ep.2 失うことは恐ろしく、しかし同時に幸福である。
1711年 10月23日 13:40
ウイルド、と名乗った銀髪の男が残していった置き土産に、各国の代表が頭を抱えているのが見える。ここは議会の席が円形にずらりと並んでいる中の最上段で、方々を見下ろせる位置にいる。それが何を示しているのかは私は知らない。知っていたとして、認めたくはない。
重苦しい空気の中、一つの椅子が動く音が響いた。約半数が音のする方へ顔を向ける。その中心にいたのは、『アデシオ』の始霊。フィルであった。彼はその特徴的な声帯で発する。その声は、アデシオ人や特異人間種でない私ですら反応してしまうほどだった。
「皆、混乱していることだろう。これはアデシオとしての意見ではなく、始霊としての話だと前持って言っておく。」
可憐な服装に身を包んだ愛らしい容姿から発される低く凛とした低音ボイスに頭が混乱しそうになるが、皆静かに彼の次の言葉に縋っていた。基本人間種、特異人間種とこの世に無数の種族が存在しているが、始霊というのはこのどちらより上の存在だ。そして、始霊というのは律する者だ。この場を諫めることができるのは彼らしかいない。
「一部の者は知っているだろうが、あのウェグロという男は、31年前まではそこの『自由都市』の代表としてその席に腰を下ろしていた。しかし、翌年に別の者に代表の座を譲って以降、消息が今まで不明だった。まぁ、これに関しては自由都市は30年で代替わりしているから、不思議なことではない。」
「しかし、何故か今はひょっこり現れては我々に牙を向けている。」
「実を言えば、私は昨晩とあるアデシオの民より、ウェグロがこの場に現れることは前もって知っていた。」
「……彼の言った通りにウェグロは行動した。だが、不可解だ。私に告げ口をするメリットは何処にもない。私は、ウイルドの真意は滅亡ではないと考えている。」
「それにはワタシも同意だよ、フィル殿。」
フィルの言葉に、後押しするように一つ向かいから声が上がった。今度は八割の者がそちらへ頭を動かした。全員の視線に臆することなく立ち上がり、ゆらゆらと細いしっぽを揺らしているのは、フィルと同じく始霊である『シンフォニア』であった。
彼女は心臓の位置から管を伸ばし、その見た目からフィルほど好まれている様子ではなかった。いや、肝心なのは見た目ではない。フィルの不思議な声帯同様、彼女も一つ特筆するべき特徴があった。
それは、周囲の音を自在に繰ること。
彼女の中の「音」には拍動も含まれており、簡潔に言えば彼女次第でいくらでも文字通りいくらでも心臓を止められてしまう。だから怯える者も多かった。それを知ってか、彼女も必要以上に発言をすることは今までなかった。
「ワタシも、ウェグロの様子は少し不可解だった。」
「……多分だけど、何か隠しているね。ワタシはウェグロをもう少し叩いて様子を見たいな。」
「うむ。シンフォニア殿。私もそう思っている。」
「……しかしフィル殿。先ほど、事前に知っていたといったな?何故、黙っていたのだ。」
「……」
その質問に、フィルは少し眉の位置を下げた。ひそめこそしていないが、どう説明すべきか悩んでいる、といったところであろう。周囲の者たちもそれに同意しているのか、気になっているのか、はたまた情報を整理しているのか、誰も割って入ろうとはしていない。
「恐らく、貴殿らが気になっているのはアデシオとウイルドが繋がっているのではないかということだろう。しかし、その彼は我々が送り込んだスパイでもなんでもない。そして向こうから送り込まれたスパイでもない。彼の誕生は、私もしっかり見ている。身元は保証できる。しかし、再会したのは30年ぶりだったな。」
「彼が私に昨晩接触してきたのは恐らく独断だ。ウェグロに黙って私に会いに来たのだろう。」
「じゃぁ、そのアデシオ人はウイルド側についているということではないのか?」
「あぁ。あちら側の者であることは確かだ。しかし、だとしてもわざわざ私に接触してきた意図が読めぬ。」
「今の彼らにとって情報というのは何より貴重なものだろう。」
「リスクを冒してまで接触してきたからには、私はウェグロ共々彼に考えがあると睨んでいる。」
フィルの言葉に、シンフォニアは黙ってしまった。この場でこれ以上憶測を交わしたところで、場が混乱するのは目に見えているのだろう。そして、フィルの口ぶりからして、再びそのアデシオ人が会いに来るかどうかは不透明だ。会える確率も低いだろう。
さて、どうしたものか───と誰もが頭を抱えたまま、その日は解散することとなった。
その日のうちに、瞬く間に世界中に「世界滅亡の危機」やら「予言者は語る、滅亡について」やら、胡散臭い情報が触れ渡った。私の愛する祖国、『ラクトーン』もしっかりその被害に遭っていた。
人々が嘆き、パニックが方々で起こっている。人々の嗚咽や怒鳴り声をかき分け、私は帰路に着いた。正直、ウェグロが現れたときよりも堪えた。あれはただ威圧感で息苦しいだけで、精神に訴えてくるものではなかったから。
「リアリナ、おかえりなさい」
「おかえり~。なんだか大変だったみたいねぇ、大丈夫?」
城へ戻ると、幼馴染み二人が出迎えてくれた。スズランとソウビ。私たち三人は人生のほとんどを共に過ごしてきた。
つり目の青目がスズラン。緑髪で薔薇を着けているのがソウビ。
彼女たちは平民だけど、諸々の事情で私専属の侍女として無理矢理着いてきてもらったのだった。それももう5年前の事。
