命令

沢田和早

命令


 灰色の雲が一面に垂れ込めて今にも雨が降ってきそうな土曜日の午前。どんよりとした空とは対照的に、僕の心はヒバリの声がピーピーと響き渡るカンカン照りの空のように明るく陽気だった。


「ああ、楽しみだなあ。どんなモノを作ってくれたんだろう」


 僕がルンルン気分で向かっているのは先輩のアパートだ。

 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩は一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


 ドアの前に到着した僕はいつものようにチャイムを押す。待っている時間がもどかしい。なかなか応答がないのでもう一度チャイムを押し、ついでに声も掛ける。


「せんぱーい、来ましたよー」


 しばらくしてようやくドアが開いた。


「セールスマンかと思って無視していたらおまえだったのか。えらく早いな。まだ十一時前だぞ」

「待ちきれなくて早目に来ちゃいました。食事の前に見せてください」

「せっかちだな。まあいい。入れ」

「はい。お邪魔しまーす」


 どうして僕がこんなにも浮かれているのか、その理由は一週間前にさかのぼる。昆虫の羽二千枚収集作業によって十万円近い大金を手に入れたことで先輩はすっかり気が大きくなってしまったらしい。こんなことを言い出したのだ。


「俺は今まで様々な発明品を作り出してきたが、おまえの要望に沿った発明を一度もしていないことに気が付いた。今回、大金が入ったことだし、おまえの望むモノを作ってやろうと思う」

「えっ、本気ですか」

「本気だとも。何が欲しい」

「何って、いきなりそんなことを言われても」


 突然の先輩の申し出にはかなり驚かされた。と同時に嬉しさも感じていた。

 小学生の頃はわがままで自分勝手で「おまえの血は何色なんだ。本当に人間なのか」と問い掛けたくなるくらい常軌を逸したクソガキだった先輩。しかし中学、高校と進むうちに徐々にではあるが人間らしさを身に付けていった先輩。そして今日、遂に何の見返りも求めることなく他人に尽くそうという姿勢を見せてくれた。

 これは大変な成長だ。よくぞここまで立派に育ってくれた。たったひとりの親友としてこれほど嬉しいことはない。さて、では何を作ってもらおうかな。


「そうだ、ロボットがいい」

「ロボット? どんなロボットだ」

「僕の命令を何でも聞いてくれるロボット」


 子供の頃、テレビや雑誌に登場する超合金スーパーロボットが大好きだった。強大な力を持ちながら自分には忠実な下僕。ロボットは男子の夢なのだ。


「命令か。具体的にはどんな命令なんだ」

「トイレの電気を消せとか、皿洗いをしろとか、部屋を片付けろとか、いわゆるお手伝いさん的な命令かな。レポートを書けとか、この問題を解けみたいな知的な命令はできなくてもいいです」

「ふ~む、つまり今ある家電と同等の働きをするような命令を聞いてくれるロボットか。それなら簡単だ。次の土曜日までに作ってやる」

「やったー。お願いします」


 というわけでその約束の土曜日が今日なのだ。


「それで先輩、約束のモノはどこに」

「あそこだ」

「おお!」


 リビングの中央に置かれたコタツ。そのコタツの一辺に足を突っ込んで人型ロボットが座っていた。外見は最近店頭で見かけなくなったヘッハー君そっくりだ。きっと真似て作ったのだろう。


「このロボット、名前はあるんですか」

「ある。ヘッハー君だ」


 外見だけでなく名前まで同じなのか。その辺にこだわりはないんだな。


「ええっと、このまま命令していいんですか」

「いいぞ。おまえの命令なら何でも聞く。ヘッハー君の顔に口を近付けて何か言ってみろ」


 うわあ、楽しみだなあ。何を命令しようかな。うーん、やっぱり最初はこれだよな。


「名前を教えろ」


 ヘッハー君の両目が緑色に光った。僕の命令は無事に聞き届けられたようだ。


「あなたの命令は『名前を教えろ』ですね。しっかり聞きました」


 お、返事が返ってきた。さあ、何て答えるかな。ドキドキしながらヘッハー君の答えを待つ。何も言わない。さらに待つ。やはり答えはない。


「先輩、何も言いませんよ」

「名前はもう知っているんだから聞く必要はないだろう。別の命令をしてみろ」


 つまり名前を答えるようなプログラムは設定されてないってことかな。先輩が作ったにしては性能が今一つだな。まあいいや。うーん、何を命令しようかな。ちょっと喉が渇いているからあれにするか。


