1-2 なぜ可愛い子がひきこもりの家へ?

「中へどうぞ。まずはお茶でもどうですか?」

 ボクは彼女を中へ案内する。


「え? あ、は、はい……」


 居間へと案内すると、リリアは縮こまるようにソファーの端に腰を下ろした。

 小柄な体が沈み込むようにクッションに埋まり、膝の上でぎこちなく杖を抱えるその仕草は、どこか子猫のようだった。

 制服の裾をそっと握り、視線をあちこちに彷徨わせながら、彼女はためらいがちに口を開いた。


「こ、ここが結界管理人様のお家……思ったより普通なんですね……」


 その呟きに、ほのかな驚きと安心が交じるのが分かる。緊張しているのだろう、微かに震える声が耳に心地よかった。

 髪の銀色が光を受けて揺れ、まるで朝靄に包まれた月のような儚さが漂う。


「わらわがお茶を淹れて参りますので少々お待ちにゃ!」


「ひゃっ!?」


 ふわふわと浮いているニャビィを見た瞬間、リリアは軽く飛び上がった。ソファーのクッションが小さく揺れ、彼女の杖が床に軽い音を立てて転がる。


 そうか、まだニャビィの存在を知らなかったんだ。


「や、やっぱり猫が喋るんですね!? 私、さっきのは魔法人形マリオネットか何かかと……」


 リリアの声は驚きと好奇心が交じり合っている。その反応に、ニャビィはふくれっ面をして、二又の尻尾を勢いよく振った。


「ぷんすかぷんぷん!!わらわは只の猫ではありませんにゃ。ご主人様専属の未来の世界からやってきた猫型使い魔であります!!」


「左目が青で、右目が金色……オッドアイなんですね」


「そうにゃっ! わらわの美しい目は“星界の祝福”を受けた証であります!」


「“星界の祝福”…… 聞いたことのないスキルですが、きっと高位のユニークスキルなんでしょうね。」


「どんなもんだい!!わらわ、ニャビえもん~♪」


 ニャビィは得意げに胸を張り、何かしらの音程が怪しい歌を口ずさみながら、くるりと体をひるがえして厨房へと消えていった。


「人語を操る使い魔……ですか」


 リリアは不思議そうに独り言を呟く。


「ああ。1人称がちょっと変わった使い魔だけど」


 ボクが肩をすくめながら答えると、リリアは眉を寄せて真顔になった。


「いや、変なところはそこではなく……」


「あぁ、オッドアイな猫はワイちゃんも見たことがなかった」


「確かに珍しいと思いますけど、そこじゃなくて」


「あと、尻尾が二又なのも――」


「尻尾の事でもないです! 喋ったり宙を浮いたりするのが一番おかしいでしょう!」


「え? この世界では猫が宙を飛んだりは――ないの?」


「ないですよ!!  普通はせいぜい“膝に乗る”くらいですよ!」


「あー、じゃあうちのニャビィは優秀なんだね。たぶん猫界のエリート?」


「エリート!? それで片付けていい問題じゃないですよ!?」


「ほら、本人も気にしてないみたいだし」

 この世界に転生してずっと引き籠っていたから知らなかったが、ニャビィのような猫は珍しいらしい。


「お待たせしましたにゃ!」


 ニャビィが紅茶の載った銀色のトレイを頭の上に載せて戻ってきた。不思議なことに、優雅に歩く彼女の動きに反して、トレイは全く傾かない。


 二つのカップから立ち上る湯気が、朝の陽射しに透けて綺麗だ。


「どうぞ召し上がれにゃ。特製ブレンドティーでありますよ!」


 リリアは恐る恐るカップに手を伸ばした。一口飲むと、その美味しさに目を見開く。


「す、凄く美味しいです……」


 ニャビィが嬉しそうに二又の尻尾を振る。その仕草に、リリアも思わず微笑んだ。


「あの、改めまして……魔法ギルドー星輝の魔法院アストラルアークーより参りました、リリスティア・ヴェールステラ・セージブルームと申します」


 儀礼正しく一礼する彼女に、ボクは少し驚いた。さっきまでの掛け合いが嘘のように凛とした態度だ。


「でも、リリアとお呼びください。その……長いので」


「ワイちゃんは篭目庵カゴメイオリ。この家でひきこもりをしながら不本意ながら結界管理してます」


 軽い調子で言ったつもりだったが、リリアは少し困ったような表情を浮かべた。


「え、えっと……ヘレン先生からは重要な任務を担当されていると聞いていたのですが……」


「おや? ヘレンとはどういう関係なんだい?」


 ボクがヘレンとの関係性を尋ねるとリリアは少し驚いた様子で、すぐに背筋を正した。


「はい、ヘレン先生は私の魔法の師匠で、ギルドに入れたのもヘレン先生のおかげなんです」


 リリアは制服のポケットから、金色の刺繍が施された公文書を取り出す。

 ヘレンからの紹介状だ。


 ――ヘレン。魔法ギルドの結界部門の主任魔導士にして、このボクをこの家に閉じ込めた張本人。