「はぁ……聞いてよ、もう。ウェグロって男はなんなのよ!いきなり出てきて世界を滅亡させる!?そんなの私たちに言ってどうすんのよ!」
「まぁまぁ落ち着いて……と言えないんだよね。」
「うん……リアリナちゃん、あのねぇ。すっごく言いづらいのだけど……」
決まりの悪そうな表情の二人が、言葉を淀す。その瞬間、私の全神経がぶわわと逆撫でされた。すっごく、すっごくめんどくさいことが起こる───今の状況に加えて。
そんな憶測に、私は思わず片膝を突いてしまった。
「はぁ。分かってる。街の様子は見てきたもの。まずは彼らを落ち着かせなくちゃ」
「ううん。それはこっちでやっておく。どうせ放っておいても皆そのうち冷静になるだろうし。」
「リアリナに今頼みたいのはそっちじゃなくてね」
「……イナードゥラ大伯父様の様子を、見てきてほしいの。」
「……へ。」
その瞬間、私の背中から嫌な汗がどっと這い出てきた。
イナードゥラ。イナードゥラという人物は、かつてこの国を救った英雄だった。だった、というのはそれが694年前の話だから、当時の事を覚えている人間が彼遺骸の誰もこの世にいない為である。
我がラクトーンの誇る英雄であり、禁忌とも言える。
というのも、700年以上生きる種族は「特異人間種」であればさほど珍しくはない。実際700年以上生きた人間を見つけるのは難しいが、未だ寿命が訪れていない特異人間種はそこそこ居る。そこら辺を歩いている特異人間種に総当たりで話しかければ、6人に1人はそういった種族に当たるだろう。
しかし、我がラクトーンは「基本人間種」の国だ。寿命は90年もあれば十分、大往生と言って良い。
だがこのイナードゥラという男は、「基本人間種」でありながら「711年もの年月を生きている」のだ。
不老不死と言えば良いのか、彼は歳を取らない。
ソウビが大伯父と呼んだのは、一応彼女はイナードゥラの子孫に当たるからだ。実際に大伯父というわけではないが、彼をご先祖様と呼ぶと嫌がるためそこに落ち着いている。実際、彼女の両親に兄はいないし。
「ソウビが行くんじゃ、ダメなの?」
「うん。大伯父様はあの場にいたリアリナに直接話を聞きたいのだって。」
「……チッ。なんなの、あのジジイ。」
ほんのちょっとの希望を胸にそう聞けば、あっさり打ち砕かれてしまう。しかし、私以上に悲しみに暮れた表情をするソウビに、私はようやく胃の位置を戻し、腹を決めた。
もしかすれば、彼はウェグロという人物について何かを知っているのかもしれない。そうだ、ならば非常にありがたい事この上ない。フィルやシンフォニアは始霊だから、ウェグロという人物に心当たりがあるのだろう。永い時を生きている人たちだ、きっと私たちの手の届かない情報を持っているはず。
ならば、イナードゥラも情報を握っているはず。フィルたちの話では、ウイルドは破滅させると宣言したがそれは本心ではない……ということだったが、全てを信じるには私たちには根拠がない。
「……はぁ。なんなのよ、もう。」
私は二人に別れを告げ、イナードゥラの部屋へ向かった。普段は従者ですら寄り付かない部屋への道は、どこか暗く足取りも重くなってくる。
……重くなってくる?待って。何かがおかしい。普段であればそんな事は起こらない。ふと下を見ると、赤いカーペットがやけに黒い。まるで水を吸ったように色が暗くなっている。空気も澱んでいるような気がする。
「な、なんなの……?あの妖怪ジジイ、いったい何を……」
異質な雰囲気に戸惑いながら、ようやくイナードゥラの部屋の前まで移動することに成功した。彼の部屋へ近づくにつれ、何故か髪が湿気なのかべたべたしてきたり、カーペットがぐしゃぐしゃになったりしていた。
体力と気力を消耗しながらここまで来たんだ。意味のない呼び立てだったら許さない───と半ば意地になって、扉を力強く叩く。
「イナードゥラ!私だ、リアリナだ!」
返事はない。ただ、まぁこれはいつものことだ。イナードゥラは返事をすることはないし、開けてくれたりもしない。勝手に入っても、彼は文句を言ったりはしないから私はいつものように重い扉を開けた。
そこには異様な空気が漂っていた。
彼の趣味で片側の壁一面に取り付けられた本棚からは、本が一冊も残っておらず床に死体のように無残に転がっていた。中央にあるベッドは、シーツも毛布も何もかもがぐちゃぐちゃになっていた。書斎机は引っかき傷が残り、まるでこの部屋で乱闘が起こったかのような痛々しい姿を見せている。
あまりに悲惨な状況に、私は一瞬「……龍種?」と笑えない考えが口をついて出ていた。この英雄の部屋を無残な姿にできるのは、龍種しかいない。
そこまで考えて、そうだ、家主はどこだと探し始めた。
「イナードゥラ!返事をしろ、無事か!?何があったの!?」
「……た……い……」
ぼそりと中央のベッドから声が聞こえた。慌てて駆け寄ると、彼はぐったりとした様子でベッドの上で転がっていた。血などは出ていない、なんだ無事じゃないか。と安堵し彼の顔を見ると、私はぎゅっと一瞬心臓が冷たくなった。
彼は泣いていた。
「……イナードゥラ?」
「嫌だ……死にたくない、死にたくないんだ……」
「……な、なに?どうしたの……」
初めてだった。英雄イナードゥラのこの様子に、私は得も言われぬ不安の底へ突き落とされた感覚に陥ってしまった。
「……何が、起こったの……?」
呆然と立ち尽くす私と、啜り泣くイナードゥラ。私は、ペリオッドの衰弱を肌で感じたのだった。
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