスは再び扇をピシッと閉じ、「……だから、鳴っていないと言っているでしょ?庶民の耳なんて、いい加減で困りますわね」と言い放つ。
「でも、すっごく『ぐぅ~』って……」
セシルは首をかしげながら、まだ疑念を抱いている様子でクラリスのお腹を見つめる。
「だ・か・ら!鳴っていないって言ってんでしょ!」
クラリスは半ばキレ気味で言い放つ。
周囲の取り巻きたちも、気まずそうに視線を彷徨わせながら「あ、あの……クラリス様がお腹を鳴らすなんて、ありえませんわ」となんとかフォローを入れようとするが、言葉の端々に笑いを堪えている気配が見え隠れしている。
微妙な空気が流れ、場の緊張感はどこかちぐはぐなものへと変わっていった。
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