ep.3 麗しの花々は息を止め、鹿の泣き声がこだました。

震えるイナードゥラをなんとか落ち着かせ、私はまずこの部屋の惨状を問いただした。会話の出来る状態ではなかったが、なんとか彼の言葉を聞き取れた範囲で確認した。


まず、このズタズタの部屋は自分でやったらしい。700を超えて尚有り余るその力に、少しこの男が怖くなる。

そして部屋の前までが濡れたような重い空気はなんなのかと聞くと、あれは涙のせいだという。濡れていたのは涙。その涙が湿度を呼び、じとじとしていたのだと。正直これは信じていない。意味が分からない。

では何故このようなことをしたのか、と問い詰めると、イナードゥラは弱々しくつぶやいた。




「死ぬのが、怖いのだ。」


「な、なんで……イナードゥラ、貴殿は不老不死であろう?」


「不老不死ではない。私は……不老不死ではないのだ。」


「不老不死じゃない?でも、貴殿は700年は生きているのだろう?」


「……」




そう言うと、イナードゥラは少し怯えた目を緩ませた。

私は、恐ろしい気持ちでいっぱいだった。

イナードゥラは、我がペリオッドの英雄だ。それは間違いない。かつて我が国が度重なる地殻変動で地形の殆どが海中へと沈み、民を失い、力も弱くなった頃。イナードゥラは当時の王と共にちょっかいをかけてくる外国から民を守り、共に飲み込まれて失った始霊をなんとか喚び戻し、そして弱っているところへ飛来した龍種と戦い抜いた肩書の持ち主である。


これは嘘ではない。何度も何度も語り継がれてきたお伽噺とぎばなしだ。だからこそ、信用できる。この世界では、そのモノに流れた時間こそが正義とされている。少なくとも、我が国では。この世界は地殻変動が頻発する。地形が変わり、昨日まで存在していた大陸が消滅し、種の絶滅などは珍しい事ではなかった。だからこそ、古くから遺っている物は非常に価値があるとされている。


イナードゥラは強かった。英雄と呼ばれるようになってからも、民達に手を差し伸べており、敷設工事の手伝いをしたり城門の警護を代わったり。肩書を気にせずのびのびと過ごしていた。それは私が生まれてから見ている彼の姿だったが、話聞く限りではそれ以前からずっとこの様子だそう。だから皆彼を慕っていたのだ。

強くて優しい英雄。


だのに今は、震えている。死を恐れている。ウェグロの放った滅亡、という言葉が彼をここまで衰弱させている。




「……イナードゥラ。貴殿は死にはしないのでは?」


「リアリナ。基本人間種がこれだけ長生きする理由に何があると思うのだ……」


「知らないわよ。もう貴殿はそういう存在なのかと思ってた。」


「……呪いだ。」




呪い、と意外な単語に思わず反響してしまう。イナードゥラは静かに頷くと、死屍累々となっている書籍の山から震える手で一冊の本を取り出した。


箔押しまでしてある立派な本だったが、国でこのような書籍を刷った覚えはない。見たこともない本だった。

イナードゥラは静かにそれを開くと、パラパラと震えたままの腕を動かしてあるところで指を止めた。


『治療術チップ-β』

それはなんて事無い、ただの技術だった。てっきり、呪いというものだから他者から寿命を奪うとかそういった類いのものだと思っていた。至って普通の、よくある風邪に治療薬を出すようなものだった。書いてある内容も、そういうものだ。




「これの、何が呪いなの?」


「……これは呪いだ。例えば、指の皮を切ったとする。浅い傷だ。これを治すのに、リアリナであれば何をする?」


「もちろん、治療術チップを使う。それぐらいの傷は、個人でも治せるし。医者に見せたり、道具を使わずとも治せるのだから」


「では、何を消費するのだ?」


「……治療術が封入されたマイクロチップ。これを指で潰せば簡単に治療完了するから。」


「そうではない。消費しているのは、チップ本体ではなく我々に存在している細胞だ。」




正直、彼が何を言っているかは理解できなかった。細胞を消費するって、どういう事なのか。意味が分からずイナードゥラを見つめると、彼はふうと息を吐いて、再びそのページをトントンと叩いた。




「……我々には、全てに共通して『ロゴス細胞』というものが存在している。基本人間種であれば含有率は0.00018%ほどのごく少量だが、特異人間種やそれ以外では20%近く保有している者もいる。治療術封入チップは、このロゴス細胞を刺激することで彼らを活性化させ、損傷を治療させる。そういうものだ。」

「だが、これは大きな過ちだった。」




そこで一度口を閉ざすイナードゥラ。彼の手は震えこそしていなかったが、未だ何か───彼曰く死、から怯えていた。


しかし、この治療術−βが呪い?これは、技術の結晶だと褒めそやされていたと記憶している。これが開発されたのは、丁度749年前だと歴史の授業で叩き込まれた。といっても、そこまで詳しい事は私は知らなかった。というのも、このマイクロチップの製造は今や『自由都市』なる地が独占している状態だった。他国で製造されている以上、彼らが公表しない限りよそ者である私たちは知ることすらままならない。

昔、そのせいで周りの国々は自由都市にスパイを送りこむ事に躍起になっていた時期があったらしい。らしい、というのは私が生まれるずっと前、60年近く前のことだからだ。人から聞かなきゃ知ることもない。


イナードゥラは、静かにまた口を開いた。




「……このマイクロチップは、使用者のロゴス細胞に依存している。

使用者の持つロゴス細胞が多ければ多いほど、このマイクロチップはより強大な力を引き出せる。治療術、などと銘打っているが所詮コレはただの転化装置だ。」


「……私は、このマイクロチップと ある人物によって死ぬことが今までなかった。できなかった。」




ぽつ、と私の手に水が滴り落ちてきた。イナードゥラの涙であった。

……イナードゥラ。同じ城で生活する間柄ではあったが、私は彼とそこまで多く交流してきたわけではなかった。だが、人となりは知っている。だからこそ、イナードゥラのこの様子にただただ困惑していた。




