第4話 通路の紳士

「はじめに訊きたいんだが、これは君たちの物かい?」

 紳士は顔写真つきの手帳をひらいて見せた。


『警部補 矢羽航大』


「いいえ、違うわ」

「そうかい。ならいいんだ」

 紳士は手帳をポケットにしまった。

 愛理の背中に鳥肌が立った。

「ねえ、やっぱり出ましょう。こんなところ」

 愛理は蒼汰の腕を引っ張ったが、蒼汰は悠然ゆうぜんとしていた。

 蒼汰は紳士にいった。

「十三年前の夜、小学六年生くらいの女の子が自分より小さい男の子とここへ迷い込んで、いなくなった。その子を探している」

 紳士は人さし指で帽子を回しながらいった。

「そんな昔のこと、覚えてないね。なにせ、毎日大勢の人間がここへやって来るんだ。君だって、一週間前に道ですれ違った人のことなんて覚えていないだろ? ……いや、見てさえいないか」

 蒼汰は一瞬、頭に血がのぼった。

「ぼくにとっては、世界でたった一人のお姉ちゃんだった」

「あ、そう」

 蒼汰の目つきが険しくなる様子を見て愛理がいった。

「蒼汰、もう行きましょう。気持ちは分かるけれど、無理だわ。この人だって覚えていないっていうし」

「ぼくは一度ここに来たことがある。そのときのここでのおきてを覚えている。だから君は出てきたんだろ?」

 紳士は真っ白な歯をむき出しにした。

「それで?」

「ここでのルールは誰か一人をここに拘束することで他のものは自由の身になる、というものだったはずだ。だからぼくは今日、二人で来た」

 紳士は愛理の方を見ていった。

「……なるほど」

 愛理は一歩後ろに下がった。

「蒼汰……?」

 蒼汰はいった。

「だから、彼女、愛理をもとの世界に戻してやってくれ」

「ここに残るのは、そこのお嬢ちゃんじゃないのかい?」

 蒼汰はうなずいた。

「ぼくが残る。それで取り引きはおしまいだ」

「ちょっと待って、わたし、全然ついていけてないんだけど。お姉さんはここに取り残されたんじゃないの?」

 蒼汰は首を横に振った。

「姉さんはここに残って、次に別の世界からやって来る人を待っていたんだ。そうしたら次はその人がここに残ることになる。そしてその別世界が自分の行きたい世界だと思ったら、その世界へ移っていく。もといた世界には決して戻れない。そうして姉さんは別の世界へ移っていった。それがこの10番出口の決まりなんだ……と、ぼくが初めてここへ来たときに彼はいった」

 紳士は笑みを浮かべていった。

「説明の手間がはぶけたな」

「それじゃあ、お姉さんはどこか、別の世界で生きているの?」

 蒼汰はうなずいた。

「それなら、そのままでよかったじゃない。どうして蒼汰が犠牲になる必要があるのよ」

「また、姉さんと一緒に過ごすためだ。もちろん家族全員でいられるのが一番だよ。でもぼくは姉さんと一緒に居たかった。全てを失ってでも一緒に居たい誰かがいる、その気持ちが愛理になら分かるだろ?」

「それは……」

 愛理はうつむいた。

「……それは、たしかに分かるわ。だけど、蒼汰がお姉さんのいる世界へ行ける保証はないわ。それに蒼汰のお母さんやお父さんが悲しむでしょう?」

「みんな、ぼくの存在は忘れるんだよ」

 愛理は蒼汰の話を思い出した。

「姉さんがいなくなったとき、覚えていたのはぼくだけだった。だから、愛理だけでも覚えていてくれよ。もし覚えていたらの話だけどね。それで、ぼくは十分だ。ぼくは姉さんのいる世界から誰かがやって来たら、その世界へ移ることにする」

「でも……」

 愛理は困惑していたが、紳士が二人の話に割って入った。

「まあ、わたしも君たちの世界でいうところの『悪魔』ではないのでね。多少のはするよ」

 戸惑った様子の愛理に、蒼汰はいった。

「愛理、物語は必ずつないでいかなければならない。ぼくがこの10番出口の存在を都市伝説として残していったようにね。だから、君はもとの世界へ戻って君の物語を後世に繋ぐんだ。君の物語はここで終わりじゃない」

 少しの沈黙の後、愛理はいった。

「蒼汰は、本当にそれでいいの?」

 蒼汰はうなずいた。

「ここまで来たんだ。それにぼくの物語だって、ここで終わりじゃない」

 蒼汰の眼は、決心がついた、と訴えていた。

 愛理は蒼汰を強く抱きしめた。

「忘れないわ、あなたのこと」

 

 少ししてから紳士はいった。

「もう、いいかな。次の人が来たみたいだし」

 愛理は名残惜しそうに蒼汰から離れた。

 紳士は愛理の前に立っていった。

「それじゃあ、始めるよ」

 紳士がそう言い終えた瞬間、愛理はまぶしすぎるほどの光に包まれた。そうしてまたたく間に愛理は意識を失った。

 

 


















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