桜華院学園の校門をくぐった瞬間、桐崎霧は思わず足を止め、口を半開きにした。

「……え、ここって学校だよな？テーマパークじゃないよな？」

　目の前には映画のワンシーンのような光景が広がっていた。巨大な噴水がゴージャスに水を放ち、その周囲には入念に手入れをされたであろう芝生が広がる。

　周囲を見渡しても、歩いている生徒たちはみなモデルのように細く整った容姿で、ほぼ全員が最新の機器や高級そうなバッグを持っていた。そしてその誰もが、霧のような庶民的な空気感を微塵も感じさせない。どいつもこいつも光り輝いているように見えた。

「なんだよあれ……歩く宝石か？」

　さらに霧を驚かせたのは、その歩く宝石たちの登校スタイルだ。校門の前にはずらりとリムジンが並び、生徒たちは運転手にドアを開けてもらいながら降りてくる。その姿はまるでレッドカーペットを歩くセレブそのものだった。

(リムジンで登校しているとか、ただの都市伝説だと思っていたのに……マジだったのかよ！)

　霧は心の中で叫びながら自分の持ち物を見下ろした。姉が「安くて丈夫よ」と買ってきたリサイクル生地のバッグが、なぜか異様にしょぼく見える。その隣を、つやつやした革のブリーフケースを持った男子生徒が颯爽と通り過ぎていった。

「やっべぇ……俺、場違い感がすごいんだけど」

　霧は深呼吸をして気を取り直し、校舎に向かおうと歩き出した。しかし、数歩進んだところで再び足を止めた。

目の前には、まるで西洋の宮殿のような建物がそびえ立っている。巨大な大理石の柱、豪華な彫刻、そして金色の扉。

「……これ、校舎って呼んでいいのか？なんか間違えて博物館に来ちゃってない？」

　霧は思わず首を振り、バッグをギュッと握りしめた。周囲を歩くセレブたちのキラキラしたオーラに圧倒されつつも、なんとか気持ちを立て直そうとする。

(まぁ、ここで俺が何かやらかしても目立たない……いや、目立つか。とにかく、生き延びるしかない)

　霧は再び深呼吸をして一歩踏み出した。しかし、足取りはどこかフラフラしており、その背中には悲哀が滲み出ていた。

　桜華院学園の入学式は、霧にとって予想通りの豪華さだった。講堂は大理石の床にシャンデリアがきらめき、生徒たちの整然とした制服姿がそれをさらに引き立てていた。

　壇上には校長が立ち、穏やかな声で式辞を述べている。霧は椅子に行儀良く座りながら、それを適当に聞き流していた。

(……ふーん。入学式ってのは、どこもこんな感じなんだな。)

　そんなことを考えていると、学園長の声が霧の耳に急に響いた。

「さて、本年度の特待生についてご紹介します」

（おいおい、いきなりかよ。せめてもうちょい後でやれよな。）

「本校では、試験で特に優れた結果を収めた生徒を選抜し、特待生として迎え入れています。今年度は三名が選ばれました」

　校長が最初の名前を読み上げると、一人の生徒が静かに立ち上がった。

パラパラと拍手が起こり、続いて二人目の名前が呼ばれる。その生徒も堂々と立ち上がり、再び拍手が湧き上がる。霧はその様子を眺めながら心の中で呟いた。

（へぇ、さすがに堂々としてるな。……まぁ、俺だって負ける気はないけどさ。）

「最後に、桐崎霧君です」

　名前を呼ばれた瞬間、霧はスッと立ち上がった。会場が少しだけ静まり、次いで拍手が巻き起こる。特別大きくもないが、決して冷たいものではない。霧は軽く会釈しながら心の中でつぶやいた。

（俺も普通に歓迎されてるじゃん。特待生って肩書き、案外悪くないかもな。）

　だが、周囲から聞こえてくる声に霧の気分は少し変わった。

「聞いたことない名前だね」

「どこの家の人なの？」

「ああいう感じの人も、この学校に入れるんだ」

　霧はその声を聞きながら自分の席に腰を下ろした。隣の生徒が興味津々といった様子で話しかけてくる。

「へぇ、特待生さんって、もっと“勉強一筋”みたいな人かと思ったけど、意外と普通なんだね。」

「……おう、普通だよ」

　霧は気取らずにそう答えると、隣の生徒は腕を組んでじっと霧を観察するような目を向けた。

「じゃあ、どんだけ勉強したんだよ？やっぱ一日10時間とか？」

霧はその言葉に苦笑いしながら首を横に振った。

「いや、10時間とか絶対無理。せいぜい5時間だな」

霧がさらりと言うと、隣の生徒は目を見開いた。

「5時間！？嘘だろ、それで特待生？俺なんか1日8時間やっても平均点ギリギリだぞ！」

「いや、勉強量じゃなくて、どこに力を入れるかの問題だって。例えば、試験問題の傾向を研究するとか、効率重視でやるんだよ。無駄に全部やると疲れるだけ」

「ふーん。じゃあさ、特待生ってどんだけ頭いいのか、今度テストで俺にも見せてくれよな」

「おいおい、ハードル上げるなよ」霧は苦笑しながらも、「まぁ、期待に応えるのは悪くないけどな」と自信満々に笑った。

こうして、隣の生徒との軽い会話を交わしながら、霧は少しだけこの新しい環境に馴染む感覚を掴み始めた。

（よし、こんな感じでいけばなんとかなるか。最初は注目されても、結局“普通”になれるもんだよな。）