第19話 瑠璃のおごり
三人はジュース専門店の前に到着した。店の外観は白を基調としたスタイリッシュなデザインで、入口からはフルーツの甘い香りが漂ってくる。
「桐崎君は何にする?」
沙羅が不意に振り返る。
「え、俺?」
霧は一瞬答えに詰まりながらも、値段を気にして看板をちらりと見た。どれも一杯1,500円以上。霧の感覚だと高すぎる。一番安いのはオレンジジュースで、こちらは一杯1000円だった。
「えーっと、俺はオレンジジュースでいいかな。普通に好きだし、ハズレがないだろうし」
霧はなんとかそれっぽい理由を添える。
「オレンジジュースかぁ。桐原君らしいね」沙羅が笑顔で言うと、霧は「らしいってどういう意味だよ」と軽く突っ込んだ。
「じゃあ決まりね」と瑠璃が店のドアを押し開けた。
「私はパッションフルーツとミントにするわ。沙羅はピーチとラズベリーでいいのよね?」
「うん!」
沙羅が嬉しそうに頷く。
先に沙羅と瑠璃が注文を済ませ、二人は会計を手早く済ませて店の奥で待っている。霧は順番が来て、少し気まずい気持ちで注文した。
「オレンジジュース一つお願いします」
「かしこまりました」と店員が答えると同時に、霧は財布を取り出し、内心で1000円が消える痛みを噛み締めていた。だが、財布からお金を出そうとしたその瞬間、店員が微笑みながら言った。
「お支払いはもう済んでおります」
「え?」
霧は完全に困惑した顔を浮かべる。
「いや、まだ払ってないですけど……」
「いえ、先ほど一緒にいらした方がまとめてお支払いされていますので」
(……え、どういうこと?まさか……俺がパフェを奢ったお礼で白鷺が払ってくれたのか?)
沙羅と瑠璃はすでに席についており、何やら楽しげに会話している。霧は困惑しつつジュースを片手に二人の元へ向かった。
「えっと……ありがとう、白鷺。ジュース代、払ってくれたんだろ?」
沙羅は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、「え?」と首をかしげた。
「私?ううん、私じゃないよ」
その言葉に霧は固まった。
(じゃあ――)
視線を瑠璃に向けると、彼女は相変わらず感情の読めない表情でストローを触っている。
「私よ」
瑠璃はしれっと言い放つ。
「まとめて払ったほうが得だし、ポイントも貯まるから。特に深い意味はないわ」
「ポイント?」
霧は一瞬理解が追いつかず、間の抜けた声を出してしまった。
瑠璃は面倒そうに話し続ける。
「このお店、3つまとめて注文すると少し安くなるし、ポイントが貯まるとこのお店限定のグラスと交換できるの。私はこの店の常連だから、せっかくだしポイントを貯めたかっただけ」
「…そっか。ありがとう」
霧は視線をそらしつつも礼を述べた。
「別にお礼なんていいわ。桐原君にとっては大金でしょうけど、私にとっては大したことない金額だもの」
瑠璃は淡々とした口調で言い放つと、悠然とジュースを飲み始める。
(…こいつが払ってくれることを知っていたら、もっと高い物を選んでいたのに……なんてな!)
瑠璃の辛辣な言葉と見下した態度を前にして、霧はストローを握りながら平静を装っていたが、内心では複雑な気持ちが渦巻いていた。
(ああ、もう本当に腹が立つな。いちいちマウント取ってきやがって。でも……なんなんだよ、この余裕と洗練された感じ。少しカッコいいって思ってしまうのが腹立つ)
霧はジュースを飲み込み、無理やり気持ちを落ち着かせようとする。
そのとき瑠璃のスマホが机の上で振動を始めた。画面を見る瑠璃の表情がわずかに険しくなる。
「少し失礼するわ」
瑠璃はそう言うと、スマホを手に取って席を立ち、店の外へと歩いていった。普段の落ち着き払った足取りと変わらないが、どこか急ぎ足にも見える。
沙羅が心配そうに瑠璃の背中を見つめた。
「瑠璃ちゃん、大丈夫かな?」
「さあな」
数分後、瑠璃が店内に戻ってきた。
「悪いけど、家の用事で急に帰らなければならなくなったわ」
そう言いながら、瑠璃は沙羅に軽く微笑みかけた。
「沙羅、今日は楽しかったわ。また学校で」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
沙羅は残念そうな声を上げる。
「仕方ないわね。家のことだから」
その言葉に霧が少し安堵したのも束の間、瑠璃は振り返り、冷たくも意味深な視線を彼に向けた。
「桐崎君、変な気を起こさないようにね。沙羅に変なことしたら、私が許さないから」
「はい?なんで俺が……」
霧が反論しようとするが、瑠璃の声に遮られた。
「あなたがどう思おうと、私は念のために忠告しておくの。じゃあね」
それだけ言い残すと、瑠璃は沙羅に優しい笑顔を向け、軽く手を振って店を後にした。
夕暮れの街を歩きながら、霧は沙羅の隣に並んでいた。瑠璃が抜けてから二人でぶらぶらと公園を歩いたり、ベンチで話したりと、お金のかからない時間を過ごしただけだが、沙羅の笑顔を見ているだけで霧にとっては十分充実した時間だった。
けれど、ふと沈黙が訪れると、その穏やかな時間の裏側に隠れていた不安がむくむくと顔を出す。
意を決した霧は、思い切って口を開いた。
「今日、俺と一緒にいてどうだった?」
唐突な質問に沙羅は一瞬驚いたようだったが、すぐにいつもの無邪気な笑顔を浮かべた。
「楽しかったよ!桐崎君といると、なんだか安心するし、落ち着くんだよね!」
その言葉を聞いた瞬間、霧の中で期待が崩れ落ちる音がした。
(安心……落ち着く……それって前も言っていた“お兄ちゃんポジ”から立ち位置が変わっていないんじゃないか?)
「そっか、楽しかったなら良かったよ」
霧は平静を装って答えたものの、内心ではがっくりと肩を落としていた。
(俺、このままずっと友達止まり……?いや、待て、まだ終わりじゃない。少なくとも嫌われてるわけじゃないんだ)
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