ep.4 遂に破滅は旗本を上げ、波は飲み込んだ。
ウェグロという人物について知っているのはその程度だと、イナードゥラは再びシーツに潜っていった。
「ま、待って。ウェグロという男はそれだけではないだろう?ただ始霊の右腕ってだけでは彼の事を知ったことにはならない。」
「……私も彼と直接会ったわけではない。詳しくは知らぬ。彼は元からここに生まれたわけではないからな。」
「……どういうこと?」
「ウェグロという男は、この世界で生まれた存在ではない。平行世界、とでも言えばいいのか?その世界から移動してきた存在なのだ。」
余計に頭がこんがらがる情報が出てきた。彼は、別世界から来た?
すると、ふとびくりとイナードゥラが体を震わせたかと思うと弾けるように部屋を飛び出していった。
先ほどまで怯えていた異様な表情ではなく、いつもの彼の顔に戻っていたのが一瞬見えた。人助けに行くときの顔だった。
つまるところ、何か異常が起こったということだろう。
慌てて彼を追いかける。
彼は丁度城門のあたりまで駆けていったようで、そこまで追いかけると今度は私の顔が凍り付く番だった。
「ソウビ……!?」
ソウビがぐったりとした様子で宙に浮かんでいた。いや、隣に居る魔女帽を被った若い女と共に宙に吊るされている。
魔女を睨みつけているイナードゥラの背が見えた。私が近寄ると、イナードゥラは顔を魔女を睨んだまま私に話しかけてきた。
「リアリナ。あれも始霊だ。」
「え?でも、ペリオッドの始霊は私たちを当の昔に捨てたんでしょ?」
「あぁ。だが、あれは……ダンテリオの姉だ。ウイルドと関わりがあると睨んでいい。」
ダンテリオ。つい先ほど聞いた名前だ。マイクロチップを開発したという、始霊。
彼女は愉しそうに私たちを見下ろしている。
「ふむ。実際に会うのは初めてじゃな、イナードゥラ。」
「……ダンテリオの姉だな?貴様は。」
「うむうむ。姉と言っても、実際に血が繋がっているわけではないんじゃが。」
イナードゥラの問いに、軽快に応える始霊。その最中でも、ソウビは深く瞼を閉じてまるで眠ったように動かない。
呼吸こそ確認できる距離ではあったので、胸が上下している事にまずは安堵する。
「私の名はペンタゴス。以後お見知り置きを願うぞ。それと、この者は少々我らウイルドが身元を預からせていただく。」
「ちょっと、待って。なんでソウビを……!」
「ふむ。リアリナ嬢、お主が悩んでいるようだったからの。我々からのヒントじゃ。」
優雅に挨拶をするペンタゴス。その間もソウビは動かない。だらだらと嫌な脂汗が頬を伝う。しまった。嫌な予感は、イナードゥラではなくこちらであったか。
後悔は何故先に出ないのだと酷く心の底から憎しみが湧いてくる。
そんな私を案じてか、イナードゥラは私とペンタゴスの間に入ってきた。
「むむ。そこまで警戒せずとも、今日はこの子を預かりに来ただけじゃ。特にそちらから用がなければ退散するのう。」
肩を竦めるその仕草が、小馬鹿にしているようで心底苛ついた。
しかし、それを見ても尚イナードゥラは動かない。だからこそリアリナも動かなかった。何より基本人間種である私たちが、始霊に敵うわけがないのは彼自身が痛いほど知っているはず。
イナードゥラは、目の前の誘拐を黙って見守るしかない事にこちらも苛立っていた。しかし、始霊が考えなしに犯罪を犯すような種ではないことも痛く知っていた。
だから、彼女の表情から何かを読み取れないかと探っていたのだが、さっぱり掴めずにいた。
「おろろ……黙ってしまわれたか。では、我々はこのお嬢さんを少しばかり預からせていただく。」
「また会いに来てほしいのう!」
そう高らかに言い放ったと同時に、彼女たちの姿はパッと居なくなってしまった。一瞬にして、その場は静寂となる。
幸いだったのは、城門周辺には誰も居なかったこと。どうやら彼女たちが街を奔走し、パニックを収めて回った後だったらしい。帰ってきたと思えば誘拐されたなんて───と、私とイナードゥラは何者もいない空中を見つめ、静かに怒りを抱いていた。
1711年 10月24日 5:28
がぶがぶという水中特有の音が耳元で暴れている。しゅんは、水中のある一点を目指し移動していた。アデシオ人であり、イソギンチャクをベースにしている彼がアデシオへ向かっているその速度は、そこそこ素早いものでものの5分でアデシオへと到達した。
といっても、ここに訪れるのは昨日ぶりである。アデシオは海中にある国だが、特に場所が決まっているわけではない。アデシオの始霊───『フィル』。彼のいる場所がアデシオであるため、決まった位置などアデシオ人にとっては殆ど意味を成さない。しかし、常に移動しているというわけでもないため、今日は昨日と大して座標が変わっていなかった。
地上はようやく日が昇り始めた時分だが、アデシオは既に営みを見せている。気まぐれな彼らは、活動時間も気まぐれで昨日は11時に活動していた。
そんな彼らに見つからぬよう、しゅんはフィルの居る城を目指す。といっても、別に顔見知りが居るわけでもないので素知らぬ顔で堂々と歩いていた。
「……お待ちしておりました。」
「おわ!あぁ……どうも、ワダツミ。昨日に続いて押しかけてごめんね。」
「いいえ。向こうでフィルが待ってるから、どうぞ。」
岩陰からぬっと姿を現したのは、フィルの側近である『滝壺・ワダツミ=海神』であった。しゅんはずっと変な名前だと思っている。何故この名をつけたのだろうか……。
虹の虹彩を持ち長身の彼女は、慣れていないと少し威圧的に感じる。
