第2話
初めて会った日の夜は、少し肌寒い今日みたいな雨の日で。
雨に濡れた髪の毛を軽く押さえながら、小走りで店内に駆け込んできた彼に
「傘持ってきてなかったの?」
って聞いたのが、初めての会話。
「雨の予報じゃなかったよね?」
そう言いながら上目遣いで小首をかしげる仕草が、濡れた髪の毛と相まって、段ボールに入れられて捨てられた子犬のようで、なんだか放っておけなかった。
組んだばかりの、まだマイナーだったバンドのギタリストだった霞くんは、
私より2個年下の19歳だった。
細身の身体に、クロムハーツのネックレス。肩までの金髪に、口ピアス。
典型的なビジュアル系バンドマン。
年下ということを除けば、外見はわりとタイプだったけれど、彼氏というよりは弟のようで、彼からの幾度となく来る誘いメールに、返信することができずにいた。
ある夜わたしが家に帰ると、同棲していた彼氏が浮気していた。ちなみに目撃したのはこれが3度目。確実にそれ以上は、浮気している。
わたしは家を飛び出して、何気なく携帯を開いた。
受信1件。受信は2分前。霞くんからだった。
「今からビラ配りにいってきまーす」
わたしはそのメールに、たった一言返信した。軽い気持ちで。
「彼氏が家で浮気してた」
それからすぐに、電話が鳴った。
「今どこ?すぐに行くから待ってて」
彼は本当に来た。ラフなTシャツにジャージ。長い前髪を束ねたちょんまげ頭で。
家から着の身着のまま来ましたって感じで、思わず笑ってしまった。
「ビラ配りはいいの?」
「いいよいいよそんなの。それより行こう!」
彼はわたしの手を引いて、近くのゲームセンターへ向かった。
「ちょっと待っててね」
そう言うと霞くんは、まじめな顔でUFOキャッチャーをやりだした。
黙ってそれを見ていると、ゴトンという音と、やったーという声。
「取れたよ!見て見て!取れた!」
その手には、両手で抱きしめるのにはちょうどいいサイズの、ぬいぐるみ。
それを差し出しながら、
「これを俺だと思って。さあ、殴る蹴るも自由だよ!」
とか意味のわからないことを言ってくるから
「なんで霞くんを殴らないといけないのよ」
と言いながら、そのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「それは俺だから。俺だと思って毎晩かわいがってね」
「ありがとう」
つぶらな瞳の茶色いくまのぬいぐるみ。
ぬいぐるみが嬉しかったんじゃない。
なんでぬいぐるみなのかはわからないけど、わたしのためにわざわざ取ってくれた、その気持ちがただ嬉しかったんだ。
霞くんはその後も、朝まで一緒にいてくれた。
手も握らず、新宿のカラオケボックスで、時折悔しさと悲しさで涙を流すわたしの背中を優しく撫でてくれていた。
健全な朝が、なんだか逆に照れくさくて、だけど離れがたくて。
わたしたちは朝方の公園のベンチでコンビニで買った朝食を食べながら、お互いの話をした。
高校を中退して、バンドをやっていること。
今のバンドを大きくしたいから今年からは全国ツアーを回ろうと思っていること。
ずっと音楽をやっていきたいということ。
もっとうまくなりたいから、こっそりギター教室に通っていること。
霞くんは、わたしの思っている霞くんより、ずっと大人だった。
夢があって、その夢のために努力する。
夢なんてなくて、ただ毎日をボーっと生きているようなわたしには、
霞くんはたまらなく眩しくて。
一緒にその夢を応援できたらなって、思うようになっていた。
そしてわたしたちはそれからすぐに、付き合うようになった。
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