「お茶を淹れろ」


 またも緑色に光るヘッハー君の両目。今度も無事聞き届けられたようだ。


「あなたの命令は『お茶を淹れろ』ですね。しっかり聞きました」


 これくらいの命令ならちゃんと実行してくれるだろう。僕もコタツに入ってヘッハー君を見守った。動かない。見守る。立ち上がろうともしない。それでも待つ。微動だにしない。


「先輩、全然動かないじゃないですか」

「別の命令をしてみろ」


 それから僕は命令を連発した。本を持って来い、コタツ机を拭け、コタツのツマミを強にしろ、童謡を歌えなどなど。しかし一向に命令を実行しようとしない。さすがに我慢できなくなった。


「先輩、何ですかこのロボット。返事をするだけで指一本動かさないなんて大失敗じゃないですか」

「いや、大成功だ」

「こんな役立たずのどこが大成功なんですか」

「俺はおまえの要望通りのロボットを作ったに過ぎない。おまえ、俺に何て頼んだか忘れたのか」

「僕の命令を何でも聞いてくれるロボット」

「だろ。だからこのロボットは何でも聞いてくれる。聞いてくれるだけで実行はしない。おまえの要望通りじゃないか」

「うぐぐぐ」


 またしても先輩にやられてしまった。思わず「おまえの血は何色なんだ。本当に人間なのか」と心の中で叫んでしまった。この場合の「聞く」は「聞き入れて従う」って意味に決まっているでしょ。それくらい理解してよ。

 もし先輩が就職して、「君、私の指示を聞いていたのかね」と上司から叱責されても、「もちろん聞いていた。実行はしていないが」なんて答えるんだろうなあ。先が思いやられるよ。


「ああ、そうですか。わかりました。そんなロボットなら要りません。先輩の好きにしてください」

「なんだ、ひょっとしておまえ、自分の命令を聞いてくれるだけでなく実行までしてくれるロボットが欲しかったのか」

「当たり前じゃないですか」

「そうかそうか。いやな、命令を聞くだけのロボットじゃつまらんと思って実行する機能も付けておいたのだ。今作動させるからちょっと待て」


 えっホントに。さすが先輩、わかっているじゃないですか。さっき心の中で悪口を言ってごめんなさい。


「よし、準備完了だ。命令してみろ」

「んー、じゃあ、お茶を淹れろ」


 ヘッハー君の両眼が今度は赤色に光った。


「あなたの命令は『お茶を淹れろ』ですね。おい、やれ」

「はい」


 驚いた。先輩がヘッハー君に返事をするといきなり立ち上がったのだ。ロボットのような動きで台所へ行き、湯を沸かし急須にお茶っ葉を入れている。そして、


「粗茶です。どうぞお飲みください」


 丁寧な仕草で僕に湯呑を差し出した。敬語を使う先輩なんて初めて見たぞ。


「ど、どういうことですか、これは。どうして先輩がお茶を淹れているんですか」

「命令を実行するのはロボットではなく俺だからだ」


 そして先輩の説明が始まった。家事のような単純作業でもロボットにやらせるとなると様々な機能を付加しなくてはならない。それにはコストがかかりすぎる。それよりも身近にいる人間の脳に信号を送って強制的にその作業をやらせたほうが確実かつ安全かつ低コストだと言うのだ。


「おまえの命令はロボットを介して俺の脳へ転送され、俺は自分の意思に関係なくその命令に従わされる。どうだ、これで満足か」

「え、ええ。そうですね」

「だったらもっと命令してみろ」

「えっと、じゃあ肩を揉め」


 僕の命令をヘッハー君が復唱する。先輩が「はい」と答えて僕の肩を揉む。


「次は何だ」

「ええっと、湯呑を片付けろ」


 同じように先輩が空になった湯呑を台所へ運ぶ。それから僕は命令を出し続けた。湯呑を洗え、本を読み聞かせろ、足の裏を揉め、校歌を斉唱しろ。全て先輩がやってくれた。何でも僕の命令通りに動いてくれる。僕の要望は完全に叶えられた。でも、


「何だろう、この気持ち」


 少しも楽しくないのだ。まるで鉛を飲み込んだかのように心が重い。僕の命令を聞くのが先輩ではなくロボットだったとしてもやはり同じだっただろう。無表情で僕の命令を聞く先輩。心のこもっていない奉仕。僕はこんなモノを望んでいたのだろうか。


「おい、何を黙っている。次の命令を言え」

「いえ、もう命令はしません。誰かを無理やり従わせても全然嬉しくないんです。やっぱりこのロボットは要りません」

「そう言うと思ったよ」


 先輩はヘッハー君をコタツから引き抜くと、空いた場所に足を突っ込んだ。


「俺は小学生の頃からずっとおまえを見てきた。おまえは何かあるとすぐ人を頼った。お願いをした。それは今でも同じだ。おまえには頼られっ放しだからな」


 その件について異論はない。これまで何度先輩に助けられたことか。


「はい。いつも手を焼かせてすみません」

「だがおまえは他人に命令したことは一度もなかった。お願いはしても命令したことはなかったんだ。他人の意思を最大限に尊重するのがおまえの本質。誰かに命令することなどおまえにできるはずがない。だからこんなロボットを作っても無駄になることは最初からわかっていたのさ」


 目が覚める思いだ。僕に対する先輩の理解がこれほど深いものだったとは。自分自身でさえ気付けていなかった。我ながら愚かな要望を出したもんだ。


「せっかく作ってくれたのにごめんなさい。これだけ大きいと製作費も相当なものだったでしょう。もったいないことしちゃったなあ」

「いや、一万円もかかっていない。そいつは本物のヘッハー君だからな」

「はあ?」


 呆気に取られている僕に先輩が説明してくれた。こうなることはわかっていたのでロボットなど作らずに本物のヘッハー君をレンタルしたのだそうだ。最近需要が落ちているらしくレンタル料は一日千円。保証料が二万円必要だが返却時に返してもらえる。輸送費と梱包代を含めても数千円で済んだらしい。言葉の受け答えはヘッハー君に備わっている機能を利用したので先輩は何も製作していない、とのことだった。


「じゃあ、ロボットを介して僕の命令を先輩に強制実行させるという、あの機能は何だったんですか」

「そんな機能、あるわけないだろう。おまえのような一般人の脳ならいざ知らず、俺の脳を支配できる装置などこの世に存在するはずがない。茶を淹れたのも丁寧な言葉遣いも全て俺のお芝居だ。どうだ、見事な演技だっただろう」


 また先輩に騙されてしまったか。しかしそこまでやってくれた先輩の心遣いが有難い。無駄な出費を防いでくれたことに感謝しないとな。


「そう言えば僕とは逆で先輩は命令するけどお願いはほとんどしませんよね。どうしてですか」

「俺の願いを聞ける者などこの世にいるはずがないだろう。俺の願いを叶えられるのは俺だけだ」

「でも命令するってことは先輩にもできないことがあるんじゃないですか」

「ない。命令するのは楽をしたいからだ。命令が実行されずともそれほど困らん」

「だけど山を怒らせた時はどうなんですか。先輩の血を流して許してもらっていたじゃないですか」

「あれは川の主をあやめたという負い目があったからだ。そうでなかったら願いも命令もせず問答無用で山火事を発生させてハゲ山にしてやったわ。俺が命令するのは慈悲ゆえだ。命令に従わせていただくことを有難く思え。真の敵に対しては命令などせず蹂躙するのみだからな。わっはっは」


 またしても「おまえの血は何色なんだ。本当に人間なのか」と心の中で叫んでしまった。それにしてもこれほどまでに自分に対して自信と誇りを持てる者は滅多にいないだろう。見習いたいものである。

















 


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