SUPER HAPPY

尾八原ジュージ

神よ

 幸せになるにはどうしたらいいか? 必要なのは高低差だ。とびきり幸せになりたいのなら、まずは不幸になるところから始めなければならない。

 というのが、私が遭遇した神様の教えであった。どこで遭遇したかといえば、山奥である。奇妙なキノコが生い茂る密林めいた悍ましき山中に、神はおわした。そして、キノコをかじりながら仰せられた。

 まず不幸になれ、さすれば後ほどイージーに超ハッピーと。

 こうして託宣を得た私は、急いで家へと帰った。さいわい私は独り者で、養うべき家族も老いた親も愛すべき恋人もなかった。そして、すでにそこそこ不幸になりつつあると、日に日に肌で感じていた。であるから、この先の人生を前向きに生きてゆくために、とびきり幸せになることはもはや不可欠であった。

 私は家を焼いた。孤独な独り者で、かつ隙間だらけの木造一軒家に住んでいたことが幸いして、火つけを止める人もなく、火はあっというまに我が家を屋根まで嘗め尽くした。燃え崩れる我が家を見ながら、私は手足が震えるのを感じていた。着の身着のまま、家財道具も焼いてしまった。明日からどこで寝泊まりし、どうやって暮らせばいいのか。そう考えると途方もない不幸をしょい込んでしまった気分になった。

 おお、かくて幸福になる準備は整った。いや、まだ整っていない。

 私はすぐに思い直した。これではまだまだ整い方が甘い。この家に何か良い思い出があっただろうか。仕事から帰っても楽しみひとつあるわけではなく、冷めたコンビニ弁当を食い、湿った布団で眠るだけの場所ではなかったか。そのような場所がひとつ失われたとして、私は不幸であろうか。いや、まだ不幸になりきっていない。

 私は職場に向かった。別に仕事を愛しているわけではないが、長年勤めた、愛着深き職場である。単調な仕事も、これから失うと思えばいとおしい。

 非番であるはずの私が、涙を流しながらデスクに向かい、辞表を書いているのを見て、同僚たちは何やらひそひそと言い交わした。しかし私は平気だった。神を知らぬ同僚たちよ、好きに憶測を垂れ流すがいい。だが、これから私がイージーに超ハッピーになるとは、彼らはまさか思いもすまい。

 私は辞表を書き、それを部長のデスクの上に置いた。部長は不在だったので、万が一にも見落とされることがないよう、そして幸福への祈りが皆にも届くよう、デスクに脱糞した。

 オフィスに悪臭が立ち込め、我が愛すべき同僚たちは少しばかり不幸になった。しかしやがてうんこが取り除かれ、爽やかな空気がふたたびフロアに吹きわたったとき、彼らは私の残したメッセージを悟るだろう。とびきり幸せになるために必要なのは、高低差だと。

 さて、私は私自身の収入源も絶ってしまった。家が焼けただけなら、まだ生活再建の望みがそこそこあった。仕事をしてさえいれば、たとえば別のアパートを借り、生活用品を購入して、新生活を始めることができただろう。だが今は違う。無職で無一文の数歩手前、しかもうんこの匂いをただよわせている人間に、誰が部屋など貸すものか。なんということだ。絶望である。しかし、これで幸せになる準備は整った。いや。

 否。まだ整っていない。

 そもそもこのような治安のいい法治国家に生まれついたことが、私が未だ捨てることのできない幸運ではあるまいか。これをかなぐり捨ててこそ、真の高低差を味わうことができる。そういうものではないだろうか。

 かくして私は、所持金の全額を使って密航船に飛び乗り、日本を後にした。

 無一文で世界を歩いた。治安の悪い地域、未開拓の密林、とにかく過ごしにくそうなところを探して、探して、歩き回った。見知らぬ人間に石を投げられたり、大きなクマに食べられかけたりと、様々な苦難が私をますます不幸にした。

 そんな中、私はとうとう見つけたのである。

 そこは山ぶかい、自然厳しき山岳地帯であった。とげのついた植物をかきわけ、血まみれになって進んでいくと、そこには奇妙なキノコが生い茂る密林めいた悍ましきキノコ多発地帯があった。そして我が祖国にいるはずの神が、そこにおわした。

 神は生のままのキノコをむさぼり食いながら、「これで安心だネェ」と私に声をかけてきた。そのとき私は、今度こそ幸せになる準備が整ったと悟ったのである。

 とびきり幸せになるために、大事なのは高低差である。今や私は、今日足を伸ばして眠れる場所があれば、そこが屋外でも何でも喜ぶことができる。その辺に生えていた雑草を煮たスープにも、舌鼓を打つことができる。

 そう申し上げると神様は親指を立て、「お前はスーパーハッピー」と太鼓判を押された。

 私は感動のあまりその場に膝をつき、むせび泣いた。スーパーハッピー。ただのハッピーではなく、スーパーハッピーである。喜ぶべきことである。名誉なことである。今や私は望外の喜びに震えるあまりに幸福な魂、そしてスーパーハッピーの使者であった。

 私は泣きながら立ち上がると、神の教えを広めるべく街へと向かった。とびきり幸福になるために必要なのは高低差、そしてポケットの中のマッチである。

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