ep.5 備に事象は実を結び、全てが後退へと進行した。
1681年 4月16日 12:09
フィル、ウェグロ、しゅん、監視役のワダツミの四人でその鎖の着いた扉の前へ向かう。
フィルはウェグロに気を取られて、直前まで気が付かなかったのだが扉の隙間から微かに光が差していた。
初めて見付けたときには、隙間一つなくびっちりと閉まっていたのだが。
「……これだ。触るなよ、しゅん。これには防衛システムが備わっている。」
「らしいよね。ウェグロから聞いたよ。」
「なんだと?」
場所を知らないのに、防衛システムの存在は知っているだと。やはり何かが変だ。そう思い、きっとウェグロという男を睨み付ける。しかし、彼は依然とした態度で私の忠告を無視し、扉に触れようとした。
「勝手な真似は慎んでいただけると。」
扉との間に、ワダツミが身体を捩じ込ませてウェグロの手を阻止した。
丁度ウェグロと同じくらいの身長であったワダツミだが、並ぶと多少彼より背が高い。そのワダツミの厳しい視線に臆する事なく、ウェグロはじっと見据えていた。
ワダツミではない。その先にある扉を、じっと見ていた。
「ねぇ、ワダツミ。ごめんね、そこを退いてくれると有難いな。」
「しゅん、貴方の頼みであってもここを退くことは出来ないの。」
「……残念だが、その必要はない。防衛システムは俺が触れば停止する。滝壺·ワダツミ=海神。貴女も理解しているだろう、俺がこの先に進んで何をするか。」
ウェグロのその言葉に、ハッとした顔をするワダツミ。
待てよ、この二人は自己紹介をしていない。だのにウェグロは、ハッキリとワダツミをフルネームで呼んだ。
ここに来て、フィルは一気に分からなくなった。ウェグロとワダツミは知り合いなのか?ワダツミは彼が何者か知っているのか?
やがて全員が黙り、二人の睨み合いが続く。
しゅんは一応この展開は読めていたよ、といった顔で肩を竦めていた。
「しゅん。あの男は……なんだ?」
「……んー。まぁ、フィルちゃまには言っても良いか。」
「ちゃ、ちゃま……?」
「ねぇ、フィルちゃまは『ロゴス』って存在は知ってる?」
『ロゴス』───勿論、始霊であれば知っている。我らが主のような存在の御方たちだ。我らは彼らによって、人を律する者としての役目を与えられている。
ロゴス細胞という存在に気付いたのも我々始霊の一人だった。
しゅんの言葉に頷くと、彼はほんの少し寂しそうに眉を動かした。それが何を意味するのか分からず、じっと彼を見つめる。
「……あのさ、オレも、ウェグロも。そのロゴスって存在のクローンなんだよ。ロゴスクローン。」
「ロゴスがね、未来を意のままに操るために創った駒なんだって。」
フィルの視線に耐えかねたのか、それともなんなのかは分からないがしゅんは吐き捨てるように、そう呟いた。
「ま、待て。しゅん、貴殿はわたしが生命を与えたのだ。硝子細工を元に。クローンなわけが……」
「クローンってね、体細胞クローンってのがあるでしょ?空っぽの卵子に、クローン元の細胞核を与えるやつ。あれだよ、硝子細工を代理母に見立てて。」
「それをフィルちゃまが生命を与えたんだよ。」
そう言って、目を細めるしゅん。その表情は、どこか寂しいものだった。
「ウェグロもそう。元は別世界で生まれたんだけど、こっちに移動してきたんだって。だから、今までロゴスクローンなんて存在は居なかった。」
「……あのね、あそこの扉はオレたちの鍵があるんだ。オレたち、っていうかロゴスも?」
「だから、通してくれると嬉しい。」
そう話しかけてくる、しゅんの顔を私は見ることが出来なかった。
ロゴスが、この男を望んでいる?