彼女についていくと、やがて強固に鎖で封じ込められた扉の前にやってきた。その扉の前で、白いフリルに身を包んだフィルが待っていた。
「はぁ。全く、昨日の場はヒヤヒヤしたぞ。ウイルドよ。」
「ごめんごめん。でも協力してくれてありがと!」
「勢いでスパイではないと言ってしまったが、私もそなたもスパイのようなものよ。……まぁ、事前に話を通してくれたのは感謝しているが。」
「スパイじゃないよぅ!お互い協力関係なだけだって。ね?同盟だよ。」
ウインクをしてみたが、フィルには冷たい目で、ワダツミには微笑で流されてしまった。この二人は何かとオレを年下扱いしてくるから困る。
何故しゅんがアデシオを訪れているのかというと、それは300年以上前にまで話が遡る。
ウェグロがある存在に森羅万象を見せられていた頃。フィルは海底でこの扉を見つけた。その扉を開けられないかと扉に手をかけた瞬間、ビリリッと指先が痺れた。成る程、防衛システム搭載か。
フィルはその扉を開けることを諦め、そのうちその存在も忘れていった。そして暫くの年月が過ぎたある日。しゅんが生まれた。
アデシオ人の繁殖というのは、他の種族とは異なる。雌雄が居て生まれるのではなく、水中でフィルのその特殊な声帯から発される音によって幼体が生まれる。
具体的な手順として、まず核となる球体を用意する。その手順は、真珠の作り方とよく似ている。球体は何でもいい。魚の目玉、それこそ真珠、水生生物の卵、
フィルの発する音、というより特別な音域には水中でしか効果を発揮しないが、様々な事象を引き起こすことが出来る。彼の音域を聞かせたモノは、なんだってフィルの意のままになる。
それを利用して、フィルはアデシオ人の子を生成しているのだ。
実際は、幼体を作るのに核をそこまで必要とはしない。しかし、彼がアデシオ人に球体の核を要求するのには理由があった。フィルとしても、与えられるならば与えたいのが本音だった。我が子ともいえるアデシオ人、彼らが可愛くて仕方がなかったのだ。
しかし、彼らにねだられるだけ与えてしまうと、やがて彼らは生命を蔑ろにし、杜撰に扱っては死んでしまうと説明しても理解できず、死んでしまったと次の幼体を繰り返しねだるようになってしまう。
そのような行動をしていると、彼ら自身の生命も他者から軽く扱われてしまうようになる。フィルはそれが悲しく、どうしても避けたかった為に、核の要求をするようになったのだ。
しゅんは、陸から落ちてきた硝子細工を核にしたアデシオ人だった。沈み行くそれを偶然発見したフィルが、気紛れに彼に生命を与えたのだ。
陸上の物を核とするのは、実は彼が初めてであった。というのも、水中でしか生活しないアデシオ人は陸上にあまり興味がなく、たまに沈没した船などから果実やらなんやらを拾うことはあれど硝子細工のようなものは今まで例がなかった。
そうして生まれたしゅんは、しばらくはフィルと共に過ごしていたがある日を境にぱったりと姿を消していた。どうやら陸上で暮らしているらしく、フィルとしては寂しい気持ちもあったが。彼は陸上の硝子細工を核としているから、陸を求めるのも仕方ないのかもしれない、と納得していた。
しばらくしたある日、ひょっこりしゅんがアデシオへ戻ってきた。
一人の男をつれて。
「しゅ、しゅん!久しぶりじゃないか。息災であったか?陸は苦しくないか?」
「あ、フィル!元気だよ~!ホラ。……そうだ、紹介するね。オレの友人のウェグロだよ。」
「あ、ああ。初めまして、だな。ウェグロ殿。」
ウェグロがその
嫌な胸騒ぎがした。
ウェグロは、敵だ。
「あのね、フィルにお願いがあるんだよ。あのさ、鎖の着いた扉……知らない?」
「あぁ、知っている……が、どうしたのだ?」
「そこにオレたちを連れてって欲しいんだよ。」
普段のフィルであったら、アデシオ人の頼みに二つ返事で了承したことだろう。しかし、フィルはアデシオの父であると同時に、『始霊』でもあった。
『始霊』の立場からすると、ウェグロという男はどうしても敵として見てしまうのだった。というのも、64年前。この世界から始霊がごっそりといなくなるという事件が起こった。
始霊というのは、『人を律する者』である。それは、人をより良い方向へ導くこと。そして、より良い未来を掴ませること。だから、始霊には少し先の未来の『雰囲気』を感じることが出来た。といっても、すごく繊細に未来を見通すのではなく、先の未来がどんな雰囲気かを感じとる程度のものだ。風向きの良し悪しぐらいしか感じとることは出来ない。
だが、64年前のある日。突如始霊たちは感じ取ったのだ。未来にとてつもない暗雲が立ち込めたことに。それは唐突であった。突如未来が暗闇に覆われたのを感知したのだが、同時にその暗雲が我々ではとても太刀打ちできぬ未来であることも同時に理解したのだ。
だから、殆どの始霊たちはこの世界を捨てて、別世界へと移っていった。
そのような事件があったのだが、フィルはまさにその原因が、目の前のウェグロである事を感じ取っていた。
「ね、お願い。フィル、どうか連れてって。」
「俺からも、どうか頼む。行くだけで良いんだ。」
そうして頭を下げる二人。
フィルは、悩みに悩んだが……結局、始霊としてではなくアデシオの父として、二人をその扉の前へ連れていくことを了承してしまった。
万が一の事があるからとか何とか理由を着けて、二人が帰るまで監視を着けることを条件に。
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