第2話(1)

 次の週。


 俺は朝から友人の結婚式に参列するため、都内にあるホテルへ向かっていた。


 ホテルの薄暗いロビーに入ると、一面のガラスに映った庭園が目に入った。白い玉砂利たまじゃりが敷かれ、適度に庭石が置かれ、木々の間には三メートルほどの滝や小川も配置されている。小さな庭だが立派なものだ。


 東京にある緑は緑でも、本物の自然と違うことがすぐに分かる。人間の手によって作られた自然、いわば人工の自然だ。


 時間を持て余した人々が、人工の庭園を背景にいくつかのグループを形成していた。ちらほらと結婚式に参加するであろう男女もいた。


 その中に知った顔を見つける。記憶よりも年を重ねた男は、ひとり脚を組んでロビーのソファに腰かけ、何やら真剣な面持ちで、じっとスマートフォンの画面に見入っていた。組まれた方の足先が、ぱたぱたと風になびく洗濯物のように、落ち着きない様子で上下に動いていた。


 俺は彼の横へ腰かけながら言った。


「久しぶり」


 スマートフォンの画面から顔を上げ、男は破顔はがんした。


「お、お疲れ。まじで久しぶりだな」


 友人のみさきは足を組むのをやめ、律儀にもソファに座り直した。


 大学の同期たちと集まるのは久しぶりだった。新卒の頃には何度か顔を合わせたものの、皆それぞれに忙しく、近頃ではずいぶん疎遠になっていた。今隣にいる男、岬と会うのもじつに二年ぶりだ。


 俺と岬、それから今日の新郎である隼人はやとは、大学時代経済学部に所属していた同期だ。岬とはゼミも同じで、大学時代は毎日のように顔を合わせたものだ。


 その岬の手にはまだスマートフォンが握られていた。


「何見てたんだ?」


 俺が訊くと、岬はにやりと笑みを浮かべた。


「ん、いやあ。実は子どもが生まれそうでさ」


「ええ?」


「もしかしたら今日にでも」


「そりゃあ、めでたい。おめでとう」


「ありがとよ。ただ、医者の見立てではまだ余裕があるってさ。初産だし」

「だから妙にそわそわしてたのか。それじゃ、正直隼人の結婚式どころじゃないな」

「まったくだ。でもま、こっちもお祝儀をもらった身としては参加するべきだろ? それにしてもほんとうに久しぶりだ。前回は俺の結婚式の時だったか?」


 ふいに岬が黙り、すっと微笑みが消えた。


「お前の方はどうだ?」


 岬の口調にはどこかせっぱつまった、焦燥しょうそう感のようなものが含まれていた。


 俺はそれには触れず「どうってなんだよ?」と、微笑みながら訊き返した。俺の軽い口調につられたのか、岬は口の端で笑って言った。


「仕事は変わりないだろ? 結婚とか……そっち方面の話だよ」


 俺たちが座ったソファは庭園の方向へ向けられていた。庭園では母親と娘と思われる二人が、何か話しながら散歩をしていた。俺は岬から視線をそらし、庭園を眺めた。人口の庭でたわむれる母娘、遠くから眺めるだけでも癒されるような光景。


「仕事は後輩が増えたぐらいでたいした変化はない。付き合っている子もいるよ。まだ結婚の話は出ていないけど」


「そうか」


 視界の隅で岬がうなずく。


「じゃあ、平和に暮らしているってことだな?」


 まるで念を押すかのような訊き方だった。


「平和平和、退屈なぐらいだ」


 わざと雑に返すと、俺たちの間に消えかかっていた微笑みが再び浮かんだ。ぎこちなく近況を確かめ合う裏で、共通の認識がもたらされるのが分かった。


(大丈夫。あんなことがあっても、俺たちは平和に暮らしている)


 岬が鷹揚おうように立ち上がった。


「行こうぜ」


 俺たちは連れ立ってロビーを抜け、ホテルの敷地内にあるチャペルへと向かった。


 実にオーソドックスな挙式だった。チャペルで友人家族を前に誓いの言葉、その後控室へ移動して軽食、披露宴。二人の紹介、出会いの映像、ホテルの料理。決まり切ったプログラムに沿って、式は進む。


 たいていの結婚式がそうであるように、披露宴の間は新郎新婦と話す機会はほとんどないが、途中で五分ばかし隼人と会話する機会に恵まれた。


 俺と岬が声をかけるなり、新郎の隼人は立ち上がって、人目もはばからず俺たちに抱きついてきた。


「げえ、やめろよ。お前もう酔ってんのかよ」


 岬の言う通り、隼人の顔は真っ赤だった。


「来てくれてありがとう」


 だらしない笑みを浮かべる隼人に、俺も苦笑いした。


「大げさなやつ」


「こいつ、だいぶヘタレな男ですけど、大丈夫ですかァ?」


 岬は茶化して座ったままの新婦へ声をかけた。気弱な隼人とは正反対に、強気な印象を受ける花嫁は、そういうところがかわいいんですよ、と笑った。


 それはお似合いで何より、と俺たち三人も笑う。笑い合う裏で、やはり隼人の目にも岬と同じ、こちらへ訴えかけるものがうつった。


 俺はうなずいてやり、岬は隼人の肩をたたいて言った。


「あとでまた話そうぜ、こっちは変わりないから」


 隼人は下がり気味の眉をいっそう下げた。


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