ロゴスの意志が絡んでいるとなると、彼らを主としている始霊という立場ではロゴスクローンに従うしかない。しかし、始霊を追い出す一因となったこの男を……フィルは、少し葛藤していた。
その間にも、ウェグロとワダツミは睨み合っている。
「……ワダツミ。彼を、通してやってくれ。」
「!ですが。」
「……良いんだ。元より、これに私は関わっていない。ただ見つけただけで、何があるのかもわからない。頑なに道を譲らぬ理由もない。
彼らは決してアデシオを危険に晒したいわけではないと思うのだ。」
「……わかり、ました。」
フィルも、ワダツミも、案じていたのはそこだった。これを開けることでアデシオに何かしら影響を及ぼすのではないかと危惧していたのだ。決して、彼らが信用できなかったわけではない。
フィルの言葉に、しずしずと扉から撤退するワダツミ。その彼女に一礼したあと、ウェグロは扉に触れた。
そのまま、少し扉を押す。石でできたその扉は非常に重そうだったが、彼は簡単に動かしてみせた。何より、彼が触れた瞬間には鎖がボロボロと崩れて痺れた様子も一切なかった。本当に防衛システムは解除されたらしい。
扉を少し開いたところで、ウェグロはしゅんを手招きで呼んだ。フィルもワダツミも、それに続いて生まれた隙間を覗き込む。
扉の奥には、少年が丸まっていた。
服は着ておらず、ただ胸が上下しているのが分かる。
彼は水中にも関わらず、まるで長い間一定位置から動いてはいないようだった。見えない糸に吊り下げられているように、一定位置から動かない。
まるで眠ったように、扉が開いても反応はなかった。
「な、なんだ……あれは。」
怯えるフィルの声は、無意識に転がり落ちたもののようで誰も触れなかった。というよりも、しゅんとウェグロは やはり居る、と互いに頷き合うだけでそれ以上踏み込もうとはしていなかった。ワダツミはそっと目を剃らしている。
「生きてるねぇ……ウェグロ、彼だよね?」
「あぁ。よし、確認はできた。」
そう呟くと、ウェグロは扉をそっと閉め、元に戻した。てっきり、中に踏み込むのかと思っていたフィルは、彼らの様子に少し拍子抜けしていた。
「なぁ、しゅん。ウェグロ殿。あれが、鍵なのか?」
「あぁ。そうだ。彼こそが鍵だ。」
「……彼を起こさないのか?」
「今じゃないからね~……起こすのは。」
二人して、妙に歯切れの悪い返しをする。あれだけ確認したがっていた割には、あまり喜ばしい表情ではない。
じっと彼らを見つめていると、しゅんの方がふぅ、と息を吐いた。
「……ねぇ、フィルちゃま。お願いがあるんだけど、いい?」
「う、うむ。」
「……30年後、もう一回ここに来て、今度は彼を起こしに来るよ。それまで、この扉を守ってて欲しいんだ。」
そこまで大事なら、なぜしゅんが残って守らないのか───と聞こうとして、止めた。ロゴスクローンなる彼らは、きっと暇じゃない。考えやタイミングもあるのだろう。
主であるロゴスが背景に居る以上、たかが始霊であるフィルが何を言っても基本は無駄だというのも見えていた。
だから、そのときから私は飲み込む他なかった。
「……分かった。」
そう答えると、二人は幾らか安堵した様子でほっと息を吐いた。
この様子から、フィルは感じ取っていた。あぁ、だから始霊はこの世界を捨てたのだろうと。
あの鍵は、彼は───きっと、破滅の鍵だろう。
あの日から30年が経った今、『鍵』である彼を起こしに、しゅんがやって来た。
ワダツミも、しゅんも、フィルも。誰もがあまり嬉しそうな顔ではなかった。
「では、行こうか。」
「うん。ありがとう、フィルちゃま」
「……あぁ。」
ぎこちない様子で、一行は30年ぶりに再度扉の前へやって来た。
前回ウェグロが防衛システムを解除したおかげで、誰が触れても もうバチバチすることはない。ワダツミが扉を押し、今度は隙間ではなく全開に開ける。