彼女の手で結界管理人として選ばれた時、どんな気持ちだったかなんて……今さら思い出したくもない。


「申し訳ありません。本来なら事前に連絡を入れる必要があるのですが……ヘレン先生が少しうっかりしてしまったようで……」


「気にしないでいいよ。ヘレンのそういうところにはもう慣れてるからね」

 きっと事前告知なしでリリアを寄こしたのはヘレンの計画だろう。


 紹介状に目を通す。相変わらずの達筆な文字。


『拝啓 我が愛しき引きこもり君へ』


……あの魔女、相変わらずだな。


『この手紙を読んでいるということは、君の元に新しい検査担当が赴任した頃だろう。驚いたか? 何せ、君のような“自宅警備員”のもとに、かわいい女の子が来たのだからな。どうせ彼女を見て最初に思うのは、「こんな子がボクの家に来るなんて」ということだろうが、素直に態度に出さないように。君のリアクションは大体読めている。』


 いや、なんでそこまで見透かされてるんだよ……。監視されてるのか?

 アルミホイルを頭に巻く必要があるみたいだな。


『さて、目の前にいるのは私の教え子のリリアだ。まだ15歳の見習いだが、努力家で芯の強い子だ。魔力操作に苦手な部分もあるが、それ以上にその魔力のポテンシャルは極めて高い。そして何より、彼女の真摯な性格は、きっと君にも良い影響を与えるだろう。』


 努力家で芯が強い……確かに、あの柔らかな瞳と慎ましやかな佇まいを見ると、何となく想像はつく。けど、こんな繊細そうな子がやっていけるのか?


『だが忘れるな、彼女は初任務だ。緊張で失敗することもあるだろう。そこを君が支えてやるのだ。彼女を泣かせたり、嫌がらせたりしたら――』


 したら?


『私が君の冷蔵庫のプリンを没収するだけでなく、この家ごと燃やすつもりだ。』


 物騒すぎるだろ!


『それから、彼女が驚くであろう君の“結界管理システム”について、ちゃんと説明してあげなさい。彼女は可愛いだけではなく、真面目で賢い子だ。説明すればきっと理解するだろう。

くれぐれも彼女を失望させるような事はするなよ。君が一人でこの結界を維持できるとは到底思えないからな。』


 おいおい、一応引きこもりながらもちゃんと仕事してるんだけどな……。評価が低すぎない?


『追伸:いい加減、外に出る練習をしたまえ。窓の外に広がる世界は、君のPCのモニターよりもずっと大きいのだから。』


 やれやれ……


「あの、先ほどの手紙にあった"結界管理システム"というのは……」


「うん。まあ、見てもらった方が早いかな」


 リリアをパソコン前に案内する。


 複数のモニターが並び、青白い光を放っている。その画面には魔力の数値や、結界の状態を示すグラフが次々と表示されていく。

 キーボードには見慣れない魔法文字が刻まれており、明らかに特殊な装置だとわかる。


「これが……結界管理、なんですか?」


 リリアは困惑したような、でも同時に興味深そうな表情を浮かべていた。


「そうだね。世間一般的に言われている結界とは少し変わった──」


「ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!」


 ボクが説明を始めようとしたその時、けたたましい警告音が鳴り響いた。

 モニターが真っ赤に染まり、次々と警告画面が浮かび上がる。


「え!? な、なにが……!」


 急な出来事に驚くリリア。


「バグ、出現! しかもこの反応は……」


 ボクは素早くキーボードを叩き始めた。データが異常値を示している。こんなの初めてだ。


「き、緊急事態ニャ~! 大変な事にニャってるにゃ~」


 ニャビィが宙を浮いてモニターの前に移動する。


「わらわは本番環境でシステム障害が起きた時の緊張感がたまらないのであります!」


「た、大変なことになってるんでしょうか!?」


 リリアは両手を胸の前で握りしめ、不安そうに部屋の中を見回している。


 魔法ギルドで学んだ知識では、この状況が全く理解できないのだろう。

 真っ赤に染まったモニターの光が、彼女の銀色の髪を不気味に照らしている。


「うん。ゲキヤバ。」

 ボクは簡潔に答える。


 メインモニターに巨大な警告が表示される。


 [ERROR:404 境界侵食確認 早急な対処を要します]


「リリア」


 ボクはキーボードから手を離し、真剣な表情で振り返った。


「いきなりで少し怖いかもしれないけど、ワイちゃんについて来てもらっても?」


 リリアは一瞬迷ったような表情を見せたが、すぐに表情を引き締めた。


「は、はい。分かりました」


 緊張しながらも、その瞳には強い意志が宿っている。


「よし。それじゃあ行こうか、幻想世界へ――」

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