「……かつてのイナードゥラは今のように身体が丈夫ではなく、ほとんどの日を寝たきりになっていた。」

「そんな私にも、友人とよべる人物がいたのだ。そのときの私は知らなかったが彼女は、始霊であった。先ほど基本人間種では0.00018%しか存在していない、と説明しただろう。では始霊はといえば、そのほとんどは14%前後保有している。1000倍とまではいかないが、少なくともそれぐらい差があるのだ。」


「……そのロゴス細胞、結局のところなんなのよ。多かったらいいことがあるの?」


「ウム。その一例として、私がいる。まずは聞いてほしい。」

「ともかく、彼女は『人間を律する者』として、あまりに弱々しいイナードゥラという男を気にかけていたのだ。そして彼女はある始霊から1つのマイクロチップを譲り受けた。」


「それが、治療術−β?」


「いや、それはまだだ。だが。そのマイクロチップは治療術−βと構造はほとんど同じであった。使用者のロゴス細胞を刺激し、活性化させる。」

「彼女はそのマイクロチップを使用するために潰したのだ。すると、破片の一部が彼女の指を掠めた。じわりと血が滲んだだろう。」

「その一瞬だった。ロゴス細胞が、始霊の血に強く刺激されたのだ。ロゴス細胞は暴走を始めた。誰しもが、その状況に強く恐怖した。」




苦しそうに、イナードゥラは続ける。彼はその場で見ていたのだろうか。マイクロチップでの暴走は、基本人間種でも多少は引き起こされる。本来は適切に遺棄されるはずだったエラー品などを違法に使うと、全身から炎と結晶の混じった血が噴き出し、運が悪ければそのまま出血過多で息絶えてしまう。命に別状はない、と判断されても、その後の生活に甚大な爪痕を残すだろう。ただ、普通に使用する分にはまず起こらない。

しかし、基本人間種でこれならば。始霊がこの事故を起こしたとなると、一体どうなっていたのだろう。




「そこで、マイクロチップを持ち込んだ始霊は声を上げた。」

『願いだ。ロゴス細胞は欲を叶える力がある。潰したマイクロチップから漏れた液体が触れたら媒介になる。』


「願いを……叶える……?」


「……彼女は血だらけのまま、イナードゥラの下へ急いだ。何も知らない男は、ベッドに横たわっていた。彼女は、マイクロチップから出た青い液体を男の腕に塗り込むと、願ったのだ。」


『彼を強く、頑丈で、周りを笑顔にさせる……長生きする人間にしてくれ。』

『君は、長生きするんだよ。ずーっと、ずーーっとね。そんな簡単に死んじゃだめだ。死なないで、うんと長生きするんだ。』




異様な気配がしたのか、イナードゥラはそのとき目を覚ましたのだ。そう呟き、彼はシーツを強く強く握りしめていた。

絹のそれは上等なもので、もし私がそんな粗末に扱ったら、スズランが「皺になる!」といってひっぱたいてきたことだろう。




「……それから、彼女は物言わなくなってしまった。始霊の死は、そのとき初めて見た。」

「そして私は自身の異変に気付いたのだ。」




身体が異様に軽い。息が苦しくない。だるさも、そのすべてが無くなった。

彼女の願いが叶ったのだ。

しかし、私は後からこの事を知り、その時から死に怯えて暮らしてきた。彼女の願いである、長生き。私はいつまでも長く、永く行き続けなければならない。でなければ、彼女に合わせる顔もない。




「結果論で言えば、私は彼女の時間を奪ったのだ。だからこそ、簡単には死ねない。死にたくなかった……」


「……だからこんな長生きを?」


「いや、それも違う。私は何もしていない。死に恐れていたが、やがて気付いたのだ。老いることがなくなっていた。死が遠く、遠くまで離れていったのだ。」


「……?」


「床に臥せっている頃は、死が身近だったのだ。近くに感じていたのだが、それからは遠くに感じた。彼女の願いは叶っているのだと実感した。」

「だから、私は死ぬことはないのだと安堵して今の今まで暮らしていた。」




だが、その死が「ウェグロの滅亡宣言」により再び近くに感じるようになったのだろう。それまでの始霊の願いが叶わなくなっていることに恐れているのだ。いや、ここまで長生きしたらもう叶っているのではないか。とも思ったが、言わなかった。




「……イナードゥラ。貴殿は基本人間種なんだよな?」


「そうだ。私は生まれてからずっと基本人間種だ。ロゴス細胞の量だって昔と変わっていない。」


「……そうか。」


「なぁ、リアリナ。ウェグロは一体何と言っていたのだ。あの男は、滅亡させると本当に言ったのか。」


「本当だ。……私はイナードゥラ、貴殿は何か彼について知っているのではないかと考えていたのだが、知らないのか?」


「知らない、と言えば嘘になる。」




いつの間にか震えの止まったイナードゥラは、パタリとそれまで開いていた本を閉じるとその背表紙に書かれた著者名を私に見せた。


そこに書かれていた名は『ダンテリオ』。ウェグロではない。

一体何を?という目で彼の顔を見ると、イナードゥラは幾ぶんか泣き腫らして赤くなった目を伏せた。




「……このダンテリオという男が、ロゴス細胞を発見し、マイクロチップを開発した男だ。」

「そして、彼を師事……いや、彼の右腕として過ごしていたのがウェグロという男だ。」




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