これだけ動かして尚、彼は目を覚ました様子はない。あれから30年の時が流れているはずなのに、彼は老いた様子もなくあの時のままだった。本当に、この扉の奥は時が止まっているのかもしれない。
しゅんが先立って中へ進む。
しゅんが彼の近くに移動しても、起きない。
しゅんがそっと彼の頬に手を伸ばす。
触れる寸前で、彼の瞼が動いた。
「ん……誰……ですか?」
ぼんやりと虚ろな瞳が、眩しそうに目を細めている。一瞬見開いた瞳は、月が出たような丸い金色だった。
彼が目を覚ました事で、ようやく時が動き出したように水が息を始める。
「おはよう。君を迎えに来たんだよ。」
しゅんがそう言っても、彼は何がなんだか分からないと言ったふうにキョトンとしていた。
ワダツミも、フィルも黙って彼らを見守っていた。その表情は、せっかく肩の荷が下りたというのにあまり喜んだ様子ではなかった。特に、ワダツミの瞳には苦しみが宿っていた。
しゅんと『鍵』の彼を連れ、一先ずアデシオの城へと戻る。
色々と彼に質問したかったが、しゅんが諌める視線をその度に送ってくるので諦めた。これ以上は介入するな、という警告のように思ったからだ。
しゅんの持ってきた衣服を着せると、今度は彼からの質問責めに遭った。少し、理不尽だとフィルは思った。
「あの……ここは?」
「そこの虹色の
「そうなんですか……あの、ありがとうございます。」
そう言って、フィルに向けて頭を下げる鍵の彼。
白い髪に黒い一本角がよく映えている。
「うむ。別に気にすることはない、して───貴殿の名は?」
「え……っと。」
狼狽えた様子で目を泳がせる。彼の事を目の前で『鍵』と呼ぶわけにもいかないだろう、と名を尋ねればおおよそ想定どおりの反応をする。
海底に閉じ込められていたのだから、記憶喪失でもおかしくはないだろう。とは考えていた。
「……しゅんにはすまないが、少し独自で調べさせてもらった。しかし、彼についての記述は一切出てこなかった。海底に封じ込められた人間など数多いこの世界では、無駄なことであったが。」
「しゅん。説明責任があるのではないか?」
自嘲気味にフィルが話すと、彼の後ろでうんうんと頷くワダツミがいた。彼女は本来の役目である従者の姿勢で物静かに動かずにいたが、これにだけは同意を示していた。どうやら調べ回っていたのは彼女だったようだ。
しゅんは彼らの姿勢に、やれやれと唇を尖らす。その頬には「余計なことしてくれるね」と書かれていそうだった。この30年で、随分ウイルドに染まったらしい。
「勿論、説明させてもらうよ。君はオレたち『ウイルド』に必要な存在だから、起こしたんだ。」
「『ウイルド』ってのはまぁ、慈善団体?いや、なんでも屋……かな?代表と一緒にこの世を良くしよう!って集まりだよ。」
「で、君の事。君はいわば、オレたちが探し求めていた鍵なんだ。後は君が来てくれたら、オレたちはようやく前進できる。」
「君が、必要なんだ。どうしても。」
にこりと微笑むしゅん。その表情に嘘偽りがないことを、フィルは知っている。しかし、彼は不安そうに怯えている。実際不安なのだろう、心を表すかのように瞳は揺れていた。
「……オーケー、オレを信用しなくても良いよ。でも、できたら一緒に来て欲しい。特異人間種といえど、いつまでも君は水中で生きられるわけじゃないだろうし。」
「生命は保障するよ、『ブレイド』くん。」
ね、としゅんが鍵の彼───ブレイドに話しかける。
ブレイド?それが彼の名前なのか?としゅんの顔を見ると、彼は「今つけた。」という顔をしていた。
「……ブレイド?」
「良い名前でしょ?君に名前は無いみたいだったからね。」
誓盟旅程 赭榮しゅん @Shido-poire
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。誓盟旅程の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます